悪役令嬢は鏡映しの夢を見る

重田いの

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 彼の死がそんなに悲しかったのか、それとも彼の死体がそれほどまずかったのか。もうなんにもわかんない。

 私は己の手を見つめ、長いことそうしていた。我に返ったのはコツコツという足音を聞いたからである。修道女が朝食を届けにきたのだ。今日のパンはカビてないといいな――と条件反射に思いかけて、あの何の感情も浮かんでない彼女らの目を思い出す。立ち上がった足元にはすっかり死後硬直も解けつつある死体のエーデル。赤い髪の忠実な剣士兼暗殺者が転がっていて、もはや寝台の下に隠せるヒマはない。

「へっ」

 私は笑った。いびつな笑いがなんだかもう、抑えきれず溢れてくる。

 ぜんぶ分かっていた。理解していた。魔物というのがなんなのか。私は人間ではない。私は――魔物なのだ。カムリなのだ。私のこの人格は、喜怒哀楽も生老病死も知識も倫理もなにもかも、カムリの見る夢。私こそが霞の方、影の方であり、なんの文句も言えないでいるカムリの方がすべてを持っている。

 けれどアマルベルガこそ哀れだった。私にもカムリにも自由に肉体を使われ、それさえ自分が自殺の道を選んだ報いだから、カムリ以上に文句が言えない。

 私にはアマルベルガの自我の破片が降り注ぐことがある。それが彼女の望んだことなのかさえ、誰もわからないのだ。

 きぃ、と音を立てて扉は開き、修道女が二人、いつものように入ってきて――

「へへへへっへぇ!」

 私は下卑た笑いを止めきれないまま、彼女らに躍りかかった。読める。心が、思考が、読める。人生がわかる。彼女らの秘めた心――公爵令嬢たるわたくしを、豪奢な暮らしをしていたからと言って憎んでいる。なんて醜い心ばえでしょう! 持参金が用意できないからと、親に修道院に放り込まれるような娘どもだったくせに! 男に愛される素晴らしさも子を持つ幸せも知らぬまま、老いて死ぬだけの塵芥!

「このわたくしを見下したわね!! 下賤の生まれの分際で!!」

 と、金切り声はアマルベルガの叫びだったのだろうか。

 修道女らははっと硬直すると、手にあったお盆や布巾を放ってぱっと棒を取り出した。知っている、打擲棒だ。悪い子に罰を与えるための。わたくしを――貴族階級表のくるくると巻かれた羊皮紙のはるか上に君臨するアマルベルガを、下級貴族の出の修道女ごときが打とうなど!

 流れ込んでくる彼女らの記憶のままに、私は変身した。

 それは一人の男の姿だった。なるほど、彼女らは同い年、同じ持参金の問題で同じ年に修道女になり、それからずっと、一緒だった。二十年前の異端審問で、地下牢に囚われた同じ男に恋をした――その愁嘆場の激しさよ。なんて醜いことでしょう。

「僕は妻を愛しているんだ!」

 とわたくしは叫ぶ。男の声、男の顔、男の立ち姿。棒を手にしたまま、修道女ふたりは揃って固まり、

「アンゼル、さま……」

 と一人がころんと棒を取り落とす。崩れ落ちる。

「おまえたちみたいなしわくちゃのばあさんに、心動かされるとでも? 社交界の薔薇の棘と呼ばれ、貴婦人のユニコーンと誉高いこの僕が?」

 はっと鼻で笑ったのは私。男の心はわからずとも、修道女ふたりの混乱と胸張り裂けるような痛みはわかる。これが鏡映しの魔物――ミラーの力。

 ――わたくしは【私】であり【カムリ】であり【ミラー】なのだ。

 ――いいえ、私がすべてよ。

 棒を離さなかったもう一人が、途端に顔ぜんたいに怒気を漲らせた。へえ、すごいじゃない。

 老いたる女の恐慌じみた怒りは塔を覆う。殴りかかってくる彼女の金切り声。私は身をかわし、逆に打擲棒を奪う。打つ。彼女の首筋、人体の弱点を打つ、打つ、打つ。効果的な身体の使い方なんてわからなくても、若い男の身体で老女に負けるはずはない。頭と首への殴打を繰り返すうち、わめきながらの抵抗が徐々に止み、やがて修道女は死んだ。

 私はもうひとりに向き直る。彼女は呆然と腰を抜かし、へたり込んでいる。彼女の記憶が私に流れ込んでくる――まだミラーほどうまく能力を制御できないのだ。甘い恋の記憶と思い込みたかった、けれど実際は牢屋から脱走したい美男子に誘惑され利用された愚かな修道女の失敗譚。ふふ、ばかな女だ。

「僕はおまえなんて好きじゃない」

 とあえて侮蔑を押し出して私は棒を振り上げる。

「僕はおまえたちなんて大嫌いだ!!」

 振り下ろした。

 愛されたいと思うことさえ、アマルベルガはとうに諦めていた。なのにどうして、アマルベルガ以外の人たちがそれを思うことが許される? ねえ? かわいそうに、マールは自分で自分の首を切って死んだのよ。

 ――生き残りたい。そして、愛される資格などないくせに愛されようとするものたちを突き落としてやりたい。

 それが私の中に芽生えた願い。殺意、みたいなもの。口の中には最悪の味が広がっていて、死体が三つ、転がっている。私が殺した三つの死体。もはや彼らのどんな感情も記憶も読み取ることはできない。わたくしの中にはミラーがいる。けれどミラーもまた沈黙したまま。わたくしに応えてくれない。

「えっ……へへへへぇ」

 と私は笑い、すべてから解放された自分を誇る。

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