道誉が征く

西村重紀

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第七章

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「全く以ってふざけた御仁よ。情けを仇で返すとは」
 先帝後醍醐天皇の逃亡の一報を、京極高辻の館で聞いた道誉は呆れ果て、渋面を作り憮然と言った。
 花山院を密かに抜け出したことを詰っている訳でない。
 後醍醐天皇が、脱出した際、
「そちら側に渡した三種の神器は偽物で、本物の神器は我が手の中にある」
 と、如何にも大人げないことを口にしたからだ。
「して、殿は如何なさるご所存で」
 近頃、家宰に昇格した松村嘉兵衛が尋ねる。
「決まっておろう、最早、こうなった上はどこまでも足利に従うのみ」
 道誉は覚悟を決め腹を括った。
「陸奥の北畠と、北陸へ逃げた新田の動きを探れ」
 道誉は体温の低い声で命じた。
「厳覚」
 と道誉は佐々木家中筆頭の吉田厳覚を呼んだ。
「何でござろうか、殿」
「兵糧の蓄えは如何なっておる」
「充分ございます」
「ふむ」
 道誉は小さく頷いた。
「殿はまだまだ戦が続くと思ってござるのか」
 怪訝そうに嘉兵衛が尋ねると、道誉は、
「このままでは済まぬ。吉野に逃れた先帝が次なる手を打って来るであろう、其方は厳覚と力を合わせ、国境を固めよ。先も申した通り、北陸に逃れた新田の動きに注意致せ、抜かるでないぞ」
「承知仕った」
 嘉兵衛は一礼する。

 やがて季節は再び新春を迎えた。
 建武四年(一三三七)である。
 この年、道誉は家臣高筑豊前守に命じ、犬上郡甲良町正楽寺にある勝楽寺山の麓に城を築き、柏原から本拠地をそこに移した。
 一説には勝楽寺城築城の年は、応安元年(一三六八)とされている。
 昨年の晩秋に『建武式目』十七条が制定され、尊氏自身『鎌倉殿』つまり武家の棟梁を称したが、未だ幕府は開かれておらず、正式に征夷大将軍にも任じられていない。
 何故将軍にならぬのかと、道誉は尊氏に詰め寄ることはもうない。近い将来、征夷大将軍に就任する時がやって来る。
 道誉の生活の拠点が北近江柏原から甲良に移ったが、婆沙羅大名としての彼の形は変わってはいない。
 海老色の地に、青竹色の蛙を模した直垂を纏い、新築したばかりの勝楽寺城を出ると、尊氏の待つ京へ上った。
 道誉が新たな時代に備え、柏原から勝楽寺城に拠点を移したように、尊氏も居を移した。北朝を後見するため、高倉に館を構えそこを拠点としていた。
「上様にはご機嫌麗しゅう祝着至極に存じ上げ奉る」
 高倉の御所で尊氏と対面した道誉は、歯の浮くような慇懃な挨拶を述べた。
「して、本日は何用でござる、佐渡殿」
 用もないのに来るなと言わんばかりの尊氏の物言いに、道誉は涼しい顔で、
「そろそろ頃合いかと思いまして」
 と平然と答えた。
「何の頃合いでござるか」
 尊氏はすっ呆ける。
 昨年、先帝後醍醐天皇が京から吉野へと逃亡し、形ばかりであるが一応鎌倉幕府に続く武家政権は成立した。
 先の後醍醐天皇が興した建武政権が崩壊した要因は、鎌倉幕府倒幕に功があった武将に対する恩賞が不公平だったからだ。
 その点、武家出身の尊氏は旨く遣って退けた。足利方に従って官軍と戦った武将たちの反感を買わないように旨く処理した。道誉自身も恩賞に預かり、少なからず所領も増えた。
 のちに道誉は、室町幕府の政権下で若狭、近江、出雲、上総、飛騨、摂津の守護を歴任。引付頭人、評定衆、政所家宰の要職に就いている。
「将軍になられては如何か」
 道誉は尊氏に迫った。
 尊氏には優柔不断なところが見受けられる。
 鎌倉幕府に反旗を翻した時も、また建武政権に逆らった時も、常に彼の背中を押した人物が道誉だった。
「まあ、時期が来ればそのうちに……」
 尊氏は言葉を濁した。
「それはそうと、佐渡殿、霊山の北畠が動いたのう」
「然様でござるな。して、上様は如何なさる」
「決まっておろう、不埒者は討つ。今上の帝に北畠顕家追討の綸旨を賜る所存だ」
 先年、吉野の後醍醐天皇は、伊勢にいる北畠親房を通じ、陸奥国霊山城に居を構える顕家に、京奪還の綸旨を出している。
 顕家はそれに応え、八月十一日義良親王を奉じ奥州各地から集った将兵十万を従え、霊山城を発った。
「然らばこの佐々木判官道誉めに、北畠討伐の命を下され」
「ん? 下心があるようじゃの佐渡殿」
 尊氏はじろりと道誉を睨め付けた。
「滅相もござらん」
 道誉は臆することなく白を切った。
「まあ、考えておこう。その時が来れば御辺のお力を借りねばならぬであろうからな」
 尊氏は口髭を紙縒りながら言った。
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