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第六章
六
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この時代の出来事を知る上で手掛かりとなる『太平記』や『源威集』や『梅松論』などの書物には、北畠顕家に敗れ九州に逃れた足利尊氏に従い、佐々木道誉が同行したという記実が一切見当たらない。
結論から述べると、道誉は尊氏に従い九州には行っていない、ということになる。
北畠顕家が、足利掃討作戦で畿内を席巻していた建武三年(一三三六)の新春から初夏に掛けて、道誉は領国北近江の地で鳴りを潜めていたのだ。
「北畠顕家卿が、東国に去りましたな」
と家宰の吉田厳覚が、やや安堵した表情を浮かべ言った。
「だな」
道誉は素っ気なく頷く。
勝色の地に、海老色で猩々を描いた直垂を着た道誉は、スイカズラの枝を手に取った。
スイカズラは感じで忍冬と書く。
「この枝のように、身共は長き冬を耐え忍んだ……厳覚、近々京へ上るぞ」
「されど、都にはまだ新田、楠木らの手勢が残って帝の周りを固めておりまする」
「足利はどうした」
昨年受けた左肩の傷も癒え、造詣の深い立花を思う存分愉しむ道誉は、涼しい顔で尋ねた。
「九州の方に放った者共からの報せによりますれば、少弐、宗像などの援けを受け、官軍に属する菊池、大友らを打ち破ったとのことです」
「そうか、相変わらず戦場では強いな、あの男は……」
スイカズラの枝を花瓶に挿し、道誉は感慨深げに言った。
九州で足利尊氏が再起したという一報が齎された頃、柏原の道誉の許を一人の男が訪ねて来た。
楠木正成である。
道誉は警戒することなく正成を館に招き入れた。
「これは珍しいこともあるものじゃ、楠木殿がこのような辺鄙な片田舎にお越しとは」
道誉は正成を、伊吹山を借景とした枯山水の庭に臨む奥の書院に通した。
「流石は当代きっての婆沙羅者と謳われた佐々木殿だけのことはある。見事なものでござる」
枯山水の庭を見やって、正成は感嘆たる声を上げた。
「茶を進ぜよう」
と告げ、道誉は正成に極上の茶を淹れた。
この時代には、のちの千利休に代表される茶道は確立されてはいない。室町時代に入り村田珠光が侘び寂という精神性を取り入れてから、所謂茶道というものが誕生したのだ。
「忝い」
正成は一礼し、道誉が淹れた茶を飲んだ。
「佐々木殿、どうか帝をお助けして頂きたい」
茶を飲み干した正成は、道誉を凝視した。
「楠木殿、其処許はもしや……」
道誉は、者悲しげな表情を見せる正成の心中を察し、目の前にいる稀代の戦術家が死を覚悟していると感じた。
そのあと、道誉は近習に命じ、土器と酒肴を運ばせた。
酒肴を載せた膳を、近習が道誉と正成の前に置いた。
「ささ、一献」
と、道誉は酒瓶を手に取り、正成に酒を勧める。
「相済まぬ」
正成は、土器の杯を手にした。なみなみと注がれた酒を飲み干す。
道誉は、正成を持て成すため、入魂にしている田楽師、猿楽師を招き寄せ、邸内に設けた舞台で舞を演じさせた。
「楠木殿、其処許とは違った形で巡り合っておれば、もっと互いを深く知ることが出来た筈でござる」
「縁と申すものは選べませぬ。これも佐々木殿との拙者の生き方の違いでござる……」
正成は深い悲しみの表情を見せた。
柏原の館に一泊し、翌朝道誉主従に見送られ正成は京へ戻って行った。
道誉が正成の姿を見たのはこの日が最後となった。
