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5ようやく十歳
しおりを挟む十歳になり、黙って出ていくのも礼儀に欠けるかと思い使用人に出ていく日を伝えてもらう様お願いしていた。
あまり期待はしていなかったが、新しい服と路銀、少しの食料を渡された。
この狐の里から中央の都まで、大人の足で一月掛かる。着くまでの乗合馬車も手配してくれていた。驚きだ。
見送りは無かったが、馬車の時間があるので普通に屋敷を出た。
屋敷を出るのは簡単だ。
出るなと言われていたが、食料調達の為毎日抜け出していた。
本日は出て行った事を知らせる為にも門からちゃんと出た。
門番達は真っ黒な狐の子供に奇異の目を向ける。
やれやれの思いながらも頭を下げて屋敷を離れた。
新しく貰った服の中にフード付きマントが入っていたので、黒髪をぎゅうぎゅうに縛りフードの中に隠した。瞳の黒は隠しようが無いので、目深に被ってなるべく顔が出ない様にしておく。
馬車には様々な獣人が乗り合わせている。
真っ黒の毛は忌み嫌われるので、隠しておいた方が無難だ。
尻尾も服の中に入れておいた。
季節的には春に近づこうかという季節。陽が差せば暑いのだがすっぽり身体が出ないようにするしかない。
幌馬車の一番後ろに座り、隙間から見える外を眺めて過ごした。
畦に咲く小さな野の花。
小川に反射する白い陽の光。
長閑な田畑も遠くに薄っすらと見える山並みも、遠い昔と何も変わらない。
望和の記憶から見れば、ここはかなり田舎だ。田舎というより日本昔ばなしだ。
日本と中国が混ざった様な、精密機械なんてない昔の世界。
車もビルも電線もない。
不便で娯楽のない世界だ。
だけど、珀奥の記憶では凄く懐かしい景色だった。
この神浄外はゆっくりと時が進む。
国という単位では一つしか存在しない。
八体の神獣が長い時を統治する世界だ。戦争もないし、寿命も長い。普通の獣人でも、種族によって違うが百五十から二百歳あたりまで生きる。神力が多い龍族は一千年普通に生きる。
だからか文明の発達は緩やかなのだ。
流れる雲を見上げて、帰ってきたのだなとしみじみと思う。きっと望和として生きていた時に記憶が有れば、郷愁に駆られていた事だろう。
珀奥はこの神浄外が好きだった。
狐の種族を大切に思い、天狐として守っていた。
だけど望和として一つ生を挟み、黒狐として生まれ変わってみると、その想いは少し…、いやかなり無くなってしまった。
神浄外の事は相変わらず好きだが、狐の種族に対する思い入れは薄れてしまった。
たかが毛の色でそこまで態度を変えるとは思いませんでしたね………。
風が吹きフードを持ち上げようとするので、手で裾を引っ張り飛ばない様にした。
銀狼となった伊織も、私のななも、この黒い毛を見て嫌な顔をするのだろうか。
そう思うと、少し心が苦しかった。
中央の都まで後三分の一。
途中で泊まった宿場町で、お祭り騒ぎかという賑わいに出会した。
馬車も獣人達も皆道の端に避けてしまう。
これにより出発時間を過ぎたのだが、業者も顔を輝かせながら何かを待っている様だった。
誰かが金狐だと期待に膨らむ声で言っていた。
金狐…、という事は朝露が通るのでしょうか?
既に幌の中に座っていたのだが、黒は幌を捲って顔を覗かせた。
それがいけなかった。
バチリと金色の瞳と目があった。
まさか今通っている最中とは知らず、通り過ぎようとしていた朝露と目があってしまったのだ。
向こうは幌などではなく、ちゃんと屋根付き扉付きの馬車に乗って、暑いからか窓を開けていた。
朝露が一緒に乗っている従者に何やら話し掛けているのが見えた。
馬車はゆっくりと止まり出し、黒が乗っている幌馬車を少し通り過ぎて停止した。
朝露の馬車は一台ではない。馬車の前後に護衛が乗る馬が並び、後ろには五台の荷馬車が並んでいた。ほぼ全て朝露の荷物かもしれない。
朝露が態々降りて来た。
「黒も来ていたんですね。」
鈴を転がすような愛らしい声で黒に話し掛けてきた。
黒はうんざりする様に幌馬車から降りて、朝露の前に出る。
何気にこれが神浄外に来て初めての会話ではないだろうか。
朝露からも黒と呼ばれて、黒は少しムッとする。朝露の前世は愛希なのに、まるでそんな事知らないかの様に話し掛けてくる。
「お父様達も教えてくれればよかったのに…。その馬車で来たんですか?真っ黒の毛並みでよく乗れましたね。」
言わなくていい事を態とらしく周囲に聞こえる様に朝露は言った。
黒?と、一緒に乗っていた乗客がざわつき出す。
「周りの方に黙っておくのは誠意に欠けると思います。フードをとってはどうですか?」
