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第二章
五
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「お久しゅうございまするな佐渡判官殿」
俊基は満面に笑みを浮かべ告げた。
「日野殿もお変わりなくお過ごしとお見受け致す。先年、身共が亀山殿にて拝謁が叶った主上は」
「……これ、佐渡殿、その話はお忘れ頂くとのお約束でしたぞ」
「然様でござったな面目ござらぬ」
道誉は苦笑を浮かべ軽く頭を下げた。
俊基が、鎌倉に居た道誉に密書を遣わし、態々京の日野邸にまで来るよう呼び出した理由は、今上の帝に関わることだと思っていただけに、道誉には少し拍子抜けした感があった。
「うん、これは伽羅の香りですな」
「ええ、懐に香袋を忍ばせており申す」
「流石は婆沙羅と謳われる佐渡判官殿、この蔵人俊基感服仕った」
にべもないことを口にする俊基にやや困惑しながら、道誉は鎌倉まで使いの者を寄越した彼の真意を量り兼ねていた。
「して日野殿、御用の趣とは」
道誉は真顔で問い掛けた。
「足利殿を動かして頂けたい」
俊基も真顔で答えた。
道誉の背筋に緊張が走った。
やはり、後醍醐天皇の一派は、倒幕挙兵する気でおり、その成功の鍵を握るのは、道誉が常日頃考えている通り足利高氏の去就にあるのだ。
「……正直申せば、あの者は軟弱で一体何を考えておるのか掴みどころが分からぬ。白かと思えば黒じゃし、かと言って黒と思っていると白でござる。決して我らには本心を明かさぬ。あれは真よく分からぬ男でござる」
道誉は、足利高氏という男の取っ付き難い性格を包み隠さず俊基に語った。正直なところ、道誉自身も、高氏の優柔不断な性格に手を焼いていたのだ。
倒幕挙兵するには全国の武士を味方に付けなければ勝てない。勝ち馬に乗るという言葉通り、確実に勝てる側に付かなければ意味がないのだ。
先の承久の乱は、後鳥羽上皇側がその目測を誤った結果、鎌倉方に敗れ去った訳だ。
「女子(おなご)かあるいは、心許せる小姓を近付け揺さ振りを掛けてみては如何でござろうか」
道誉は色情という裏技を以って高氏の心を動かしてみてはと俊基に持ち掛けた。
この時代、貴人、特に武士の嗜みに男色、つまり衆道があった。道誉は無論、高氏も例外ではなかった。
夜肌を重ねる折に、寝物語を語るようにして、高氏の耳に後醍醐天皇の叡慮を伝えてみてはと企んだのだ。
「それ故、身共も我が妹藤の前をかの者に近付けました」
俊基の口から思いもよらない言葉が発せられ、忽ち道誉は愕然となった。
あり得ない速さで心の臓が脈を打つ。額や腋の下に嫌な汗が滲み出た。眩暈すら覚えてならない。
「お顔の色が優れませぬが如何なされた
と俊基が道誉に問い掛けた。
「いや、お気遣いご無用」
道誉は平静を装いかぶりを振った。
だが、俊基の口から発せられた次の言葉を耳にし、
「妹は足利殿の子を腹に宿し、かの男に捨てられ申した。ほんに足利治部大輔なる男は困った御仁でござる」
道誉は激しく動揺し、狼狽えてしまった。
「な、何とっ!? それは真の話でござるかぁ……」
「身共が御辺に偽りごとを申し上げても詮無きこと。薬師の見立てによれば産み月は夏を過ぎた辺りとのこと」
道誉が、自分の妹である藤の前に心を奪われていると全く知らない俊基は、素っ気なく答えた。
寝耳に水、晴天の霹靂といった感がある事実を告げられ、道誉は完全に言葉を失ってしまった。
鎌倉の地で、道誉が藤夜叉こと藤の前の姿を探し求め、見つけ出すことが出来なかった筈である。兄俊基の密命を受けた藤の前は、高氏を追って足利家の本貫、下野国足利荘に向かったのだ。そこで藤の前は高氏と肌を重ね、男女の関係となり子を宿し、挙句の果てに捨てられたということだ。
道誉は、ことの真相を知り、嫉妬と憎悪と悲しみが入り混じった何とも言えない複雑な感情を抱いた。
想い人を孕ませ捨て去った足利高氏という男も憎い。
兄の命を受けたとは言え、好きでもない男と情を交わした藤の前も憎い。
主上の叡慮のためとは言え、妹を己の野望の道具に使った日野俊基も憎い。
道誉はこの感情をどこにぶつければいいのか分からず、奥歯をつよく噛み締め耐え続けた。
どの道を通って帰ったのか全く覚えていないが、気が付くと道誉は京極高辻の館の前に辿り着いていた。
南天に浮かぶ三日月を呆然と見上げ、道誉は門前に立ち尽くしていた。
「殿、如何なされました」
心配して嘉兵衛が尋ねる。
「嘉兵衛、六波羅北方と南方に使いを遣れ。日野蔵人が足利に近付いたと」
道誉は、己の野望のため実の妹を利用した俊基の腹黒さに嫌気が差し、彼を六波羅に売った。
日野俊基の妹藤の前の腹に宿った子は、嘉暦二年(一三二七)の初秋に産まれた。幼名を新熊野といい、長じたのちには足利直冬と名乗る。
