97 / 225
第3章 鎌倉の石
第49話 奥州からのモノ
しおりを挟む
また年が明けた。正月九日、小御所の南面で弓始めが行われる。射手は十人。
その中に海野幸氏の姿があり、八幡姫と二人、手を取り合い固唾を飲んで見守る。
幸氏は見事に皆中の腕前を見せ、ヒメコと八幡姫は飛び上がって喜んだ。
その昼過ぎ、八幡姫と共に江間の邸へ赴く。幸氏は馬の世話をしているとかで留守だった。
「ね、重隆。義高様は幸氏と同じくらい弓が上手だったの?」
八幡姫の問いに重隆はええと頷いた。
「若君はそれはそれは見事な腕前でした。ただ」
「ただ、何よ?」
八幡姫に詰め寄られ、重隆は後退る。
「あ、いえ、ただお優しいゆえに狩ではわざと外したりなさることもあり、大殿に叱られていたこともございました」
八幡姫は、そう、と答えると重隆に尋ねた。
「重隆はどうして此度の流鏑馬に出なかったの?弓は得意って言ってた癖に」
「大姫さま」
ヒメコが嗜めた時、後ろから声がかかった。
「重隆は野外の狩では私より早くて腕も確かなのですが、緊張するとたまに的を外してしまうのです」
幸氏だった。
「あら、じゃあ父の前で失敗して本番には選ばれなかったのね」
八幡姫が笑い出す。
「姫さまったら」
「幸氏、余計なことを言うな!」
重隆が幸氏に摑みかかり、二人がじゃれるのを微笑ましく見守る。
ヒメコは頃合いを見て包みを前に出した。
「鯛や椎茸、煮物など祝いの膳を少し詰めてきました。余り物ですみませんが」
重隆が歓声を上げる。続いて八幡姫が胸に抱えていた包みを前に出した。
「幸氏、これは母からの祝いの品よ。言われた通り伝えるわね。幸氏、見事でした。これから御家人の一人として御所様を護って下さい。期待しています、ですって」
ホゥと幸氏が溜め息をつく。安心したのだろう。これでやっと一人前の御家人として鎌倉に居場所を与えられたのだ。
「クソッ、俺だって今に!」
重隆のボヤキを耳に、八幡姫とヒメコは江間の邸を出た。
「ねぇ、ヒメコ。もし義高様が生きてらしたら今日の流鏑馬にお出になられたかしら」
八幡姫の呟きにヒメコはうまく答えられなかった。
その三ヶ月後、北条時政の三男、五郎が御所で元服した。三浦義連が加冠役になり、五郎はそれから時連と名乗るようになる。
そして閏四月、とうとう奥州が動いた。院宣と頼朝からの圧力に屈した藤原泰衡が、義経の居住していた衣川の館を襲撃し、義経は妻子を自らの手で殺し、自死したのだと言う。首は追って鎌倉に送られて来るとの事だったが、襲撃時に館が燃えた為に首も焼けて顔はよくわからないかも知れないとの話だった。頼朝は笑った。
「泰衡め、殺したと見せかけて何処かで再起を諮る積もりであろう」
丁度片付けをしていて話を聞いてしまったヒメコは驚く。死んだと見せかけて再起を諮る?
広元も頷いた。
「あの秀衡殿が、数ある子らの中から後継にと選んだのです。そう凡庸な人物ではありますまい。妥当な線だと思います」
「では次に何をしてくるか?」
「さて、こちらが軍備を増強していることは承知しているでしょうから逃げる手筈でも整えますかな」
「そうだな。素直に逃げてくれるなら深追いはすまい。時と兵の無駄だからな。この国から去ってくれればそれでいい」
泰衡からの義経死亡の報を受けて頼朝は京へ使いを送った。
やがて義経の首が鎌倉から少し離れた腰越へと着く。
その日、ヒメコは八幡姫の元に居た。八幡姫はぼんやりと座っていた。ここ数日具合が良くなかったが、今日は起きて外を眺めていた。
「大姫さま、そろそろ蔀戸を閉じましょう」
声をかけて蔀戸を下げていく。でもふと手が止まった。
——何かおかしい。
異様な気配を察してヒメコは辺りを見回した。辺りの空気がガラリと変わっていた。何かが入り込んでこようとしている。そしてそれを跳ね返そうとする力とぶつかり、微かに建物が揺れた。
ギシリと太い梁が軋む。
鎌倉に魔が入り込んだ。もしや義経殿の首?
