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43 生まれた美晴
しおりを挟む巨大な漆黒の木は天にも地にも枝を伸ばし大きく広がっている。
葉は無く、黒い霧状の塊が代わりに茂っていた。
近付くにつれ、小さく引き攣る耳鳴りが大気を揺らし、ズキズキと頭痛を催させ不快感を引き摺り出させる。
あれが妖魔の生命樹。
誰も言葉にはしないが、言われずとも理解出来た。
暗闇の中にあるというのに、その暗闇すら明るく思わせる漆黒の幹は黒々と畝っていた。
「ゲームの中の生命樹より大きいですね。」
呂佳の第一印象はそれだった。
画面上の絵よりも黒が深く巨大だ。
「未来視よりも大きいのは確かだな。」
隣に来た永然も同じ感想を持っていた。
横に広がる一際太い枝には、大きな人一人入れそうな漆黒の卵がぶら下がっていた。
あの中に先代銀狼の聖女美晴が入っているのだろう。
あの卵が割れる前に、卵の中の美晴共々消滅させなければならない。
そして生命樹の中から出来る事なら宙重の龍核と玄武の神核を取り戻さねばならない。
「やあ、来たね。」
卵がぶら下がる枝の上には、比翔が座っていた。
比翔は天凪を見据えた。
「ねえ、天凪……。美晴は君にずっと伴侶にしてとお願いしてたよね。しろとは言わないけど、思わせぶりな態度はいけないと思うんだよね。」
天凪の表情がピクリと動く。
否定はしない。好意を持たれるように動いたのは事実だから。
天凪は召喚される銀狼が現れる度に、そう動いてきた自覚はある。
銀狼に応えるつもりは一度もなかった。
だがそれはどの銀狼にも伝えた。
他の神獣にも、神獣以外の者とも親しくして構わないとも言ってきた。
天凪はあまり人に語らない。
神の意思が邪魔するというのもあるが、それよりも天凪の中には数多の音や映像が入ってくる為、それを抑え込む労力の方が大きい。
神や他人の思考が入り込む為、自分の思考を纏めるのが難しい。
自分の精神が不安定である事を隠して、全ての事を成すのは至難の業だ。
それでも唯一確かにあるのは、霊亀永然の存続だった。
美晴の好意も天凪の中に無遠慮に流れ込んでくる。
なるべくそれが少なるなるよう神力を発散させ、入る情報を抑えてはいるが、気が狂いそうな時もある。
どんなに好意を持たれても応える事は出来ない。
今こうやって話している比翔の意思すら流れ込んできて気持ち悪い。
悪意も好意も全て流れてくる。
それが応龍の力だった。
元々応龍は麒麟と同様に親は無く、神山になる生命樹から生まれる神獣だった。全ての神獣がそうだったのだ。
長い時の中、次の神獣の生命樹が育たなくなった。神浄外の中の神力が減っていった為ではないかという推測が大きかった。
徐々に神獣の神核を種族の中で最も強い者に受け渡すようになっていった。
応龍と青龍は龍人族から、玄武と霊亀は銀狼とその伴侶から生まれ、白虎は虎族の白毛に、鳳凰と朱雀は鳥人族から、唯一種族のない麒麟だけが神山の生命樹から生まれるように変化していった。
応龍の代替わりは一時期短期間に続いた。
何故ならその全てを知る能力に、耐えられる龍人がなかなかいなかったからだ。
仕方なく神によって無理矢理神力が強い者が選ばれるようになった。
応龍の能力は全ての事象を把握し、神に伝える媒体となる事になる。
その神浄外と神との中間地点となる存在が応龍だった。
天凪も歴代の応龍と同じようにその情報量の多さに苦しんだ。しかも幼い内に代替わりした為、幼い精神は焼き切れるように痛かった。
それを癒してくれるのが永然だった。
永然はその神力の多さと、銀狼と神獣から生まれるという特殊な条件の所為で、最も長く生きている神獣だった。
そしてその豊富な神力は天凪を優しく包み込んでくれた。
一緒に居れば永然の神力が入り込む情報を遮断してくれたのだ。
天凪は常に永然を求めた。
神の目になる必要性から情報の遮断を頻繁に行うわけにはいかないが、限界が来そうな時は永然の側に行き、癒してもらうようになった。
それは永然も承知している。
同じ神獣として自身の領地を治める為に常に一緒にはいられないが、天凪が助けを呼べば必ず飛んできて寄り添ってくれた。
銀狼ではダメなのだ。
唯一神力の多さから天狐珀奥も永然と同じような力を感じるが、守ろうとする意思があるのは永然の方なので、天凪を癒してくれるのは当たり前のように永然の方だった。
永然でなければ意味がない。
本当はずっと一緒にいたい。
それは叶わないと知ってても、出来るだけ永然を感じていたかった。
だから永然の周りには水が多い。
龍人の執着だと言われるが、そんな生易しいものではない。永然を感じていないと息が出来ない。
