道誉が征く

西村重紀

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第二章

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「佐渡判官殿、御辺は味方と考えて宜しいのですな」
 上座に着く六波羅探題北方の常盤範貞は、道誉の去就を確認する。
 道誉は、静かに頷くと、
「この佐々木道誉、どこまでも得宗殿にお仕え致す所存でござる、と鎌倉の方にお伝え下さい」
 道誉は範貞を前にし、恭しく額ずいて見せた。
 先の藤の前の一件で、朝廷側にも嫌気が差したのだ。それ故、取り敢えず今は北条得宗家に忠節を誓うと態度を取った。
 ただ、このままでは何れ鎌倉幕府は内側から崩壊するのは必定、それまでに何とかして手を打たなければならないと考えていた。
 北条一門の中で頼れる存在は、眼前に居る六波羅探題北方の常盤範貞、南方の金沢貞将軍、そして現執権の要職に就く赤橋守時などごく僅かであった。残りの北条一門は、得宗家当主の高時を筆頭に救いようのない俗物だった。
 都の不穏な空気を全く察知せず、我が世の春を謳歌し、無駄に時と金を浪費している。実に嘆かわしいことだった。
「足利治部大輔は動きますかな」
 範貞は道誉に意見を求めた。
「分かりません」
 道誉は即答した。
 高氏という優柔不断な男の真意を測るのは、正直なところ至難の業だった。
「金沢殿は如何様に思われる」
 範貞は、南方の貞将にも意見を求めた。
「拙者も佐渡判官殿と同じく、足利治部という者の存念測り知れぬ」
 貞将は徐にかぶりを振った。
 高氏の優柔不断な性格は鎌倉武士の間では有名だった。
「あの者は、得宗殿よりも増して癖のある仁、全く以って掴みどころがない」
「これ、金沢殿、お言葉が過ぎようぞ。長崎円喜めの耳にでも入ったらそれこそ一大事」
 範貞は苦笑した。
 すると貞将は面目なさげに一礼した。
「この先、主上の周りで如何様な動きがあるか、常に目を光らせておくのが肝要かと」
 道誉は体温の低い声で言った。
 燭台の炎が揺れていた。明かりを受け、範貞の横顔が朱に染まっていた。
「然様でござるな」
 範貞はにべなく頷く。
 貞将も相槌を打った。
「機が熟すのを待ちましょう……」
 道誉は薄笑いを浮かべた。
 形の上では六波羅探題側に日野俊基を売った道誉であったが、正直なところこの先、後醍醐天皇側に勝機があると分かれば、簡単に鎌倉方を裏切ることも出来る。 
 今は、足利高氏に見習い、その去就を表さないのが得策なのだ。何れ機は熟す。
 機が熟すのを待つ間、道誉は家宰吉田厳覚に命じ、軍資金を蓄えるのであった。何事にも経費が掛かる。特に戦となれば莫大な戦費が必要とされる。
 さて、清和源氏の棟梁たる足利高氏と書いたが、実際のところこの時点で高氏は足利家の家督を継いではいない。高氏の庶子である新熊野、つまりのちの足利直冬が生まれたとされる嘉暦二年(一三二七)の初秋の時点で、足利家が発給した文書の署名は高氏の父貞氏のものだった。つまり、足利家の当主は高氏ではなく貞氏なのだ。
 しかし貞氏は嘉暦二年(一三二七)のこの時五十六歳という高齢であった。現代を生きる我々はまだ、定年退職前の現役バリバリであるが、鎌倉時代末期の平均寿命は五十に満たない。そのことを考慮すればやはり、全国の武士を動かせる若い力を持つ人物は高氏の他にいないのだ。
 その期待の高氏が実に体たらくで優柔不断だったため、実弟の直義や家宰の高師直、師泰兄弟は手を焼いていた。

 嘉暦二年(一三二七)の暮れを京極高辻の館で過ごした道誉は、嘉暦三年(一三二八)、年明け早々に六波羅探題に赴き、北方、南方に年始の挨拶を済ませた。ついで日野俊基の館にも足を運び、年始の挨拶がてらに朝廷側の動きを探ってみた。
 漆黒の地に金糸、銀糸で龍と虎の刺繍を施した直垂姿の婆沙羅な道誉を前にし、白い水干を纏った俊基は、
「いつもながら佐渡殿には圧倒される」
 と目を瞠った。
「日野殿、ご貴殿も無粋な水干など脱ぎ捨て、吾のように婆沙羅な形をなされば如何でござろう」
「斯様な派手な形は、身共のような地味な男には似合いませぬ」
「それ故、行者や山伏、はたまた乞食のような形をなさるのか」
「むむっ、ご存知であったか」
 俊基はカッと目を見開きまじまじと道誉を見やった。
「ええ」
 道誉はにべなく頷いた。
 後醍醐天皇の側近である日野俊基は、先年より行者や山伏などに変装し、畿内は勿論のこと、四国、北陸、信濃の辺りまで足を運び、味方になりそうな国人や土豪を探していたのだ。その中の一人が、悪党として名高い楠木正成であった。
「お味方になる人物は如何ほど集まりましたかな」
「まあ、それなりに」
 俊基は、はっきりとした具体的な人数は口にしなかった。
 赤松に、楠木に他……。
 ざっと見積もって一千がいいところか、と道誉は頭の中で瞬時に計算した。
 これでは蜂起したとしても直ぐに幕府軍に殲滅させられる。
「悪いことは言わぬ。お止めなされ」
 道誉は、俊基が考えている倒幕挙兵を直ちに中止するよう進言した。
「何故でございまするか」
 怪訝気味に眉根を寄せ、俊基は道誉を凝視する。
「鎌倉方には勝てますまい」
 道誉は涼しい顔で平然と言い放った。
「戦はやってみなくては分り申さんっ」
「否、日野殿其処許は武士ではない故お分かりならぬと思うが、戦と申すものは戦う前から勝負が付いておるのでござる」
「……佐渡殿、ならば我らが勝つためには如何すればよいのじゃ」
 俊基は声を荒げ道誉を睨め付けた。
 すると道誉は鼻の頭を掻きながら、
「先ずはお味方となる人物を、一人でも多く見付けることが肝要かと存ずる」
 他人事のように言った。
「佐渡殿は我らのお味方ではなかったのか」
「身共は今上の帝にどこまでも付いて行く所存」
 道誉は心にもないことを平然と告げた。
 先日、六波羅探題北方、南方を預かる北条一門を前にして、
「この佐々木道誉、どこまでも得宗殿にお仕え致す所存でござる、と鎌倉の方にお伝え下さい」
 と公言したにも拘らず、その舌の根の乾かぬうちに、俊基を前にして口から出まかせを言うのだ。
「信じて宜しいのですな佐渡殿」
「はい、身共を信じずに、一体誰を信じなさるご所存か日野殿はっ」
「私としたことがこれはご無礼仕った。お許し下され」
 俊基は、面目次第もないというように苦笑を浮かべ深々と頭を下げた。
 このあと他愛もない世間話をして時間を潰し、日が西の空の彼方に沈んだ申の下刻(午後五時頃)過ぎ、俊基が入魂にしている田楽師を招いて至福のひと時を過ごした。
 京極高辻の館に戻った道誉は、家宰の原田仁助を召し出した。
「明日の朝、柏原に帰る。あとのことはそちに任せる。憂いなきよう運べ」
「御意」
 仁助は道誉の足元に片膝をつき一礼した。
 翌日、道誉は数百の手勢を率いて京を発ち、領国北近江柏原へ向かった。
 都の鬼門を護る比叡山の頂に雪が積もっていた。
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