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第二章
四
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嘉暦二年(一三二七)の正月を鎌倉で迎えることになった道誉は、一月末のある日、京の日野俊基からの使い者が持参した密書を屋敷の庭で受け取った。
平伏する雑色から、近習の小弥太を経て道誉は文を手にした。封を開け、中身を確認する。
「日野卿が俺に会いたいと申しておられる」
密書を黙読した道誉は、脇に控える小弥太に告げた。
「招致仕ったとお伝え致せ」
道誉は庭にて平伏する雑色に言った。
雑色は、
「畏まりました。我が主に伝えまする」
と答えると、いつの間にか道誉の前から姿を消した。
「月が改まったら鎌倉を離れ京へ戻る」
道誉は小弥太に伝えた。
「はっ」
小弥太は短く答えた。
当初の目的である藤夜叉一座の行方も掴めぬまま、道誉は鎌倉を離れることを決めた。
結局のところ、手を尽くして鎌倉は勿論、坂東一円を探し回っても、藤夜叉こと藤の前を探し出すことは出来なかった。もしかすると既に、京にいる兄日野俊基の許に戻っているのかも知れない。そんな気がして、道誉は鎌倉を離れる決意を固めたのだ。
二月の初め鎌倉を発った道誉一行は、桜が咲き出した三月上旬(現在の暦で三月下旬から四月上旬)に京に入った。
五条通りを行く道誉は、胡粉色の地に、薄桜色で桜の花弁を模った直垂を纏い、左手の射籠手は呂色一緒に染め上げ、これまた銀糸で桜の花弁の刺繍を施した狩装束だ。いつもながら見事な婆沙羅振りに、沿道の庶民は呆気に取られた。
六波羅探題の北方、南方で上洛の挨拶を終えた道誉は京極高辻の館に入った。
「汗を掻いた故、身体を清めたい」
道誉は小弥太に命じた。
「ははっ、直ぐにご用意致します」
この時代、現在のような浴槽の中のお湯に浸かるという温湯浴はまだ存在せず、蒸気浴が主流だった。つまり蒸し風呂だ。もっと分かり易い言葉で言えば、サウナである。浴衣を纏い蒸気が満ちた湯屋に入り、その中で汗や垢などの汚れを湯で洗い流し、手拭いなどを使い拭き取るのだ。
蒸し風呂で身体を清めた道誉は、小弥太が用意した新しい衣装に着替えた。
墨色一色の地に、金糸、銀糸で猛虎の刺繍を施した直垂だ。
近習によって腰帯が締められると、
「殿」
と小弥太が脇差を道誉に渡した。
「ふむ」
道誉は受け取った脇差を腰に差した。
それを確認して、最後に小弥太は太刀を道誉に渡した。
太刀を腰に佩びると、道誉は、
「仁助をこれに」
と小弥太に告げた。
五十がらみの仁助は、主にこの京極高辻の館を預かる家宰だった。
暫くすると、奥書院に仁助が現れた。烏帽子を被っているので分からないが、彼の頭髪は既に抜け落ちており、辛うじて髷が結える程度しか残っていない。
「柏原の吉田厳覚に申し付け渡せ。戦に備え貯えよ」
道誉は顎をしゃくって仁助に命じた。
「仰せの儀、確と承りました」
仁助は恭しく一礼した。
道誉は、何れ大きな戦いが起こるに違いないと睨んでいる。
後醍醐天皇とその側近たちは、常に倒幕を念頭に置いている。道誉は彼らからの誘いを何度か受けてはいるが、その去就は未だ定まっていない。戦は一人でするものではない。人数が必要なのだ。何度も書くが、清和源氏の棟梁たる足利高氏次第で、勝機が鎌倉方、朝廷方のどちらに転ぶか分からない。
ただ今言えることは、間違いなく戦が起こる、ということだけだ。
「仁助、俺はこれから日野卿に会いに行くので、留守を頼んだぞ。供は嘉兵衛一人のみでよい。余り仰々しいと先方も迷惑だろう」
道誉は唇の端に薄い笑みを浮かべた。
馬に乗って京極高辻の館を道誉が出立したのは、日が傾き掛けた申の刻(午後四時頃)だった。直垂の中に伽羅の匂い袋を忍ばせている。
京極高辻の館を出た直後から、六波羅探題の密偵らしき者が道誉主従の追跡を開始した。密偵は三人だ。何れも馬に乗っている。
道誉もそれに気付き、並走する嘉兵衛に、
「さてどうする」
と尋ねた。
「懲りぬ奴らでござる。拙者が相手致しましょうか」
聊か腕に覚えがある嘉兵衛が言った。
「否、それには及ばぬ。このまま日野殿のお屋敷に向かうぞ」
「はっ」
嘉兵衛は短く答えた。
辻を右に折れ、暫く進むと、日野俊基の館の土塀が見えた。道誉主従を追跡する六波羅探題の密偵は依然、付かず離れずの絶妙な距離を保ったままこちらの様子を窺っている。
「如何致しますか」
「捨て置け、彼奴らの狙いはこの俺がどこに向かう気なのか探っているだけだ。我らを襲う気があるのならばとっくに襲っておろう」
道誉は涼しげな表情を崩すことなく平然と言い捨てた。
「然様で」
嘉兵衛も何事もなかったかのように頷く。
