十年目に咲く花

栗木 妙

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 ――あー、もう、やってられっか!!
 寝台の上から、敷布と掛布を引っぺがし、それらの端と端を解けないよう固く結び付けると、敷布の反対側の端を寝台の脚に縛り付けた。
 掛布の端を手に握り、その足で窓へと向かう。
 既に、こっそり香炉へ放り込んだ催眠作用のある薬草が効いていて、周囲の人間は皆、眠りの淵に在る。誰にも見咎められることは無い。
 そっと窓を開くと、その向こうへ、手にしていた掛布の端っこを投げ捨てた。
「…よし、準備完了」
 後は、この布を伝って窓から逃げ出すだけでいい。
 ――その前に……、
 やおら踵を返して部屋へと取って返すと、寝台の横にある棚の引き出しから、護身用の短刀を取り出した。
 腰まで垂れる重く長い自分の髪を一括りにすると、ひと思いにバッサリ根元から切り落とす。
 握った手の中に残された、その長い髪を、寝台の上へ無造作に撒き散らした。
 ――うん、これでいい。
 初夜を迎えるべき花嫁が髪を切り落として失踪、なんて、どこまでも恥さらしな醜聞にでもなればいい。
 そして、用意しておいた僅かばかりの私物を入れた袋を背に負うと、そのまま布を掴んで窓の外へと身を躍らせた。


 ――本当に……一体、どうしてこんなことになったのか。


 それは、あまりにも急すぎる実父からの呼び出しが発端だった。
 十五歳の頃から約十年、神殿に放り込まれて以来、世俗と共に親子の縁まで絶たれていた庶子の娘に、今さら一体なんの用なのか、と。
 取るものも取り合えぬまま、ただ急かされるかのようにして神殿から引きずり出され、そうやって十年ぶりに相まみえた父が、開口一番、言った言葉。
『貧相だが、そう悪くはないな』
 ――それが十年ぶりに会う娘に対する言葉なのかよ。
 貧相で悪かったな! 清貧を尊ぶ神殿の人間が、そうそう良いモンばかり食べてられると思うなよ! この脂ぎったクソジジイめ! ――などと扱き下ろしたいのはヤマヤマだったが、そこはそれ、しおらしく『申し訳ありません』と返しておくにとどめておく。
 これでも、自分が痩せ過ぎて貧相な体型をしているという自覚はあるのだ、何を言われても仕方ない。
『その貧相なわたくしに、今さら何の御用でしょう?』
 それは過分な嫌味口調で言ってやったのだが、しかし、この父の表情はビクともしやがらない。
 挙句の果てには、こんなことまで言ってくれやがったのである。
『アリーシア。――其方は、ユリサナ皇太子殿下の側妃となるのだ』


 我が国サンガルディア王国が、つい一年ほど前からユリサナ帝国の属国となっていることは知っていた。――理由は単純、戦争に負けたからだ。
 時の国王の死を以て、我らが国家はユリサナ帝国に明け渡された。
 神殿に引き籠っていたので細かい事情はよく知らないが、しかしユリサナ帝国は、我が国を自国に併合せず、さすがに絶対王権のみは奪ったものの、これまで通りの形で存続することを許したのだという。
 だから、前王の側近として政務に深く関わっていた一部の重臣を除き、貴族はこれまでどおりの爵位を継続することを許された。
 ゆえに、私の父――ティアトリード侯爵も、然り。
 もともと父は、三公爵家――この国の貴族の頂点に君臨する由緒ある名門の三家、これに次ぐ名門として名を馳せていた家の当主である。我が国がユリサナの属国となった後も、その立場が変わることは無かった。
 だからこそ……王や三公爵家に媚を売って現在の地位を保ってきたからこそ、今度は、新たな我が国の支配者となったユリサナ帝国に阿ることを、考え付いたのだろう。
 戦争のために狂わされていた我が国の内政も、徐々に立て直されつつあり、ようやく新たな王も立てられた現在。
 しかし、その全ての中心に居たのは、我々を滅ぼさんとしたユリサナ軍の総司令官であった、ユリサナ帝国皇太子シャルハ殿下であったことは、誰の目にも疑いようは無いだろう。
 王権を奪われた我が国の、実質的な裁定者は、今後ユリサナ帝国から派遣される監督官となる。
 現状、その監督官として我が国に駐留し政務に当たっているのが、そのシャルハ殿下だったのである。
 殿下こそ、現在のサンガルディア王国で最も権力を握っている御方、と云っても、決して過言ではないに違いない。


 そのシャルハ殿下と誼を結び、あわよくば三公爵家にも取って代わらんという、大方そんな身の程も弁えぬ大それた野心でも抱いたのだろう。あの強欲な父のことだから。
 しかし当然のことながら、殿下に阿り誼を結ばんと企んだのは、何も私の父だけではなかった。
 同じく強欲な有力貴族たちは、やはり一様に同様の企てを抱いていたのだろう、こぞって自分の娘を殿下に差し出そうとしていたようだ。
 そんな貴族たちに対して、シャルハ殿下は、こう告げたのだという。


『頭の足りない若い娘などに興味は無い。どうしても私に妃を娶らせたいならば……そうだな、美しいことは勿論だが、せめて年齢は二十五歳以上の、男と対等に渡り合える知識を持った女であれば、言うことは無いな。そのような娘がいるならば喜んで貰ってやろう』


 ――それ、遠まわしに断られてんだよ! わかれよ、それくらい!