ヒメコはそっと息を整えて広く辺りの気配を探ってみる。確かに御所より東、腰越の方角に何か嫌な気配を感じる。でもあれは九郎殿の気配ではない。恐らく誰か殺された人の怨念のようなものが首に取り憑いているのだろう。その怨念が鎌倉に入り込もうとして鎌倉に集う陰陽師達や僧侶達の結界に阻まれ、ぶつかり合っているのだ。
悪しきモノは悪しきモノと共鳴する。
ふと、大姫の枕元に常に置かれている文箱に目が止まった。普段は目に留まることのないそれが、今日はいやに気にかかる。
ヒメコはそっと文箱に近付いた。目にはよく視えないけれど何か黒い影のようなものが取り巻いている。
ヒメコは呼吸を整え、人差し指と中指を交差させると、その二本の指をスッと小刀のように振り下ろした。黒い影が消えたのを確認して文箱の紐を解き、そっと蓋を持ち上げる。
中にあったのは小さな黒石だった。
その中に海野幸氏の姿があり、八幡姫と二人、手を取り合い固唾を飲んで見守る。
幸氏は見事に皆中の腕前を見せ、ヒメコと八幡姫は飛び上がって喜んだ。
その昼過ぎ、八幡姫と共に江間の邸へ赴く。幸氏は馬の世話をしているとかで留守だった。
「ね、重隆。義高様は幸氏と同じくらい弓が上手だったの?」
八幡姫の問いに重隆はええと頷いた。
「若君はそれはそれは見事な腕前でした。ただ」
「ただ、何よ?」
八幡姫に詰め寄られ、重隆は後退る。
「あ、いえ、ただお優しいゆえに狩ではわざと外したりなさることもあり、大殿に叱られていたこともございました」
八幡姫は、そう、と答えると重隆に尋ねた。
「重隆はどうして此度の流鏑馬に出なかったの?弓は得意って言ってた癖に」
「大姫さま」
ヒメコが嗜めた時、後ろから声がかかった。
「重隆は野外の狩では私より早くて腕も確かなのですが、緊張するとたまに的を外してしまうのです」
幸氏だった。
「あら、じゃあ父の前で失敗して本番には選ばれなかったのね」
八幡姫が笑い出す。
「姫さまったら」
「幸氏、余計なことを言うな!」
重隆が幸氏に摑みかかり、二人がじゃれるのを微笑ましく見守る。
ヒメコは頃合いを見て包みを前に出した。
「鯛や椎茸、煮物など祝いの膳を少し詰めてきました。余り物ですみませんが」
重隆が歓声を上げる。続いて八幡姫が胸に抱えていた包みを前に出した。
「幸氏、これは母からの祝いの品よ。言われた通り伝えるわね。幸氏、見事でした。これから御家人の一人として御所様を護って下さい。期待しています、ですって」
ホゥと幸氏が溜め息をつく。安心したのだろう。これでやっと一人前の御家人として鎌倉に居場所を与えられたのだ。
「クソッ、俺だって今に!」
重隆のボヤキを耳に、八幡姫とヒメコは江間の邸を出た。
「ねぇ、ヒメコ。もし義高様が生きてらしたら今日の流鏑馬にお出になられたかしら」
八幡姫の呟きにヒメコはうまく答えられなかった。
その三ヶ月後、北条時政の三男、五郎が御所で元服した。三浦義連が加冠役になり、五郎はそれから時連と名乗るようになる。
そして閏四月、とうとう奥州が動いた。院宣と頼朝からの圧力に屈した藤原泰衡が、義経の居住していた衣川の館を襲撃し、義経は妻子を自らの手で殺し、自死したのだと言う。首は追って鎌倉に送られて来るとの事だったが、襲撃時に館が燃えた為に首も焼けて顔はよくわからないかも知れないとの話だった。頼朝は笑った。
「泰衡め、殺したと見せかけて何処かで再起を諮る積もりであろう」
丁度片付けをしていて話を聞いてしまったヒメコは驚く。死んだと見せかけて再起を諮る?
広元も頷いた。
「あの秀衡殿が、数ある子らの中から後継にと選んだのです。そう凡庸な人物ではありますまい。妥当な線だと思います」
「では次に何をしてくるか?」
「さて、こちらが軍備を増強していることは承知しているでしょうから逃げる手筈でも整えますかな」
「そうだな。素直に逃げてくれるなら深追いはすまい。時と兵の無駄だからな。この国から去ってくれればそれでいい」
泰衡からの義経死亡の報を受けて頼朝は京へ使いを送った。
やがて義経の首が鎌倉から少し離れた腰越へと着く。
その日、ヒメコは八幡姫の元に居た。八幡姫はぼんやりと座っていた。ここ数日具合が良くなかったが、今日は起きて外を眺めていた。
「大姫さま、そろそろ蔀戸を閉じましょう」
声をかけて蔀戸を下げていく。でもふと手が止まった。
——何かおかしい。
異様な気配を察してヒメコは辺りを見回した。辺りの空気がガラリと変わっていた。何かが入り込んでこようとしている。そしてそれを跳ね返そうとする力とぶつかり、微かに建物が揺れた。
ギシリと太い梁が軋む。
鎌倉に魔が入り込んだ。もしや義経殿の首?
ヒメコはそっと息を整えて広く辺りの気配を探ってみる。確かに御所より東、腰越の方角に何か嫌な気配を感じる。でもあれは九郎殿の気配ではない。恐らく誰か殺された人の怨念のようなものが首に取り憑いているのだろう。その怨念が鎌倉に入り込もうとして鎌倉に集う陰陽師達や僧侶達の結界に阻まれ、ぶつかり合っているのだ。
悪しきモノは悪しきモノと共鳴する。
ふと、大姫の枕元に常に置かれている文箱に目が止まった。普段は目に留まることのないそれが、今日はいやに気にかかる。
ヒメコはそっと文箱に近付いた。目にはよく視えないけれど何か黒い影のようなものが取り巻いている。
ヒメコは呼吸を整え、人差し指と中指を交差させると、その二本の指をスッと小刀のように振り下ろした。黒い影が消えたのを確認して文箱の紐を解き、そっと蓋を持ち上げる。
中にあったのは小さな黒石だった。
0
あなたにおすすめの小説
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様を書いたストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる