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しおりを挟む「フィア」
「……ん」
耳元に囁きかけてくる声で目を覚ましたソフィアは、髪を弄びながら彼女の顔を見下ろす男と目を合わせて、気だるいため息を吐いた。
散々ルイスの気が済むまで蹂躙されたソフィアは、最後、その身体にぴったりと抱きしめられながら瞼を下した記憶を残していた。
最後に見た部屋も闇に包まれていたが、目を覚ました今も外は真っ暗だ。
「どれくらい、寝て……、っん、ぅ」
声をかけている途中でルイスに身体を抱き起され、答えよりも先に口づけられる。
すでに、ルイスに口づけられることに慣れきったソフィアは、その唇から水が送り込まれているのを理解して、急激な渇きを覚えた。促されるまま水を飲んで、琥珀色の瞳の男を見つめる。
「ルイ、……っん、んん」
ルイスはしばらくソフィアの顔を眺めてはその手に握っていたらしいグラスに口を付けてもう一度ソフィアの唇に水を送り込んでくる。幼子にもやらないだろう行いを受けたソフィアは、二度目の口づけを終えてすぐにルイスが握っているグラスの口を手のひらで覆った。
「フィア」
「もう充分よ」
「貴女はもう、三日水分を取っていない」
正確には、情交に耽る間、ルイスが何度かソフィアの口に水分を含ませたのだが、激しく発汗しただろうソフィアが、そのわずかな水分で生命を維持できるはずもない。
記憶を思い返したルイスは眉を顰めて声をあげたのだが、ソフィアが驚いたのは、三日も悪女が何もせずに怠惰な時間を過ごしてしまったということだった。
「三日、ですの?」
「ああ」
「わたくし、ずっと眠って?」
「二日眠って、目覚めた。覚えていないのか?」
「お、ぼえております、けれど」
「その後、丸一日眠っていた。すまない。疲れさせたな」
確かに、有り余るルイスの体力に付き合わされたソフィアは、息つく間もなく全身に触れられ、半ば気絶のように深い眠りについた記憶がある。
さすがにやりすぎてしまったことを理解しているのか、ルイスはそっとソフィアの頬を撫でて、彼女の感情を確かめるようにまじまじと見下ろしてくる。
「……腹が減っているだろう」
「え? ええ、と空いている、かしら」
「待っていろ」
柔らかくソフィアの頭を撫でたルイスが音もなく立ち上がり、颯爽と歩き去っていく。いつものようにきっちりと軍服を身に纏ったルイスは、ソフィアの記憶に残る熱に浮かされた姿には程遠い。
ぼんやりと男の後ろ姿を見つめていたソフィアは、ようやく正気を取り戻して、己の身体を見下ろした。
黒いシャツは、上から二つ目の釦から下がすべて綺麗にとめられている。あれだけ汗をかいたはずが、ソフィアは不思議なほど身体がさっぱりしていることに気付いた。
眠っている間にルイスが清めてくれたのだろうか。不可思議に思いつつ自身の髪を耳にかけたソフィアは、その髪からルイスに似た匂いが香るのを感じて、ぴしりと動きを止めた。
三日もルイスの寝台の上で過ごせば、その男の匂いが香っても可笑しくはない。改めて、ソフィアは居心地の悪さにため息をついてしまった。
気まずさをかき消そうと視線をそらしたソフィアは、寝台の横にあるサイドテーブルの上に、見憶えるある腕輪が置かれているのを見て、そっと手を伸ばした。
ルイス・ブラッドの腕に嵌められていたプラチナバングルだ。ソフィアはふわふわと落ち着かない感情が、現実の前に霧散していくのを感じ取った。馬鹿馬鹿しい感情に振り回されている暇はない。
心を決めたソフィアはバングルの内側に彫り込まれた魔方陣を読み解こうと目を凝らした。
やはり、見た記憶のない文字だ。
おそらくライのバングルとほとんど同じものだろう。ルイスが戻る前にその魔方陣を記憶しておく必要がある。
ソフィアは、部屋の端に丸められた彼女のドレスの切れ端を魔法で掴み取って、その生地にバングルの物と同じ模様を書き上げた。
間違いがないことを確信したソフィアは、その切れ端を谷間に隠してシャツの釦を上まで留める。
