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第3章 鎌倉の石
第36話 静なる白拍子
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翌日からヒメコと八幡姫は毎日静御前の元に通った。
だが、新三郎が何度取り次いでくれても静御前は具合が悪いと言って会ってくれない。
通い始めて何日経ったか、やっと中に通された。でも現れたのは母君だった。
母君もまた、きっちりとした格好で背筋をしゃんと伸ばして座って二人を迎えた。
「磯禅師言います。娘に代わってお相手さして貰います」
「あの、静御前様は」
「雨乞いについて巫女はんに話せることはないよって。えろぅ強情で堪忍してやっとぉくれやす。ただ舞についてなら、この私でも幾らかお役に立つやもしれんと娘の代わりに出張ってきました。年寄りですんまへんが、よろしゅう」
言って軽く目線を落とす。
ヒメコは磯禅師と対峙した瞬間、祖母を前にしたように感じた。身から溢れる圧倒的な気の力。
何年、何十年と、心と技を磨き続けた者だけが放つ鋭い刃のような手練感が重くのしかかってくる。
ヒメコは床に額を付けて礼をして、快い感情がゾクゾクと背を上っていくのを味わった。
「ありがとうございます。何卒宜しくお願いいたします」
顔を上げたら、磯禅師は鋭い目でヒメコを見下ろしていた。閉じた扇を右の脇に置いて、さて、と口を開く。
「雨乞いの舞など、そないな形のものはあらしまへん。ただ、うちが娘たちに口を酸っぽぅして言うたんは、場に立ったら溶けろゆぅことだけ」
「溶けろ?」
「風に水に人に鳥に。その場の全てに溶けて一体化しろゆぅことですわ」
「風と一体化」
ヒメコはぼんやり繰り返す。
「動と静なら、要となるんは静。やから娘にはしずと名を付けました。動から静の狭間は、この世とあの世との境。その刹那に自ら溶けて全てと一体化でけたら、人も神も皆等しゅう揺り動かされる。それを体現してやっと一人前。うちは母にそう教わりました。それをしずにも教えただけ。今のあんさんに言えるんはこれだけどす。さぁ、帰っとぉくれやす」
磯禅師はそう言って立ち上がり、入り口の戸を開け放った。
「ありがとうございました」
ヒメコは深く頭を下げ、また上げて磯禅師を見た。
「精進いたします」
奥の部屋で誰かがそっと動く気配がした。
動から静の狭間の刹那。
足立屋敷を離れてから、ヒメコは青い深い天を見上げた。八幡姫が隣に並ぶ。
「どういうこと?雨乞いの舞はわかったの?」
黙ってそっと微笑み返した後、ヒメコは振り返って、固く閉じられた戸に向かってもう一度深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます」
わからない。わかるわけもない。でもとても大切なものをいただいた。そう思った。
胸の奥に大切にしまっておこう。たまに取り出してまた考えよう。そのうちにしっくりとくる自分になる筈だから。
「ご縁をありがとうございます」
天と地と足立屋敷にそっと手を合わせ、遠い比企にいる祖母の顔を思い浮かべながら、ヒメコは足取り軽く小御所へと向かった。
「あ」
足が止まる。向こうも足を留めた。
コシロ兄が立っていた。西国に向かう前に鎌倉に連れ戻しに迎えに来てくれて以来。兵が引き上げてきた後、御所でも江間の屋敷でもすれ違いばかりで全く会えなかった。
「お帰りなさいませ」
そう言って頭を下げたら、コシロ兄は「ああ」と答えてくれた。でもすぐに背を向けて行ってしまう。
「姫御前は小四郎叔父上が好きなの?」
「え」
問われて動揺する。
「な、なんで」
「なんでも何もいつも目で追ってるでしょ」
「そ、そんなことは」
否定しつつ、そうかもしれない。気を付けなくては。
久々に聞けた低い声。その響きを思い出してホッと息を付く。無事だった。その姿が見られて声が聞けた。それだけで幸せ。そう思い、先に小御所に入っていく八幡姫を急いで追った。
それから四月に入ってすぐのこと、アサ姫が怒って頼朝に詰め寄っていた。
「私が静御前の舞を見たいと言ってることになってるのはどういうわけ?私がいつそんなことを望んだ?勝手なことを吹聴しないでちょうだい!」
アサ姫の剣幕に頼朝が後退る。
「いや、この所そなたの気分があまり優れないようだから、舞でも見たら気がまぎれるかと思ったんだ」
「私を言い訳にするのはやめてちょうだい!静御前の舞を見たいのは貴方でしょう!」
「いやいや、私だけでなく御家人共も家人達も鎌倉に住まう者ら皆だ。皆が皆、見せてくれと煩くてな。確かになかなか見れぬものだし、御家人達の楽の腕前も試す良い機会になるかと」
「それで四月八日に祭事を行なうと?」
「そうだ。釈迦尊の降誕日だからな」
「貴方の誕生日でもあるわよね」
「それは偶然だ。とにかくその日は花祭りで皆にも甘茶を振る舞う。席を用意するから皆で興じようではないか。姫も参列するそうだ」
ヒメコは驚いて八幡姫を見る。八幡姫は今までそういう席に参加しないで来たのに。
