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第三章
二
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七月に入ったある日、道誉は小姓の小弥太を通じて妙な噂話を耳にした。
「誠のことか小弥太、その話っ!?」
かっと目を見開き、道誉は小弥太を凝視した。
「はい、某が耳にしたところ、前年の夏に、この鎌倉の地に流れ着いた白拍子の旅の一座の女子(おなご)が、秋の初めに男児を産み、産まれた赤子を葛西ケ谷にある北条家所縁の寺東勝寺に預けたとの由に」
「その白拍子の名は何と申すっ」
「存じ上げませぬ」
「…………」
無言のまま道誉は小弥太を見据えた。
「出掛ける。直ぐに仕度せいっ」
「何処にお出掛けになられまする」
「知れたことを訊くでない。東勝寺に決まっておろう。俺が自ら確かめて来る」
言い出したら止められない道誉の性格を熟知している小弥太は、
「ならばこの小弥太もお供仕る」
「ならぬ。そちはここに残っておれ」
言い捨て、道誉は奥書院を離れ、厩に向かった。
栗毛に跨ると、道誉は供廻り衆を一人も付けづ、葛西ケ谷の東勝寺へ向け疾駆した。
東勝寺は、鎌倉幕府第三代執権で、名君の誉れ高い北条泰時が北条家の菩提寺として建立した関東十刹の一つであった。山号は青龍山といい、開山は明菴栄西の弟子、退耕行勇だった。
執権に就任した泰時は、鶴岡八幡宮の境内南東の滑川を越えた葛西ケ谷に、北条氏の菩提寺として嘉禄元年(一二二五)に建立した。
山門の前で下馬すると、栗毛の手綱を杉の幹に括り、道誉は東勝寺の境内に足を踏み入れた。
境内に入ると道誉は誰かいないか辺りを見回した。
箒で庭を掃く小僧を視認すると、
「俺は佐々木道誉と申す者じゃ。これ、ちとものを尋ねる」
すると小僧は箒を持つ手を止め、怪訝そうに道誉を見やった。
勝色の地に、艶やかな唐紅で赤蜻蛉を染め上げた派手な直垂を纏った道誉の婆沙羅な姿に驚きを隠せずにいた。
「前年のこの頃、一人の女性が、赤子をこの寺に預けなかったか」
道誉の問いに、小僧は怪訝そうに首を傾げる。
すると、他のところで庭を掃いていた小僧の兄弟子らしき青年僧侶が、道誉の許に近付いて来た。
「何用でございますか、お武家様」
「俺は鎌倉殿に使える家人の佐々木佐渡守高氏入道道誉と申す」
「拙僧は、文円と申しまする。して、佐々木様当山に一体何用あって参られました」
と言うと、文円と名乗った若い僧侶は、傍らに立つ小僧に、
「珍念。お前は向こうに行きなさい」
「はい、分かりました文円様」
と答え、小僧は道誉の前から姿を消した。
「前年、一人の女性が、この寺に赤子を預けたと聞いておる」
「ああ」
文円は心当たりがあるらしく小さく頷くと、
「新熊野のことでございますな、佐々木様」
「新熊野と申すのかその赤子は」
「はい」
「で、その赤子を預けた女性の名は、藤の前、あるいは藤夜叉ではなかったか」
「さあ、存じ上げませぬ」
文円は首鵜を傾げるだけだった。
「ただ、それそれは珠のようにお美しいお方でありました」
文円の話を耳にして、道誉は藤の前に間違いないと思った。
「その赤子は今どこにいる」
「さあ」
文円は、新熊野と名付けられた赤子の行方を全く知らないようで、怪訝そうに首を傾げるだけだった。
新熊野を預けた白拍子は、その後二度と寺には現れなかったということを知り、道誉は想いを寄せる女性の消息を掴む手掛かりが途絶えたことに、暗澹たる思いで嘆息を吐いた。
秋が深まった頃、道誉主従は鎌倉を離れることになった。