「フィア、何をしている?」
「何も、……ただ、ぼうっとしていただけよ」
全てを終えた瞬間に声をかけられたソフィアは、慌てて顔をあげた。相変わらず無表情の騎士は、ソフィアの怪しげな行動よりも、その手に握られているバングルに眉を寄せていた。
「フィア、それに触れるな」
「勝手に、ごめんなさい」
「いや。万が一にもフィアの腕に嵌ってはいけないだろう。その可能性を懸念しているだけだ」
まったくソフィアを咎める気のない男は、両手に持っていた皿の一つを床に置き、もう一方を持ったままソフィアの横に腰かけた。
「そのようなことは、ないわ」
「そうか。だが、細心の注意を払うべきだ。それは、フィアが気を失うほどの力を持っているんだろう?」
淡々と語るルイスは、ソフィアの手からその腕輪を取り払って、テーブルの上へと遠ざけてしまった。過保護な態度に慣れないソフィアは、どのような反応を取るべきなのかもわからず動揺してしまう。
ソフィアの動揺など知らないルイスは、ゆっくりと彼女の髪に触れ、囁く。
「フィア、ミルクパン粥は食えそうか?」
ソフィアはその時、耳に囁き入れられた言葉に目を見張ってしまった。
どれほど飢え苦しみ、毒に喘ごうと、ソフィアは今日のような優しい声に食を進められたことはなかった。ミュリでさえ、パンを差し出すことしかできなかったのだ。
「フィア?」
ソフィアは、その男の手に握られた皿にたっぷりと盛られたミルクパン粥を見下ろして、こみあげる熱を必死で飲み込んでいる。
「お腹が、いっぱい、だわ」
とても、受け入れられそうにない。恐ろしい気分で首を振ったソフィアは、男が無言のままスプーンで掬ったパンを口に含むのを見た。
「ルイ……、っ、ん」
スプーンを持っていたはずのルイスの手はすでにソフィアの後頭部に優しく触れている。力加減ができなくなっていたというのが嘘だったのではないかと思えてしまうほどに丁寧で繊細な手つきだ。
ソフィアは想像通り、その唇からパンが送り込まれてくるのを感じて、抵抗することもできずに、ゆっくりと飲み下した。
こくり、と小さなかけらを飲み込んだことを確認したルイスは、静かに唇を離して薄く笑んだ。
「いい子だ」
「……ライと同じ扱い?」
思わず拗ねるような声をあげてしまった。ルイスの優しい視線に調子を崩されたソフィアは、久方ぶりの食事に、ようやく空腹を思い出した。
あの頃は、どれほど食べたくないと願っても、口にするしかなかった。わがままを言っているようではミュリたちに顔向けができない。
「いや」
ソフィアの悲壮な決意など知らぬルイスは、苦笑を浮かべながらソフィアの髪を撫でた。
ブロンドの髪は、吸い付くような柔らかさだ。いつまでも触れていたいと思えるほどの心地よさに目を細めたルイスは拗ねるソフィアの機嫌を取るために、口を開いた。
「ライ、もう入って良い」
ルイスが呟けば、寝室の外から爪が床を走る音が鳴った。ソフィアが目を丸くしているうちに、かちゃかちゃと走っていた友人が彼女の目の前に現れた。
「ライ!」
ソフィアが歓喜に声をあげた瞬間、ライは勢いよく寝台に飛び乗ってくる。ルイスは使い魔のはしゃぎ倒す姿に呆れつつ、もう一度声をあげる。
「ライ、フィアも飯を口にした。お前も食え」
主人の言葉に構わずソフィアの頬を舐めるライは、全身を撫でまわしてくれていたソフィアの手が止まったことに気付いて、ルイスを振り返り見た。
「もしかして、ライ、ご飯を食べていないの?」
「貴女が眠っている間のこいつの姿を、見せてやりたいな」
「それはどのような?」
苦笑するルイスの言葉がわかるのか、ライはルイスの腕にじゃれるように噛みついている。
「フィアが起きるまで、ライは狩りもせずにフィアの顔を眺めていた」
「まあ」
「貴女がしっかりと食事を摂り、間違いなく健やかな状態であることを確認するまで、自分も飯を食わぬとストライキを起こしていた。フィア、こいつのために、もう少し口をつけてくれ」
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