足利高氏の庶子新熊野を出産したのち、藤夜叉こと藤の前は人々の前から忽然と姿を消した。道誉は、人を使って彼女の行方を探らせたが、見付け出すことは出来なかった。
俊基は満面に笑みを浮かべ告げた。
「日野殿もお変わりなくお過ごしとお見受け致す。先年、身共が亀山殿にて拝謁が叶った主上は」
「……これ、佐渡殿、その話はお忘れ頂くとのお約束でしたぞ」
「然様でござったな面目ござらぬ」
道誉は苦笑を浮かべ軽く頭を下げた。
俊基が、鎌倉に居た道誉に密書を遣わし、態々京の日野邸にまで来るよう呼び出した理由は、今上の帝に関わることだと思っていただけに、道誉には少し拍子抜けした感があった。
「うん、これは伽羅の香りですな」
「ええ、懐に香袋を忍ばせており申す」
「流石は婆沙羅と謳われる佐渡判官殿、この蔵人俊基感服仕った」
にべもないことを口にする俊基にやや困惑しながら、道誉は鎌倉まで使いの者を寄越した彼の真意を量り兼ねていた。
「して日野殿、御用の趣とは」
道誉は真顔で問い掛けた。
「足利殿を動かして頂けたい」
俊基も真顔で答えた。
道誉の背筋に緊張が走った。
やはり、後醍醐天皇の一派は、倒幕挙兵する気でおり、その成功の鍵を握るのは、道誉が常日頃考えている通り足利高氏の去就にあるのだ。
「……正直申せば、あの者は軟弱で一体何を考えておるのか掴みどころが分からぬ。白かと思えば黒じゃし、かと言って黒と思っていると白でござる。決して我らには本心を明かさぬ。あれは真よく分からぬ男でござる」
道誉は、足利高氏という男の取っ付き難い性格を包み隠さず俊基に語った。正直なところ、道誉自身も、高氏の優柔不断な性格に手を焼いていたのだ。
倒幕挙兵するには全国の武士を味方に付けなければ勝てない。勝ち馬に乗るという言葉通り、確実に勝てる側に付かなければ意味がないのだ。
先の承久の乱は、後鳥羽上皇側がその目測を誤った結果、鎌倉方に敗れ去った訳だ。
「女子(おなご)かあるいは、心許せる小姓を近付け揺さ振りを掛けてみては如何でござろうか」
道誉は色情という裏技を以って高氏の心を動かしてみてはと俊基に持ち掛けた。
この時代、貴人、特に武士の嗜みに男色、つまり衆道があった。道誉は無論、高氏も例外ではなかった。
夜肌を重ねる折に、寝物語を語るようにして、高氏の耳に後醍醐天皇の叡慮を伝えてみてはと企んだのだ。
「それ故、身共も我が妹藤の前をかの者に近付けました」
俊基の口から思いもよらない言葉が発せられ、忽ち道誉は愕然となった。
あり得ない速さで心の臓が脈を打つ。額や腋の下に嫌な汗が滲み出た。眩暈すら覚えてならない。
「お顔の色が優れませぬが如何なされた
と俊基が道誉に問い掛けた。
「いや、お気遣いご無用」
道誉は平静を装いかぶりを振った。
だが、俊基の口から発せられた次の言葉を耳にし、
「妹は足利殿の子を腹に宿し、かの男に捨てられ申した。ほんに足利治部大輔なる男は困った御仁でござる」
道誉は激しく動揺し、狼狽えてしまった。
「な、何とっ!? それは真の話でござるかぁ……」
「身共が御辺に偽りごとを申し上げても詮無きこと。薬師の見立てによれば産み月は夏を過ぎた辺りとのこと」
道誉が、自分の妹である藤の前に心を奪われていると全く知らない俊基は、素っ気なく答えた。
寝耳に水、晴天の霹靂といった感がある事実を告げられ、道誉は完全に言葉を失ってしまった。
鎌倉の地で、道誉が藤夜叉こと藤の前の姿を探し求め、見つけ出すことが出来なかった筈である。兄俊基の密命を受けた藤の前は、高氏を追って足利家の本貫、下野国足利荘に向かったのだ。そこで藤の前は高氏と肌を重ね、男女の関係となり子を宿し、挙句の果てに捨てられたということだ。
道誉は、ことの真相を知り、嫉妬と憎悪と悲しみが入り混じった何とも言えない複雑な感情を抱いた。
想い人を孕ませ捨て去った足利高氏という男も憎い。
兄の命を受けたとは言え、好きでもない男と情を交わした藤の前も憎い。
主上の叡慮のためとは言え、妹を己の野望の道具に使った日野俊基も憎い。
道誉はこの感情をどこにぶつければいいのか分からず、奥歯をつよく噛み締め耐え続けた。
どの道を通って帰ったのか全く覚えていないが、気が付くと道誉は京極高辻の館の前に辿り着いていた。
南天に浮かぶ三日月を呆然と見上げ、道誉は門前に立ち尽くしていた。
「殿、如何なされました」
心配して嘉兵衛が尋ねる。
「嘉兵衛、六波羅北方と南方に使いを遣れ。日野蔵人が足利に近付いたと」
道誉は、己の野望のため実の妹を利用した俊基の腹黒さに嫌気が差し、彼を六波羅に売った。
日野俊基の妹藤の前の腹に宿った子は、嘉暦二年(一三二七)の初秋に産まれた。幼名を新熊野といい、長じたのちには足利直冬と名乗る。
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