傾国の女 於市

西村重紀

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第三章

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 信長が京を離れた僅かな隙を衝いてそれは起こった。
 本圀寺の変である。
 永禄十二年(一五六九)一月五日未明。まだ夜が明け切らぬ京を、三好長逸、三好宗渭、岩成友通ら三好三人衆が襲ったのだ。あわや永禄の変の二の舞となるところであった。
 彼ら三好三人衆は、嘗て二条御所を襲撃し、十三代将軍足利義輝を弑逆していた。今度は、その弟で、本圀寺を仮の御所としていた義昭の命を奪おうと試みたのだ。
 京に残った明智光秀をはじめとし、三好義継、松永久秀らの活躍もあり、何とか事なきを得るに至った。
 危機を知った小谷城の長政も手勢を率い馳せ参じた。
 無論、岐阜にいた信長も、豪雪の中僅か二日間で京に駆け付けた。
 そこで長政は義兄信長と再会を果たした。
「この備前も上様の危機を知り、居ても立ってもいられず馳せ参じました次第にて」
「うん、上様に大事なく何よりであった。俺は新たに御所を設けようと思っておる」
「御所?」
 長政が首を傾げる。
「此度のこともある故、この本圀寺では心許ない。幾ら堀や塀を回らしたとはいえ、所詮寺は寺に過ぎぬ。二条の地に新たに御所を造営致す」
 信長は、板張りの床の上に広げた地図に記された二条の地に、黒い碁石を置いた。
「どう思う備前殿」
「それは良きお考えかと」
「よしっ、畿内に触れを出し、早速取り掛かると致そう」
 間もなくしてその言葉通り信長は、義昭のために二条御所の造営に取り掛かった。

 この年、於市は二度目の妊娠をした。夫長政との間に出来た初めての子を孕んでおり、目立ち始めたお腹を摩りながら、
「畿内各所の寺院の石仏や墓などを壊し、それを二条御所の造営に使うとは、何と罰当たりな、天罰が下らねば宜しいのですが……」
 於市は、相変わらず無茶をする従兄信長の身を案じるように言った。
「まあ、義兄上らしいと申せば義兄上らしいではないか」
 長政は、愛妻の腹に手のひらをあてがい摩りながら言った。
「他家に預けた子じゃが」
 ここまで語ると長政は口籠った。
 於市は横目で夫長政を見やった。
「如何致したのですか」
 不安気な眼差しを向けながら於市は訊ねる。重篤な病にでも罹ったのかと思い心配したのである。しかしそれは於市の思い過ごしだった。
 長政は満面に笑みを浮かべ、口を開いた。
「茶々と名付け、我が娘として引き取ろうと考えておる」
「お茶々……」
 於市は怪訝気味に首を傾げ眉根を寄せた。
 確か、従兄信長は、盟友徳川家康の嫡男の許に嫁がせた娘を、五徳と名付けた。
「殿、まさか従兄」あに)上に」
「済まぬ於市。姫のことを義兄上に申し上げた」
「ではやはり、茶々と名付けられたのは従兄(あに)上でございましょうか」
 於市の問い掛けに、長政は答えようとしなかった。
 その代わりに、話題を変え、
「近々義兄上は、伊勢に兵を送られると聞いておる」
 と告げた。
「伊勢に……」
「ああ」
 長政は小さく頷いた。
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