比翔が言いたい事は理解している。
だが無理なものは無理だ。
思わせぶりに優しく銀狼を育てたのは悪いとは思うが、ついその好意が自分に向くよう笑い掛けてしまうのだ。
他の神獣と恋にでも落ちれば次代の霊亀が誕生してしまう。
神は何故そんな理を作ったのか。
何度神に他の神獣の様に指名制に変えて欲しいと願っても、是とならない。
亀は種族的に少ない。龍人よりも遥かに希少。だから新たに生み出していくしかない、という返答。霊亀と玄武は異界に渡る為に大量の神力がいる。普通に生存している亀の獣人では駄目だと言うのだ。
指名制ならば永然にずっと霊亀でいてもらえるのに。
姑息な事をついやってしまう自分に苛立つ事もないのに。
銀狼が誰と恋仲になろうと知ったことではないのに…。
天凪の本音はこれだった。
黙り込んでいる天凪を、比翔はジッと非難する。
永然が天凪の前へ出た。
「比翔、そう言うお前も美晴の為に何をやろうとしている?」
永然が天凪を庇う姿勢に、比翔は不愉快そうに鼻白む。
永然も天凪から死んだ美晴が異界に帰らずに舞い戻り、己の死体に入って神浄外から出て行った事を聞いていた。
神浄外から出てしまうと何が起きているのか分からない。
比翔は比翔でそのまま玄武領に留まっているし、美晴とは別れたきり会っていない。
「分かるでしょう。この卵の中に誰がいるのか。」
「馬鹿なことを……。」
永然は顔を顰めた。
異界に戻り生まれ直せば、神浄外の事なんて忘れるのに。
無理矢理異界から連れられて来る異界人には申し訳ないと思っている。だがそれが霊亀の存在意義であり、そうしないと暗闇の中に入り妖魔を討伐する事が出来ない。
仕方ないのだ。
割り切って銀狼を召喚し、向こうに帰って生まれ変わった銀狼が幸せになる事を願うしかない。
永然から見れば、天凪は親として永然の真似をして銀狼を育てているに過ぎない。
優しく微笑み神力を分け与えて育てている。
天凪は感情が情報に押し潰されて表に出ないのだが、出来るだけ銀狼に寄り添おうとしているのだ。
多少は銀狼の好意が外に向かない様調整はしているが、強制はしない。
他に向いたとしてもそれを止める事はない。
それでも天凪に好意を寄せる銀狼が多いのは事実だ。その美しい容姿と他者を圧倒する神力に、銀狼の目には天凪しか映らなくなる。
天凪にとって銀狼を育てるのは義務だ。キツく育てるよりは優しく育てた方がいい。
それが悪循環になっているのだが、天凪にはどうする事も出来ないだけだ。
それを比翔は理解していない。
天凪の親として、決して天凪は銀狼を弄んでいるわけではないと擁護しているのだが、ただの言い訳と言われてしまう。
その結果が美晴なのだとしても、神の神託の通り、美晴が入っている妖魔の卵を消滅させようと決めている。それが美晴の為だ。
「永然達には愚かな事としら映らないんだろうね。」
「……そうだな。美晴も比翔も愚かだ。あのまま異界に送ってやれば良かったものを。生まれ変われば神浄外の事も、天凪の事も忘れるのに。」
「………………。」
比翔は押し黙った。理解はしているが美晴の悲鳴が可哀想になったのだ。
「その妖魔の卵は消滅させる。」
「…………………もう、無理だよ。美晴は生まれる。銀狼が妖魔になるのって初めてだよね。……………未来視の通りなのかな?見てみようよ。」
比翔は枝の上に立ち上がった。
手に剣が握られている。
「…………っ!やめろっ!」
永然は叫んだが間に合わない。
剣先がズプッと卵に吸い込まれる。
グリッと刃が回転されると、そこからビキビキとヒビが走った。
細かい漆黒の欠片が落ちて、中から白い手が覗く。
「………おはよう、美晴。久しぶりだね。」
大きな欠片がボロリと落ちる。
黒い長髪の頭が見えた。
「おはよう、比翔。……ようやく来たのね。」
穴の中から爛々と輝く大きな丸い目がパチパチと瞬きをした。
瞳も髪も爪も漆黒。
以前あった銀の耳も尻尾も無い、妖魔となった美晴がゆっくり枝にぶら下がった卵の中から出てきた。
「約束だからね。」
まだ二十歳に届かない程度の美晴の容姿は、銀狼として死んだ時そのままだったが、溌剌とした明るさは無くなり、美晴は歪な笑顔を浮かべた。
「ふふ、ほんと、銀狼もちゃんと来たのね。討伐対象は勿論あたしよね?ちぁんと相手するわ。その為に神浄外に残ったんだもの。」
そして、皆んなこの闇の中で死ねばいい。
美晴はそう言って、赤い唇が三日月型に変わる。その中にはポッカリと暗い闇が広がっていた。
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