不埒に溺惑

藤川巴/智江千佳子

文字の大きさ
20 / 52

STEP 5 「帰らないで」

しおりを挟む
 口に含んで、顔を寄せてくれた八城の唇にキスする。すでに溶け出しているチョコレートを何とか八城の唇に含ませて、チョコレートを追うように舌を伸ばした。

 差し込んだ瞬間に、八城の唇に舌を吸われて、おかしな声が出た。

「んふ、ぁ」

 いくらでも誘惑する方法を持っている人だ。

 くらくらしながら、必死で教えられたように舌を舐めて、チョコレートを熱に溶かす。しばらく一生懸命にしているうちに、頭が何も考えられなくなる。八城がチョコレートを飲み下して、静かに口を離した。

「ん、上手」

 子どもを褒めるみたいに囁いて、可愛らしくご褒美のキスをくれる。目が回って、ただ八城を見つめるしかできない。

「もう一回」
「ん……、はい」

 頭を撫でて、八城が口に含んだチョコレートを差し出してくる。受け取って舌で舐めたら、今度は奪うように弄ばれて、八城のシャツにしがみついた。

 あっという間にチョコレートを奪われて、無意識に舌が追いかけて八城の唇に伸びた。ふわふわとおぼつかない世界の中で、八城が褒めるように頭を撫でてくる。

 もっと褒められたくて、行ったり来たりするチョコレートをたくさん熱に溶かしたら、あっけなく消えてしまった。

「あ……」
「舌、馬鹿んなりそ……」
「あま、い、です」
「まだいける?」
「したい」

 そっと口にしたら、何も言わずに八城がチョコレートを押し込んできた。

「ん、ぅんんっ……ふ、」

 舐めて擦り合わせて、吸い付いて、なぞって、どろどろに溶かす。身体中が痺れて、八城以外が何も無くなってしまった気がする。

 あとどれくらいチョコレートが残っているのかも曖昧な世界の中で、必死に八城にしがみついた。

「チョコ、全部食っちゃった」
「もう、おわり……?」
「まだしてえの?」
「ん、」
「……誘惑、上手だな」

 苦笑のような、余裕のなさそうな笑みに胸を突き刺された。何もできずにじっと見つめているうちに、八城の手に手首を掴まれる。すこしだけ乱暴な手つきで、八城の肩の上に手を伸ばされて、意図を理解できないまま、もう片方の手も同じように八城の首に回してしがみつく。

「マジで溺れそ」
「やしろ、さん、っ……ん、ふ、ぅ……」

 食らいつくように唇を噛まれて、教えられた通りに唇を開きながら、八城の舌に自分のものを必死で絡ませる。

 ふわふわの世界で、指先に触れる八城の熱にちかちかと眩暈が襲ってくる。

 何度も角度を変えて、吸いつかれては同じように返す。唇が腫れてしまいそうなほどに繰り返して、どろどろの熱に溺れた。

 時間の経過が歪むほどに夢中で唇を寄せ合っていた。八城の指先が私の腰をなぞってきて、無意識に喉が鳴ってしまったところで、唇の拘束が解けた。

「あ……」
「今日はここまで、な」
「ん、う……、ふわふわ、してま、す」
「がっついてごめんね。もうしないから、安心していいよ」

 私が散々縋り付いたシャツは、はっきりと皺が残ってしまっていた。どうにか引き伸ばそうと触れれば、八城の肩がぴくりと動いた。

「やしろ、さん?」
「明菜ちゃん」
「はい?」
「そんなエロい顔して、無防備に男に触ったらだめだろ」
「……どんな、顔、しているんですか」
「たまらなく襲いたくなる顔」
「おそ……」
「今日はそろそろ帰るか」
「あ……」

 私の息が整わないうちにすっと立ち上がった八城に、確かめるように頭を撫でられた。

 すこし前までどこまでも近くに居てくれていた人が、簡単にソファから遠ざかって荷物をまとめてジャケットを羽織りなおしている。どうにかソファから立ち上がってみれば、すでにいつも通りに笑っている八城が「玄関まで送ってくれるの?」と茶化してきた。

