【完結】時計台の約束

とっくり

文字の大きさ
20 / 53

19 ミハエル

しおりを挟む
 (ミハエル視点)

 公爵家と侯爵家の当主間に設けられた話し合いの席――


 双方の顔ぶれは落ち着いており、ことを荒立てないための形式的な会談だった。

 ミハエルの父である公爵は、思いのほかあっさりと「一時の感情による誤解」として話を切り出した。

「若い二人の間に、すれ違いがあったようだ。婚約は白紙に戻すとして、両家の縁はこれからも大切にしたいと願っている」

 マーガレットの父は頷き、

「もちろんです。我が娘も未熟ゆえ、ご心配をおかけしました」と頭を下げた。

 こうして、正式には「双方合意のうえでの婚約解消」とされた。世間への体裁も整えられ、グリーグ公爵家には新たな縁談が舞い込む。


 ミハエルには、北部の名門貴族の令嬢が、新たな婚約者候補として紹介されることになっていた。

 だが、その話を聞いたミハエルは、まるで他人事のように涼やかに首を振り、やがて低く静かな声で、明確な拒絶を口にした。

「――私の心は、とうの昔に決まっております。彼女以外、考えられません」

 その声音に、一分の迷いもなかった。

 対面していた父、グリーグ公爵は、あきれたように眉をひそめ、問う。

「……マーガレット嬢のことか」

 ミハエルはわずかに笑みを浮かべた。
 その笑みは、慈しみというには冷たく、執念というには静かすぎた。

「ええ。彼女は、私のものです。誰の許しも、もう必要ありません」

 その異様な響きを孕んだ言葉に、公爵は短く息をつき、苦々しく吐き捨てた。

「……終わったことだ」

 それでもミハエルの目には、何の動揺も浮かんでいなかった。むしろ、その瞳は深く澄み切っていて――ひどく恐ろしかった。


 夜。書斎にこもったミハエルは、差し出された新たな婚約者の肖像画を無造作に机に投げ捨てた。

「代わりなんて……効かないんだよ、彼女の」

 絹のような金髪。ふとした瞬間に見せる傲慢な笑顔。
 マーガレットのすべてが、ミハエルの中に焼き付いていた。

「侯爵家の小娘が、俺を侮辱した。
 お前は、それを許したのか……父上」

 鏡に映る自分を睨みつけ、静かに拳を握る。

 マーガレットが領地で謹慎していることを知っていた。閉ざされた屋敷で、外との接触も制限されている。

 ならば――まだ「自分だけのもの」だ。
 自由を奪われている今こそ、彼女は「傷ついた獣のように」自分を思い出すはずだ、と。


 妄想はやがて幻想となり、執着へと変わる。

 彼は人知れず、領地へ贈り物を送り始めた。
 花束、香水、刺繍入りの手袋――すべて匿名で。


 だが、送り主は明白だった。
 それはただの贈り物ではない、「監視」のようなものだった。

 やがて、マーガレットの使用人が荷を送り返してくるようになる。


 ミハエルは激昂し、鏡を割った。


「なんてことだ……まだ、わからないのか?俺は、君を赦してやると言ってるんだ……」

 自分の声すら、自身で制御できなくなっていた。

 
 ミハエルの部屋には、いつの頃からか、マーガレットの肖像画が飾られるようになっていた。

 それは公式なものではない。彼が密かに画家に依頼し、私的に描かせた一枚だった。当初は彼女の面影を忠実に写し取っていたはずのその肖像は、時を経るごとに微細な修正が加えられ、現実の彼女とは異なる――より完璧で、より美しく、彼の理想に沿った偶像へと変貌していった。

 まるで血の通わぬ人形のように美しいその姿に、ミハエルは毎晩、静かに語りかけていた。

「君は、俺だけのものだったはずだ。あの男さえ現れなければ……」

 その「あの男」とは、ルーカスのことだった。

 ミハエルは公爵家の情報網を用いて、ルーカスの居場所や行動、務め先に至るまでを徹底的に調べ上げた。そして、ある報せが彼の耳に届く。

 ――ルーカスは今、マーガレットではない別の女と、街で共に暮らしているらしい。

「下賤な女と……? あいつが……?」

 その瞬間、ミハエルの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

「汚れた手で……彼女に触れたというのか……」

 傷ついたのは自分ではない。それでもミハエルは、耐え難いほどの怒りと屈辱に身を焼かれた。

 事実かどうかは、もはや問題ではなかった。彼の中でルーカスは、たったひとつの罪――
」という烙印を押され、断罪の対象となった。

 その歪んだ正義感と執着は、ルーカスを「排除すべき存在」として心に刻みつけた。

 やがて、静かに、だが確実に、計画が練り上げられていく。

 執念の深さが狂気へと姿を変え、その目に映る世界は、もはや誰とも共有できない孤独な幻想の中にあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

背徳の恋のあとで

ひかり芽衣
恋愛
『愛人を作ることは、家族を維持するために必要なことなのかもしれない』 恋愛小説が好きで純愛を夢見ていた男爵家の一人娘アリーナは、いつの間にかそう考えるようになっていた。 自分が子供を産むまでは…… 物心ついた時から愛人に現を抜かす父にかわり、父の仕事までこなす母。母のことを尊敬し真っ直ぐに育ったアリーナは、完璧な母にも唯一弱音を吐ける人物がいることを知る。 母の恋に衝撃を受ける中、予期せぬ相手とのアリーナの初恋。 そして、ずっとアリーナのよき相談相手である図書館管理者との距離も次第に近づいていき…… 不倫が身近な存在の今、結婚を、夫婦を、子どもの存在を……あなたはどう考えていますか? ※アリーナの幸せを一緒に見届けて下さると嬉しいです。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

婚約破棄、ありがとうございます

奈井
恋愛
小さい頃に婚約して10年がたち私たちはお互い16歳。来年、結婚する為の準備が着々と進む中、婚約破棄を言い渡されました。でも、私は安堵しております。嘘を突き通すのは辛いから。傷物になってしまったので、誰も寄って来ない事をこれ幸いに一生1人で、幼い恋心と一緒に過ごしてまいります。

嘘が愛を試す時 〜君を信じたい夜に〜

月山 歩
恋愛
サラとマリウス・ハンプトン侯爵夫婦のもとに、衝撃的な告白を携えた男が訪れる。「隠れてサラと愛し合っている。」と。 身に覚えのない不貞の証拠に、いくらサラが誤解だと訴えてもマリウスは次第に疑念を深めてゆく。 男の目的はただ一つ、サラを奪うこと。 *こちらはアルファポリス版です。

あなたが遺した花の名は

きまま
恋愛
——どうか、お幸せに。 ※拙い文章です。読みにくい箇所があるかもしれません。 ※作者都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢シャーロットは幼馴染の公爵カルロスを想いながら、伯爵令嬢マリナの策で“騎士クリスとの婚約”へとすり替えられる。真面目なクリスは彼女の心が別にあると知りつつ、護るために名乗りを上げる。 社交界に流される噂、贈り物の入れ替え、夜会の罠――名誉と誇りの狭間で、言葉にできない愛は揺れる。薔薇園の告白が間に合えば、指輪は正しい指へ。間に合わなければ、永遠に 王城の噂が運命をすり替える。幼馴染の公爵、誇り高い騎士、そして策を巡らす伯爵令嬢。薔薇園で交わされる一言が、花嫁の未来を決める――誇りと愛が試される、切なくも凛とした宮廷ラブロマンス。

処理中です...