やがて道誉主従は日野俊基の館の門前に辿り着いた。門衛の雑色に身分を名乗り、邸内に案内された。二人は奥の書院に通された。暫くすると、道誉の前に俊基が現れた。白い水干を着ている。俊基は道誉の眼前に腰を下ろした。
平伏する雑色から、近習の小弥太を経て道誉は文を手にした。封を開け、中身を確認する。
「日野卿が俺に会いたいと申しておられる」
密書を黙読した道誉は、脇に控える小弥太に告げた。
「招致仕ったとお伝え致せ」
道誉は庭にて平伏する雑色に言った。
雑色は、
「畏まりました。我が主に伝えまする」
と答えると、いつの間にか道誉の前から姿を消した。
「月が改まったら鎌倉を離れ京へ戻る」
道誉は小弥太に伝えた。
「はっ」
小弥太は短く答えた。
当初の目的である藤夜叉一座の行方も掴めぬまま、道誉は鎌倉を離れることを決めた。
結局のところ、手を尽くして鎌倉は勿論、坂東一円を探し回っても、藤夜叉こと藤の前を探し出すことは出来なかった。もしかすると既に、京にいる兄日野俊基の許に戻っているのかも知れない。そんな気がして、道誉は鎌倉を離れる決意を固めたのだ。
二月の初め鎌倉を発った道誉一行は、桜が咲き出した三月上旬(現在の暦で三月下旬から四月上旬)に京に入った。
五条通りを行く道誉は、胡粉色の地に、薄桜色で桜の花弁を模った直垂を纏い、左手の射籠手は呂色一緒に染め上げ、これまた銀糸で桜の花弁の刺繍を施した狩装束だ。いつもながら見事な婆沙羅振りに、沿道の庶民は呆気に取られた。
六波羅探題の北方、南方で上洛の挨拶を終えた道誉は京極高辻の館に入った。
「汗を掻いた故、身体を清めたい」
道誉は小弥太に命じた。
「ははっ、直ぐにご用意致します」
この時代、現在のような浴槽の中のお湯に浸かるという温湯浴はまだ存在せず、蒸気浴が主流だった。つまり蒸し風呂だ。もっと分かり易い言葉で言えば、サウナである。浴衣を纏い蒸気が満ちた湯屋に入り、その中で汗や垢などの汚れを湯で洗い流し、手拭いなどを使い拭き取るのだ。
蒸し風呂で身体を清めた道誉は、小弥太が用意した新しい衣装に着替えた。
墨色一色の地に、金糸、銀糸で猛虎の刺繍を施した直垂だ。
近習によって腰帯が締められると、
「殿」
と小弥太が脇差を道誉に渡した。
「ふむ」
道誉は受け取った脇差を腰に差した。
それを確認して、最後に小弥太は太刀を道誉に渡した。
太刀を腰に佩びると、道誉は、
「仁助をこれに」
と小弥太に告げた。
五十がらみの仁助は、主にこの京極高辻の館を預かる家宰だった。
暫くすると、奥書院に仁助が現れた。烏帽子を被っているので分からないが、彼の頭髪は既に抜け落ちており、辛うじて髷が結える程度しか残っていない。
「柏原の吉田厳覚に申し付け渡せ。戦に備え貯えよ」
道誉は顎をしゃくって仁助に命じた。
「仰せの儀、確と承りました」
仁助は恭しく一礼した。
道誉は、何れ大きな戦いが起こるに違いないと睨んでいる。
後醍醐天皇とその側近たちは、常に倒幕を念頭に置いている。道誉は彼らからの誘いを何度か受けてはいるが、その去就は未だ定まっていない。戦は一人でするものではない。人数が必要なのだ。何度も書くが、清和源氏の棟梁たる足利高氏次第で、勝機が鎌倉方、朝廷方のどちらに転ぶか分からない。
ただ今言えることは、間違いなく戦が起こる、ということだけだ。
「仁助、俺はこれから日野卿に会いに行くので、留守を頼んだぞ。供は嘉兵衛一人のみでよい。余り仰々しいと先方も迷惑だろう」
道誉は唇の端に薄い笑みを浮かべた。
馬に乗って京極高辻の館を道誉が出立したのは、日が傾き掛けた申の刻(午後四時頃)だった。直垂の中に伽羅の匂い袋を忍ばせている。
京極高辻の館を出た直後から、六波羅探題の密偵らしき者が道誉主従の追跡を開始した。密偵は三人だ。何れも馬に乗っている。
道誉もそれに気付き、並走する嘉兵衛に、
「さてどうする」
と尋ねた。
「懲りぬ奴らでござる。拙者が相手致しましょうか」
聊か腕に覚えがある嘉兵衛が言った。
「否、それには及ばぬ。このまま日野殿のお屋敷に向かうぞ」
「はっ」
嘉兵衛は短く答えた。
辻を右に折れ、暫く進むと、日野俊基の館の土塀が見えた。道誉主従を追跡する六波羅探題の密偵は依然、付かず離れずの絶妙な距離を保ったままこちらの様子を窺っている。
「如何致しますか」
「捨て置け、彼奴らの狙いはこの俺がどこに向かう気なのか探っているだけだ。我らを襲う気があるのならばとっくに襲っておろう」
道誉は涼しげな表情を崩すことなく平然と言い捨てた。
「然様で」
嘉兵衛も何事もなかったかのように頷く。
やがて道誉主従は日野俊基の館の門前に辿り着いた。門衛の雑色に身分を名乗り、邸内に案内された。二人は奥の書院に通された。暫くすると、道誉の前に俊基が現れた。白い水干を着ている。俊基は道誉の眼前に腰を下ろした。
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