「おくり、ます」
「はは、でも、もうふらふらだろ」
「へいき、です」
「さっき意識飛ばしそうになってなかったか?」
「な、って……、なってないです」
「あはは。そうならいいけど」

 すたすたと歩いて行ってしまう八城の後ろについて、小さな玄関で立ち止まる。八城が靴を履くために鞄を置く姿を見て、勝手に身体が動いてしまった。

 ——帰ってほしく、ない。

 無断で八城の身体に触れて、後ろから縋りつくように抱き着いた。私の行動で、靴を掴みかけていた八城の指先が固まる。

「あき、」
「おうち、泊って行ってください」

 考えもない、策略なんて、もっとない。

 ただ、離れたくなくて、もっと近くに行きたくて、必死になってしまった。口にしてから、ずいぶんと大胆な言葉が出てきたものだと自分に感心してしまいそうだった。

 たっぷりと間を空けた八城が、言葉を返してくれる。

「誘惑されてる?」

 すっかり頭から吹き飛んでいたことを思い出させられた気分だ。けれど、八城の勘違いに身を任せてしまおうと頷いた。

「してる」
「……今日は、抱くつもりない」

 私はもう、いつでも良いと思っているのに。けれど、八城に抱かれたらそこでこの関係は終わってしまう。

 堂々巡りのような苦しい感情が渦巻いて、小さく息を吐いた。

「またダメですか」
「あはは、落ち込んでんの」
「ものすごく、魅力がないのかなって」
「それはない」

 半分以上本気でつぶやいたのに、自分の言葉に傷つく暇もなく、八城の否定が飛んできた。驚いて身体を離したら、くるりと八城がこちらを振り返って、私の頬に触れる。

「襲いたくなるから、帰ろうとした」

 色気たっぷりの声に、言葉がひりつく。言われている意味がうまくかみ砕けずに八城の目を見上げていれば、掠めるようにキスを贈られた。

「好物は最後まで残しておくほう」
「こうぶつ?」
「明菜とか」

 食べ物は、いつもそうしていることを知っている。けれど、自分の名前を出されるとは思わずに口を噤んでしまった。

 黙り込んだ私を覗き込む八城の瞳が、いたずらに輝く。心音はずっと乱れっぱなしで、心底参ってしまった。前途多難。

「わたしがどきどきしてどうするんですか」

 思った通りに口にしたら、私の反応など知っている八城が、また私の髪を優しく撫でてくれた。

「あはは。かわいい。明菜ちゃんがどきどきしてると、俺も欲情するわ」

 くつくつと笑いながら、八城が床に置いた鞄を手に持ち直したのを見て、慌ててしがみついた。

「帰らないで」

 真剣につぶやいたのに、八城は目をまるくしてから、小さく笑っていた。

「じゃあ、もうすこし進めるか」
「うん?」
「明菜ちゃん、一緒に風呂入る?」
「……いきなり、高度です」

 本当に、前途多難な関係だと思う。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

政略結婚かと思ったら溺愛婚でした。

如月 そら
恋愛
父のお葬式の日、雪の降る中、園村浅緋と母の元へ片倉慎也が訪ねてきた。 父からの遺言書を持って。 そこに書かれてあったのは、 『会社は片倉に託すこと』 そして、『浅緋も片倉に託す』ということだった。 政略結婚、そう思っていたけれど……。 浅緋は片倉の優しさに惹かれていく。 けれど、片倉は……? 宝島社様の『この文庫がすごい!』大賞にて優秀作品に選出して頂きました(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) ※表紙イラストはGiovanni様に許可を頂き、使用させて頂いているものです。 素敵なイラストをありがとうございます。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

君がたとえあいつの秘書でも離さない

花里 美佐
恋愛
クリスマスイブのホテルで偶然出会い、趣味が合ったことから強く惹かれあった古川遥(27)と堂本匠(31)。 のちに再会すると、実はライバル会社の御曹司と秘書という関係だった。 逆風を覚悟の上、惹かれ合うふたりは隠れて交際を開始する。 それは戻れない茨の道に踏み出したも同然だった。 遥に想いを寄せていた彼女の上司は、仕事も巻き込み匠を追い詰めていく。

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

処理中です...