五月二十五日、九州から東上して来た尊氏率いる足利勢と摂津国の湊川で決戦に及び、新田義貞、楠木正成連合軍は大敗を喫した。この戦いに敗れた正成は、自害して果てた。享年四十三歳であった。
湊川の戦いで、新田、楠木連合軍を破った足利勢は、六月十四日に入京した。
尊氏は光厳上皇を奉じ東寺に入り、そこで先に上洛していた道誉らに出迎えられた。
「上様、祝着至極にござりまする」
道誉は恭しく尊氏に頭を下げた。
「佐々木殿も傷が癒えたと見えて、何よりじゃ」
と言って、尊氏は道誉の手を取って労いの言葉を掛けた。
「ところで上様、主上は如何なさるおつもりでござるか」
道誉が問うと、忽ち尊氏は嫌な顔をした。
「分からぬ」
「和議を結ばれては如何かな」
道誉は、正成との約束を果たすべく、後醍醐天皇を救うため和議の道を尊氏に示した。
「そうだな、考えておこう」
尊氏は素っ気なく言い捨てた。
「つまらぬ意地は捨てられよ」
道誉は再度尊氏に迫った。
道誉は、比叡山に逃げ込んだ後醍醐天皇と新田義貞らを兵糧攻めにするべく、信濃から派遣された守護の小笠原貞宗らと琵琶湖を封鎖して補給路を断った。
近江の戦いで敗れた後醍醐天皇は足利方に降り、義貞は尊良親王と恒良親王(のちの後村上天皇)を奉じて越前国金ヶ崎城に入った。
結局尊氏は後醍醐天皇の面子を重んじ、和議を結ぶことを決めた。和議を受け入れた後醍醐天皇は、十一月二日、三種の神器を光明天皇に譲った。
先の近江の戦いに於いて道誉は、官軍に降伏すると見せ掛け、近江に於ける所領を獲得し、謀略を以って小笠原貞宗を追い出し手柄を独り占めした、と『太平記』に記されている。
七日、尊氏は『建武式目』十七条を定め、いよいよ武家の棟梁として政権運営に乗り出した。源頼朝と同じ権大納言に任じられ、遂には自らを『鎌倉殿』と称するに至った。
月が替わった十二月、廃帝となった後醍醐天皇は幽閉先の花山院を密かに脱出して、大和国吉野へ逃れた。
これを機に、泥沼の戦いが繰り広げられる南北朝時代が幕を開けることになった。
結論から述べると、道誉は尊氏に従い九州には行っていない、ということになる。
北畠顕家が、足利掃討作戦で畿内を席巻していた建武三年(一三三六)の新春から初夏に掛けて、道誉は領国北近江の地で鳴りを潜めていたのだ。
「北畠顕家卿が、東国に去りましたな」
と家宰の吉田厳覚が、やや安堵した表情を浮かべ言った。
「だな」
道誉は素っ気なく頷く。
勝色の地に、海老色で猩々を描いた直垂を着た道誉は、スイカズラの枝を手に取った。
スイカズラは感じで忍冬と書く。
「この枝のように、身共は長き冬を耐え忍んだ……厳覚、近々京へ上るぞ」
「されど、都にはまだ新田、楠木らの手勢が残って帝の周りを固めておりまする」
「足利はどうした」
昨年受けた左肩の傷も癒え、造詣の深い立花を思う存分愉しむ道誉は、涼しい顔で尋ねた。
「九州の方に放った者共からの報せによりますれば、少弐、宗像などの援けを受け、官軍に属する菊池、大友らを打ち破ったとのことです」
「そうか、相変わらず戦場では強いな、あの男は……」
スイカズラの枝を花瓶に挿し、道誉は感慨深げに言った。
九州で足利尊氏が再起したという一報が齎された頃、柏原の道誉の許を一人の男が訪ねて来た。
楠木正成である。
道誉は警戒することなく正成を館に招き入れた。
「これは珍しいこともあるものじゃ、楠木殿がこのような辺鄙な片田舎にお越しとは」
道誉は正成を、伊吹山を借景とした枯山水の庭に臨む奥の書院に通した。
「流石は当代きっての婆沙羅者と謳われた佐々木殿だけのことはある。見事なものでござる」
枯山水の庭を見やって、正成は感嘆たる声を上げた。