胡粉色の地に、唐紅で紅葉を模した直垂を纏い、いつもながら派手な狩装束で颯爽と街道を行く。
「誠のことか小弥太、その話っ!?」
かっと目を見開き、道誉は小弥太を凝視した。
「はい、某が耳にしたところ、前年の夏に、この鎌倉の地に流れ着いた白拍子の旅の一座の女子(おなご)が、秋の初めに男児を産み、産まれた赤子を葛西ケ谷にある北条家所縁の寺東勝寺に預けたとの由に」
「その白拍子の名は何と申すっ」
「存じ上げませぬ」
「…………」
無言のまま道誉は小弥太を見据えた。
「出掛ける。直ぐに仕度せいっ」
「何処にお出掛けになられまする」
「知れたことを訊くでない。東勝寺に決まっておろう。俺が自ら確かめて来る」
言い出したら止められない道誉の性格を熟知している小弥太は、
「ならばこの小弥太もお供仕る」
「ならぬ。そちはここに残っておれ」
言い捨て、道誉は奥書院を離れ、厩に向かった。
栗毛に跨ると、道誉は供廻り衆を一人も付けづ、葛西ケ谷の東勝寺へ向け疾駆した。
東勝寺は、鎌倉幕府第三代執権で、名君の誉れ高い北条泰時が北条家の菩提寺として建立した関東十刹の一つであった。山号は青龍山といい、開山は明菴栄西の弟子、退耕行勇だった。
執権に就任した泰時は、鶴岡八幡宮の境内南東の滑川を越えた葛西ケ谷に、北条氏の菩提寺として嘉禄元年(一二二五)に建立した。
山門の前で下馬すると、栗毛の手綱を杉の幹に括り、道誉は東勝寺の境内に足を踏み入れた。
境内に入ると道誉は誰かいないか辺りを見回した。
箒で庭を掃く小僧を視認すると、
「俺は佐々木道誉と申す者じゃ。これ、ちとものを尋ねる」
すると小僧は箒を持つ手を止め、怪訝そうに道誉を見やった。
勝色の地に、艶やかな唐紅で赤蜻蛉を染め上げた派手な直垂を纏った道誉の婆沙羅な姿に驚きを隠せずにいた。
「前年のこの頃、一人の女性が、赤子をこの寺に預けなかったか」
道誉の問いに、小僧は怪訝そうに首を傾げる。
すると、他のところで庭を掃いていた小僧の兄弟子らしき青年僧侶が、道誉の許に近付いて来た。
「何用でございますか、お武家様」
「俺は鎌倉殿に使える家人の佐々木佐渡守高氏入道道誉と申す」
「拙僧は、文円と申しまする。して、佐々木様当山に一体何用あって参られました」
と言うと、文円と名乗った若い僧侶は、傍らに立つ小僧に、
「珍念。お前は向こうに行きなさい」
「はい、分かりました文円様」
と答え、小僧は道誉の前から姿を消した。
「前年、一人の女性が、この寺に赤子を預けたと聞いておる」
「ああ」
文円は心当たりがあるらしく小さく頷くと、
「新熊野のことでございますな、佐々木様」
「新熊野と申すのかその赤子は」
「はい」
「で、その赤子を預けた女性の名は、藤の前、あるいは藤夜叉ではなかったか」
「さあ、存じ上げませぬ」
文円は首鵜を傾げるだけだった。
「ただ、それそれは珠のようにお美しいお方でありました」
文円の話を耳にして、道誉は藤の前に間違いないと思った。
「その赤子は今どこにいる」
「さあ」
文円は、新熊野と名付けられた赤子の行方を全く知らないようで、怪訝そうに首を傾げるだけだった。
新熊野を預けた白拍子は、その後二度と寺には現れなかったということを知り、道誉は想いを寄せる女性の消息を掴む手掛かりが途絶えたことに、暗澹たる思いで嘆息を吐いた。
秋が深まった頃、道誉主従は鎌倉を離れることになった。
胡粉色の地に、唐紅で紅葉を模した直垂を纏い、いつもながら派手な狩装束で颯爽と街道を行く。
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