「姫を持ち出して来ても私は許さないからね。ああ、もう、腹立たしい!」
アサ姫はもう一度頼朝をきつく睨んでから足音高く部屋を出て行った。
だが、新三郎が何度取り次いでくれても静御前は具合が悪いと言って会ってくれない。
通い始めて何日経ったか、やっと中に通された。でも現れたのは母君だった。
母君もまた、きっちりとした格好で背筋をしゃんと伸ばして座って二人を迎えた。
「磯禅師言います。娘に代わってお相手さして貰います」
「あの、静御前様は」
「雨乞いについて巫女はんに話せることはないよって。えろぅ強情で堪忍してやっとぉくれやす。ただ舞についてなら、この私でも幾らかお役に立つやもしれんと娘の代わりに出張ってきました。年寄りですんまへんが、よろしゅう」
言って軽く目線を落とす。
ヒメコは磯禅師と対峙した瞬間、祖母を前にしたように感じた。身から溢れる圧倒的な気の力。
何年、何十年と、心と技を磨き続けた者だけが放つ鋭い刃のような手練感が重くのしかかってくる。
ヒメコは床に額を付けて礼をして、快い感情がゾクゾクと背を上っていくのを味わった。
「ありがとうございます。何卒宜しくお願いいたします」
顔を上げたら、磯禅師は鋭い目でヒメコを見下ろしていた。閉じた扇を右の脇に置いて、さて、と口を開く。
「雨乞いの舞など、そないな形のものはあらしまへん。ただ、うちが娘たちに口を酸っぽぅして言うたんは、場に立ったら溶けろゆぅことだけ」
「溶けろ?」
「風に水に人に鳥に。その場の全てに溶けて一体化しろゆぅことですわ」
「風と一体化」
ヒメコはぼんやり繰り返す。
「動と静なら、要となるんは静。やから娘にはしずと名を付けました。動から静の狭間は、この世とあの世との境。その刹那に自ら溶けて全てと一体化でけたら、人も神も皆等しゅう揺り動かされる。それを体現してやっと一人前。うちは母にそう教わりました。それをしずにも教えただけ。今のあんさんに言えるんはこれだけどす。さぁ、帰っとぉくれやす」
磯禅師はそう言って立ち上がり、入り口の戸を開け放った。
「ありがとうございました」
ヒメコは深く頭を下げ、また上げて磯禅師を見た。
「精進いたします」
奥の部屋で誰かがそっと動く気配がした。
動から静の狭間の刹那。
足立屋敷を離れてから、ヒメコは青い深い天を見上げた。八幡姫が隣に並ぶ。
「どういうこと?雨乞いの舞はわかったの?」
黙ってそっと微笑み返した後、ヒメコは振り返って、固く閉じられた戸に向かってもう一度深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます」
わからない。わかるわけもない。でもとても大切なものをいただいた。そう思った。
胸の奥に大切にしまっておこう。たまに取り出してまた考えよう。そのうちにしっくりとくる自分になる筈だから。
「ご縁をありがとうございます」
天と地と足立屋敷にそっと手を合わせ、遠い比企にいる祖母の顔を思い浮かべながら、ヒメコは足取り軽く小御所へと向かった。
「あ」
足が止まる。向こうも足を留めた。
コシロ兄が立っていた。西国に向かう前に鎌倉に連れ戻しに迎えに来てくれて以来。兵が引き上げてきた後、御所でも江間の屋敷でもすれ違いばかりで全く会えなかった。
「お帰りなさいませ」
そう言って頭を下げたら、コシロ兄は「ああ」と答えてくれた。でもすぐに背を向けて行ってしまう。
「姫御前は小四郎叔父上が好きなの?」
「え」
問われて動揺する。
「な、なんで」
「なんでも何もいつも目で追ってるでしょ」
「そ、そんなことは」
否定しつつ、そうかもしれない。気を付けなくては。
久々に聞けた低い声。その響きを思い出してホッと息を付く。無事だった。その姿が見られて声が聞けた。それだけで幸せ。そう思い、先に小御所に入っていく八幡姫を急いで追った。
それから四月に入ってすぐのこと、アサ姫が怒って頼朝に詰め寄っていた。
「私が静御前の舞を見たいと言ってることになってるのはどういうわけ?私がいつそんなことを望んだ?勝手なことを吹聴しないでちょうだい!」
アサ姫の剣幕に頼朝が後退る。
「いや、この所そなたの気分があまり優れないようだから、舞でも見たら気がまぎれるかと思ったんだ」
「私を言い訳にするのはやめてちょうだい!静御前の舞を見たいのは貴方でしょう!」
「いやいや、私だけでなく御家人共も家人達も鎌倉に住まう者ら皆だ。皆が皆、見せてくれと煩くてな。確かになかなか見れぬものだし、御家人達の楽の腕前も試す良い機会になるかと」
「それで四月八日に祭事を行なうと?」
「そうだ。釈迦尊の降誕日だからな」
「貴方の誕生日でもあるわよね」
「それは偶然だ。とにかくその日は花祭りで皆にも甘茶を振る舞う。席を用意するから皆で興じようではないか。姫も参列するそうだ」
ヒメコは驚いて八幡姫を見る。八幡姫は今までそういう席に参加しないで来たのに。
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