 聞いた途端、即座に叫びたくなったよね。それを。
 なぜなら、妃となるべく献上される娘は、処女であることが絶対条件なのである。それは、我が国でもユリサナでも変わらない。もしそうでない娘を偽って献上したとなれば、不敬を問われて投獄されてもおかしくはない罪となるのだから。
 そして、我が国の貴族の娘の結婚適齢期は十五~六歳、ってところだ。よっぽどの事情や身体的欠陥でもない限り、遅くとも十八歳までには嫁に出されるのが普通である。
 つまり齢二十五にして未通の娘など、この国の貴族社会に存在していようはずもないのだ。
 よしんば、それが居たとしよう。しかしながら、その上さらに、“男と対等に渡り合える知識を持っていること”という条件までもが付け加えられてしまえば、まず居るはずがない。
 貴族の女性にとって、学なぞは不要なものだからだ。この国において、政治やら何やら世間の小難しい理屈を学ぶことは、男だけの特権と云ってもいい。女が学ぶべきは、家政一切を取り仕切るための方法のみだ。――個々の頭の善し悪しは別として、知識に関してだけを云うなれば、とてもじゃないが“男と渡り合える”ものでは決して有り得ない。最初から土俵が違うのだから。
 自らを美しく着飾ることは貴族女性の嗜み、美しいだけの娘ならば、あっちこっちにごろごろいる。
 しかし、それを好まないがゆえに、殿下はこんな条件を出したのに違いない。
 最初から『貴族の娘なんざ自分には必要ない』と……そう言われているに等しいというのに、それがどうしてわからないのか、このボンクラ親父は……!


 案の定、その条件を聞いて、大抵の貴族は引き下がるしかなかった。
 引き下がらなかったのは、このアホ親父だけだ。
 なぜなら、この私、という切り札を思い出してしまったからだ。
 もう十年も捨て置いていた娘のことを、何故そこで思い出してくれちゃうのか、このクソ親父め……!


 私は、もうすぐ二十五歳になる。
 十五歳の時から神殿に籠もりきりで過ごしているため、誰の手垢の付いていることも無い。
 更には、籠りきりの神殿ですることといったら読書くらいしか無いので、今や男でも読むのが難しいとされている古代文字の文書まで読めるようになっている。
 そのことが、おおかた本を貸し出してくれる責任者である神官長あたりから、父に伝わってしまったのだろう。
 当然、『そこまで出来れば充分だ』と、それで一方的に“男と対等に渡り合える知識を持った女”として認定されてしまったのだ。
 最たる前提条件である美しさについては、父自ら『貧相』と云うくらいだから、そこは甚だ不安の残る部分ではあるものの……とはいえ、土台さえそう悪くなければ、金と手間をかければ何とかなるものであることも、父は充分に知っていた。


 そうして、こちらが何の異を唱える隙さえ与えて貰えぬままに、あれよあれよという間に話が勝手に進んでしまい……、
 いつの間にやら、こうして王宮にまで連れ込まれることとなっていたのである。


 いったん神殿に戻って私物を纏めてくる、なんていう暇さえ与えられなかった私には、とりあえず持ってきていた数種類の薬草、これだけしか武器がなかった。
 これを使って、どうにかして脱出するしかないと、作戦を練りに練った。
 しかし結局、一人になれる隙が無いかとうかがっている間に、とっとと初夜当日が来てしまった。
 もはや、のっぴきならない状況にまで追い込まれ、仕方なく今夜、その作戦を実行に移すことにしたのである。


 布を伝って窓から地面へと降り立つと、その冷たさが足の裏から伝わった。
 夜の空気に触れて、思い出したように身体が震える。
 考えてみれば、薄い夜着と室内履き、という格好だった。いくら季節は夏とはいえ、何か羽織るものくらい持ってくればよかったかもしれない。
 しかし、ここまで来てしまった以上は、取りに戻っている暇など無い。
 腹を決めて、そのままくるりと踵を返した。
 とにかく、夜の闇に紛れて逃げなくてはならない。どこかに外へ出ていく荷馬車でもあれば、荷の陰にでも隠れて宮殿の外へ出ることができるかもしれないが……、
 そんなことを取りとめもなく考えながら走り出した途端、ふいに行く手に、大きな影が道を塞ぐようにして現われた。
 驚いて、思わず足が止まる。
 それは人間だった。――明らかに男性で……そして、夜の闇でも分かる金色の髪……。
 私も見知っている人間の中に、そういえば金髪の持ち主が、一人いた。


「――アリーシア嬢……?」


 その影が、驚いたような呟きを洩らす。
 ――やっぱりか……! つーか、なんでよりにもよって、“この人”に見つかるのっっ……!
 慌てて反対方向に踵を返すと、そのまま逃げ出そうとする。
 しかし、幾らもいかないうちに、ぐっと腕が掴まれたような気がして、と同時に、首の後ろあたりに何か鈍い衝撃を感じた。
 そして視界が真っ暗になる。


 ――本当に……だから、どうして、こんなことになったんだっつの……!


 暗転してゆく意識の向こう側で、自分がゆっくり抱え上げられて運ばれていくような気配だけは、何となくわかった―――。



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