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おさとうろくさじ
1.
しおりを挟むどんなに頭が回らなくても、タスクは減ってくれない。
スケジュール管理して緊急度の高い順に進めているけれど、ざっとタイムスケジュールの計算をしただけでも、明らかに定時で終わるような分量ではない。
「こまった……」
時刻はそろそろお昼休みに入ろうとしているところだ。朝の段階から、お昼に一時間休憩をとったら、とても間に合わなくなってしまいそうな気がして焦っていた。
遼雅さんが無理をしてまで時間を空けようとしているのに、私が残業になってしまうなんて、どう考えてもよろしくない。
今朝来るまでに何度か今日の作業工程を考えてきていたのだけれど、デスクについて、パソコンを立ち上げた瞬間にがらがらと崩れてしまった。
“今日までにお願いします”
夢中でパソコンに向き合って、ふいに手が止まるたびに遼雅さんの声を思い出して振り払っている。
酷使した目が乾燥して割れてしまいそうだ。何度か瞬きして軽く息をつく。
12時をすこし過ぎてしまっていることに気付いて、顔を上げた。
どう考えても終わらないと思っていた作業の8割が終わりかけている。ほっとして、パソコンにロックをかけてから席を立った。
今日のお昼は約束をしていた。
毎週金曜日のお昼は一緒にと決まっているから、鞄から財布と携帯を取り出して、扉へと足を踏み出す。
最悪の場合、お昼を返上して働くことになるかもしれないと思っていたけれど、何とか回避できそうだ。
短い道を歩きながら、ランチを食べたあと、どうやって業務を捌くべきかについて、ぼんやりと考えていた。
扉を開こうとドアノブに手を出したそのときに、勝手に扉が開かれてしまった。
「あ、れ」
「……きみか」
ためらいなく開かれたドアの先で、渡総務部長がこちらを見つめている。すこし目を見開いて、すぐに険のある表情に戻ってしまった。
手元には、何かの鍵が握られていた。
時刻はすこし前にお昼に入ったところだ。この時間に専務の役員室に用事のある人はいない。もちろん、渡総務部長を含めてだ。
私が着任して以来、渡総務部長が橘専務への用事でここを訪れてきたことは一度もない。青木先輩あてにもない。つまり、彼がここに来る理由は、いつも私一人だ。
さすがに自分でも、彼になんらかの不快な感情を植え付けてしまっていることはわかる。だからこそ、苦手意識を持っているのかもしれない。
「渡総務部長、いかがなさいましたか? 橘専務は今外出中ですが……」
「きみ、今朝頼んでいた件はどうなっている?」
扉の先から、お昼の喧騒が聞こえている。
すぐ近くの部屋にいた秘書の皆さんも、役員の皆さんも、お昼の休憩に出ていっているのだろう。
お昼の役員室は鍵をかけられていることが多い。つまり、出払ってしまえば、ほとんど無人の空間になってしまう。
どうにかして、渡部長と二人きりになることを避けようと思ってしまっている自分に気づいた。よっぽど彼のことが苦手らしい。
入社当初からよく声をかけられていた。
どちらかと言えば注意を受けることが多かった。のろまだから仕方がないと必死になっていたけれど、はやり二人になりたい相手ではない。
「はい、おそらく3時頃までには終わるかと思うのですが……」
「そうか」
今日中であればよいと言われていたくせに、すこしおそるおそる声を出してしまった。
渡部長からするとまったく表情が動いていないように見えているのかもしれないけれど、内心は冷や汗をかきっぱなしだ。
何事もなくお昼を迎えたい。そのまま穏やかに定時までを乗り越えたい。
願いはむなしい。
「じゃあ、こっちも頼まれてくれるな?」
有無を言わせない力に差し出されるファイルを受け取って、あまりの古さに吃驚してしまった。今どきの資料はほとんどペーパーレスを徹底されている。
「これは……?」
「40年前の資料だ。社長が当社の設立100周年を祝したリーフレットの作成を考えていらっしゃる。本日中に第一倉庫に入っている同様の書類を見つけ出して作成してくれ」
「今日中ですか?」
「できないのか?」
第一倉庫はほとんど人も寄り付かないところだ。
何年前のモノかもわからないような忘年会の衣装が置かれていたり、創業当初からのアルバムが敷き詰められていたりするような、雑多な物置として知られている。
私もそうそう立ち寄る機会のないところだ。
役員に関する業務は秘書課の管轄になっているし、社長付きの秘書が同行業務でほぼ実務作業ができないことも知っている。
それにしても、あまりにも唐突な依頼だ。
「今日中は……」
「できないのか」
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