「茶を進ぜよう」
と告げ、道誉は正成に極上の茶を淹れた。
この時代には、のちの千利休に代表される茶道は確立されてはいない。室町時代に入り村田珠光が侘び寂という精神性を取り入れてから、所謂茶道というものが誕生したのだ。
「忝い」
正成は一礼し、道誉が淹れた茶を飲んだ。
「佐々木殿、どうか帝をお助けして頂きたい」
茶を飲み干した正成は、道誉を凝視した。
「楠木殿、其処許はもしや……」
道誉は、者悲しげな表情を見せる正成の心中を察し、目の前にいる稀代の戦術家が死を覚悟していると感じた。
そのあと、道誉は近習に命じ、土器と酒肴を運ばせた。
酒肴を載せた膳を、近習が道誉と正成の前に置いた。
「ささ、一献」
と、道誉は酒瓶を手に取り、正成に酒を勧める。
「相済まぬ」
正成は、土器の杯を手にした。なみなみと注がれた酒を飲み干す。
道誉は、正成を持て成すため、入魂にしている田楽師、猿楽師を招き寄せ、邸内に設けた舞台で舞を演じさせた。
「楠木殿、其処許とは違った形で巡り合っておれば、もっと互いを深く知ることが出来た筈でござる」
「縁と申すものは選べませぬ。これも佐々木殿との拙者の生き方の違いでござる……」
正成は深い悲しみの表情を見せた。
柏原の館に一泊し、翌朝道誉主従に見送られ正成は京へ戻って行った。
道誉が正成の姿を見たのはこの日が最後となった。
五月二十五日、九州から東上して来た尊氏率いる足利勢と摂津国の湊川で決戦に及び、新田義貞、楠木正成連合軍は大敗を喫した。この戦いに敗れた正成は、自害して果てた。享年四十三歳であった。
湊川の戦いで、新田、楠木連合軍を破った足利勢は、六月十四日に入京した。
尊氏は光厳上皇を奉じ東寺に入り、そこで先に上洛していた道誉らに出迎えられた。
「上様、祝着至極にござりまする」
道誉は恭しく尊氏に頭を下げた。
「佐々木殿も傷が癒えたと見えて、何よりじゃ」
と言って、尊氏は道誉の手を取って労いの言葉を掛けた。
「ところで上様、主上は如何なさるおつもりでござるか」
道誉が問うと、忽ち尊氏は嫌な顔をした。
「分からぬ」
「和議を結ばれては如何かな」
道誉は、正成との約束を果たすべく、後醍醐天皇を救うため和議の道を尊氏に示した。
「そうだな、考えておこう」
尊氏は素っ気なく言い捨てた。
「つまらぬ意地は捨てられよ」
道誉は再度尊氏に迫った。
道誉は、比叡山に逃げ込んだ後醍醐天皇と新田義貞らを兵糧攻めにするべく、信濃から派遣された守護の小笠原貞宗らと琵琶湖を封鎖して補給路を断った。
近江の戦いで敗れた後醍醐天皇は足利方に降り、義貞は尊良親王と恒良親王(のちの後村上天皇)を奉じて越前国金ヶ崎城に入った。
結局尊氏は後醍醐天皇の面子を重んじ、和議を結ぶことを決めた。和議を受け入れた後醍醐天皇は、十一月二日、三種の神器を光明天皇に譲った。
先の近江の戦いに於いて道誉は、官軍に降伏すると見せ掛け、近江に於ける所領を獲得し、謀略を以って小笠原貞宗を追い出し手柄を独り占めした、と『太平記』に記されている。
七日、尊氏は『建武式目』十七条を定め、いよいよ武家の棟梁として政権運営に乗り出した。源頼朝と同じ権大納言に任じられ、遂には自らを『鎌倉殿』と称するに至った。
月が替わった十二月、廃帝となった後醍醐天皇は幽閉先の花山院を密かに脱出して、大和国吉野へ逃れた。
これを機に、泥沼の戦いが繰り広げられる南北朝時代が幕を開けることになった。
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