朝露と話したのは初めてだが、黒はムカムカしてきた。この黒毛を見せればもう馬車には乗れない。それをわかっていて、黒毛を晒せと言っているのだ。
スルリとフードを取ると、黒い髪黒い耳が現れた。
朝露が満足気に笑う。
周りにいた獣人達が、驚いて黒の周りから離れた。
「僕は宮仕に志願するつもりです。黒は兵士ですよね?向こうでは話し掛けない様にして下さいね。」
朝露はそう言い捨てて自分の馬車へ戻り、去って行った。
言いたい事だけ言って、行き先は同じなのに相乗りもさせないつもりだ。期待はしてないけど。
黒は、はぁと溜息を吐いた。
朝露には色々と聞きたい事もあるのだが、全く話せなかった。
ギャラリーが多過ぎて聞ける内容ではないし、黒毛を晒した瞬間の周りの視線の冷たさに、何を言ってもコレはダメだなと感じてしまった。
「なぁ、きみ!」
突然年配の男性から声を掛けられる。
乗合馬車の業者だった。
「何でしょうか?」
「何でしょうかじゃないよっ!黒なら黒って最初から言っててくれないと!お前を乗せるのはここまでだ!コレは残りの乗車賃を差し引いた分だからっ!」
そう言い置いて小銭の入った袋を黒の前に放り投げる。
業者も言うだけ言って、さっさと業者台に乗ると、他の乗客を急かせて乗せて走らせて行ってしまった。
「…………………はぁ~~~、マジですかぁ。」
何故幌馬車から外を覗いてしまったのか。
自分の迂闊さが恨めしい。
何より朝露の嫌らしさがムカついた。
今ちょうど三分の二程度進んでいるが、
子供の足で残りを歩くには時間が掛かる。
大人の足で十日程度。歩くしかないかと足を一歩出した時、背後から声を掛けられた。
「なぁ、まさか歩きで行くつもりか?」
振り返ると白い毛並みの狐獣人が立っていた。歳は十代半ば、白い毛並みと言っても金色がかった毛が所々に混ざっていて、陽の光を浴びてキラキラと反射していた。
とても綺麗な顔立ちなのだが、この容姿に何となく見覚えがある。
少しキツめの眼差しに、薄い唇。白い肌。
誰だっけ?
「え~と、そうですね。馬車にはもう乗れそうもありませんし…。」
「ふーん。乗ってくか?お前小さいし、俺の馬に相乗りで良ければ。」
「えっ………!」
なんて親切な!
「良いのですか?」
「いーぜー。俺は雪代って言うんだ。」
「あ、僕はえーと……多分、黒?」
「何で自分の名前が疑問系なんだよ。」
「あーーー、ははは……。」
「ま、俺も狐の町から出た人間だからお前のこと知ってるんだよな。あれだろ?さっきの金弧の二枝の片割れだろ?信じらんねーなアイツ。あそこで態々黒毛出せってよく言えるな。しかも何だよあの大荷物。嫁入りかよ。」
雪代は狐獣人にしては珍しく金狐である朝露の事が嫌いな様だった。
いくぞ、と言われて手を出されたので、無意識に手を乗せると、ヒョイと持ち上げられて馬に乗せられた。
「わあっ!」
「お前軽いな。んじゃ行くぞー。」
雪代も馬の背に身軽に飛び乗ると、返事も待たずに馬を出してしまった。
雪代という名前に聞き覚えがある。
さて、どこで?
うーんと考えて思い出した。
ゲームの中だ。
雪代という金毛混じりの白毛の狐獣人の名前が雪代だった。
キツイ顔だが美しく、怪しく艶やかな狐獣人。主人公がどの攻略対象者を選んでも、必ず邪魔をしにくる悪役令息だった。
だがなんか違う。かなり違う。
容姿は確かにコレだったし名前も雪代だけど、雰囲気が全く違った。
淑やかで艶かしい美しさのあるゲームの中の雪代と違って、今の雪代は粗野だ。口調も荒かったし、腕も足も程よく鍛えている。
「????」
あのゲームは永然の未来視が元になっているので、艶やかで美しい雪代になる可能性があったのだろうが、どうやら違う成長を遂げたらしい。
ズレた原因は自分の所為というより、金狐朝露だろう。
本来雪代は時期天狐の可能性があるとして、狐獣人の中で蝶よ花よと育てられる。
しかし朝露が生まれたことによって、天狐になるのは朝露だと周りは直ぐに乗り換えたのではないだろうか。
お払い箱になった雪代は、誰からも構われることなく普通に成長した?そうしたらこんな普通の少年になった?
あり得ますね……。
面白い仮説に口元が笑ってしまう。
「はは、なんか面白いか?お前結構酷い目にあってんのに能天気だな。」
サバサバと話す雪代に、黒は好感が持てた。
「はい、雪代さんに会えて良かったです。」
「おー、感謝しろよ~。」
雪代のお陰で余裕で都に到着出来そうだった。
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