21 / 88
おさとうみさじ
5.
しおりを挟むダメに決まっている。焦っていれば、「俺とは、嫌ですか」と聞かれて瞬時に首を横に振っていた。
「嫌なんて、とんでもないです」
「じゃあ、いいですか」
「じゃあって……」
嫌いじゃないなら貰って欲しいと言われて貰う物のような、お裾分けみたいに差し出されている気がする。
どうしたらいいのかわからず、「ワイン、もうすこし飲みますか」と聞かれて、逃げるように首肯した。
サーブされるまま呑み込んで、楽しそうな瞳にどぎまぎしてしまう。
どうしよう。どうしたらいいだろう。
慌てすぎて、橘さんに握られている手を放すことすら忘れてしまっていた。きゅっと力を込められて、肩が上ずった。
「俺のこと、好きにならなくて良いです」
「あ、う」
「仕事も続けて良いです。……ここは会長の後ろ盾もあるので、絶対です。もちろん家庭に入りたいなら、それもいいです。俺が働きます。なるべく楽しく、あたたかい家庭にしたいです」
「え、と」
「もし仮に、俺が誰かを依存させるようなことを仕出かしたら、止めてもらえますか?」
「それは、あの、いつでもできますが……」
「ありがとう。柚葉さんは、他に約束にしたい条件はありますか?」
「え、あの……、ちょっと待ってください、全然整理できなくて」
狼狽えている。
とりあえず、橘さんに差し出されるまま、もう一杯のワインで口を潤して、回らない頭で考えている。
指に触れていた手は、いつの間にか繋ぎ合わされている。どうしてこうなっているのか、すこしもわからない。
「ええと、私、冷え性で」
「うん、手が冷たいから、心配してました」
「あ、う……、そ、れで、あの、夜も、冷たくて目が覚めちゃうんです」
何を言っているのか、自分で自分がわからない。
かなり酔っていると自覚して、ひどくお酒のペースが進んでいることに気づいた。まずい、これはまずい。
「だから、抱きしめて眠ってほしくて」
「そうされればゆっくり眠れるんですか?」
「そう、ですね、ええと……。それくらい、です」
「なるほど。わかりました。かわいいお願いだ」
指先がなぞられる。
熱に溺れて、倒れてしまいそうだ。こんなにも熱いまなざしをくれる人だっただろうか。酔っぱらいすぎてそう見えているだけなのか。
「どうしようもなく、あまやかしたい」
「な、にを?」
「奥さんになる人のことは、とことんあまやかしたいです。ダメですか?」
熱い瞳に胸が鳴ってしまった。この人に愛される人は、どんな人だろう。想像もできない。
「すてき、なことだとおもいま、す」
「よかった。嫌じゃないなら安心です」
「あ、えと、私は……、その、誰かに見つからないところでなら、とは思いますけど」
何を言ってしまっているのだろうか。
しどろもどろに告げれば、目の前の貴公子がいっそう綺麗に微笑んでしまった。
「――じゃあ、来週は柚葉さんのご両親に、挨拶に伺います」
衝撃的な一言から、記憶はあいまいだ。
ただ、かなり酔っぱらっていたことは覚えている。ふらふらする私を支えながら、橘さんが何度も声をかけてくれていた。
「柚葉さん、帰れますか?」
「ゆずはさん」
「俺の家に、連れ込みますよ?」
どろどろと甘い声だけが聞こえていた気がする。
踏み込んで、やわらかなソファに乗せられた時、ようやく自分が大きな失態を犯してしまったことに気づいた。
どこからどう見ても、私の部屋じゃない。
整頓されている部屋は、橘さんの匂いであふれかえっている。瞬時に立ち上がろうとして、転びそうになったところを抱き起された。
たまらなく落ち着く匂いがする。
「……大丈夫ですか?」
「あ、ごめんなさ、い。飲みすぎ、ました」
「いえ、俺も勧めすぎてしまいました」
「そんな、ええと、ごめんなさい、お家にまで……」
「プロポーズしてすぐに連れ込んだりして、軽蔑されないかちょっと焦ってます」
申し訳なさすぎて俯く私をそっとソファに乗せて、笑いを誘うように告げてくれる。
橘さんのことを好きにならない人なんて、この世界のどこにいるのだろうか。
ぼうっと見上げたら、首を傾げた人が思い出したように携帯を取り出した。
「どうし、」
「携帯、見て良いですよ」
「うん、と?」
「俺には柚葉さんだけです」
2
あなたにおすすめの小説
Perverse second
伊吹美香
恋愛
人生、なんの不自由もなく、のらりくらりと生きてきた。
大学三年生の就活で彼女に出会うまでは。
彼女と出会って俺の人生は大きく変化していった。
彼女と結ばれた今、やっと冷静に俺の長かった六年間を振り返ることができる……。
柴垣義人×三崎結菜
ヤキモキした二人の、もう一つの物語……。
幸せのありか
神室さち
恋愛
兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。
決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。
哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。
担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。
とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。
視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。
キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。
ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。
本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。
別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。
直接的な表現はないので全年齢で公開します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる