21 / 53
20 ルーカスの決意
しおりを挟む
ある日のこと――
仕事を終えたルーカスは、アリシアが手配してくれた小さな宿の一室に戻ってきた。
暖炉にはまだ火が入っておらず、石壁に囲まれた部屋には冬の冷気がじんわりと染み込んでいた。
それでもここは、彼にとって「自分だけの場所」だった。
今日受け取ったばかりの給金袋をテーブルの上に置き、少し震える左手で巾着の紐を解く。中から現れたのは、銅貨が十数枚。
重労働の割には決して多くはないが、自分の力で得た金だと思えば、それだけで心が満たされる気がした。
彼の仕事は雑用係だった。倉庫の整理や荷運び、使い走り。右手が不自由な身には簡単ではないが、工夫しながらやってきた。雇ってくれた職場には感謝しかない。
「使えない片腕のくせに」と陰口を叩かれることもあったが、そんな言葉にも、もう驚きはしなかった。
ただ、自分でも情けなく思うことがある。
誰の助けも借りたくないと意地を張ってきたのに、アリシアの前では、なぜか弱さを見せてしまう。
宿の手配も、食料を届けてくれたことも、ありがたい以上の気持ちが芽生えていたからこそ、彼はこのままではいけないと感じていた。
暖炉に火を入れようと、マッチを擦る。
右手では細かい動作ができず、左手だけでは時間がかかるが、やがて小さな火が薪に移り、ぱちぱちと音を立て始めた。
部屋にじんわりと温もりが戻ってくる。
ルーカスは椅子に腰掛け、炎を見つめながら静かに息を吐いた。
「俺は……もう、子どもじゃないんだ」
誰に言うでもないその言葉は、やけに胸に残った。重く、寂しい響きが、自分の心に沈んでいく。
不自由な右手を見つめ、僅かに指を動かす。もう、絵筆を取っていたようには動かせない。
そのとき、不意に脳裏をよぎったのは――
かつて描いた、マーガレットの面影だった。
華やかなドレスをまとい、凛とした眼差しでこちらを見つめていた彼女。
侯爵令嬢として「淑女の鏡」とまで讃えられたその姿は、どこか触れることの叶わない遠い光のようだった。
落ち着いた物腰、冷静な瞳。
自分と向き合うときだけ、その奥にかすかに滲む熱があった。
抑え込まれた感情が、ほんの一瞬だけ見える――あの目を、なぜか今、鮮明に思い出していた。
「君は……俺の絵の中でしか、笑っていなかったな……」
ぽつりと漏れた声は、自嘲なのか、未練なのか。答えは分からない。
けれど、胸の奥が、妙に痛んだ。
彼女が今、どこで何を思っているのかも分からない。
それでもルーカスは、あの静かな微笑を、思い出していた。
けれど、今、ルーカスが向き合うべき現実は、過去の幻ではなく、目の前の温もりと、支えてくれている誰かの存在だった。
彼は再び炎に身を寄せ、まぶたを閉じた。
まだ先は見えない。けれど、一歩ずつでも前へ進みたい――
そう、強く願った。
仕事を終えたルーカスは、アリシアが手配してくれた小さな宿の一室に戻ってきた。
暖炉にはまだ火が入っておらず、石壁に囲まれた部屋には冬の冷気がじんわりと染み込んでいた。
それでもここは、彼にとって「自分だけの場所」だった。
今日受け取ったばかりの給金袋をテーブルの上に置き、少し震える左手で巾着の紐を解く。中から現れたのは、銅貨が十数枚。
重労働の割には決して多くはないが、自分の力で得た金だと思えば、それだけで心が満たされる気がした。
彼の仕事は雑用係だった。倉庫の整理や荷運び、使い走り。右手が不自由な身には簡単ではないが、工夫しながらやってきた。雇ってくれた職場には感謝しかない。
「使えない片腕のくせに」と陰口を叩かれることもあったが、そんな言葉にも、もう驚きはしなかった。
ただ、自分でも情けなく思うことがある。
誰の助けも借りたくないと意地を張ってきたのに、アリシアの前では、なぜか弱さを見せてしまう。
宿の手配も、食料を届けてくれたことも、ありがたい以上の気持ちが芽生えていたからこそ、彼はこのままではいけないと感じていた。
暖炉に火を入れようと、マッチを擦る。
右手では細かい動作ができず、左手だけでは時間がかかるが、やがて小さな火が薪に移り、ぱちぱちと音を立て始めた。
部屋にじんわりと温もりが戻ってくる。
ルーカスは椅子に腰掛け、炎を見つめながら静かに息を吐いた。
「俺は……もう、子どもじゃないんだ」
誰に言うでもないその言葉は、やけに胸に残った。重く、寂しい響きが、自分の心に沈んでいく。
不自由な右手を見つめ、僅かに指を動かす。もう、絵筆を取っていたようには動かせない。
そのとき、不意に脳裏をよぎったのは――
かつて描いた、マーガレットの面影だった。
華やかなドレスをまとい、凛とした眼差しでこちらを見つめていた彼女。
侯爵令嬢として「淑女の鏡」とまで讃えられたその姿は、どこか触れることの叶わない遠い光のようだった。
落ち着いた物腰、冷静な瞳。
自分と向き合うときだけ、その奥にかすかに滲む熱があった。
抑え込まれた感情が、ほんの一瞬だけ見える――あの目を、なぜか今、鮮明に思い出していた。
「君は……俺の絵の中でしか、笑っていなかったな……」
ぽつりと漏れた声は、自嘲なのか、未練なのか。答えは分からない。
けれど、胸の奥が、妙に痛んだ。
彼女が今、どこで何を思っているのかも分からない。
それでもルーカスは、あの静かな微笑を、思い出していた。
けれど、今、ルーカスが向き合うべき現実は、過去の幻ではなく、目の前の温もりと、支えてくれている誰かの存在だった。
彼は再び炎に身を寄せ、まぶたを閉じた。
まだ先は見えない。けれど、一歩ずつでも前へ進みたい――
そう、強く願った。
42
あなたにおすすめの小説
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
背徳の恋のあとで
ひかり芽衣
恋愛
『愛人を作ることは、家族を維持するために必要なことなのかもしれない』
恋愛小説が好きで純愛を夢見ていた男爵家の一人娘アリーナは、いつの間にかそう考えるようになっていた。
自分が子供を産むまでは……
物心ついた時から愛人に現を抜かす父にかわり、父の仕事までこなす母。母のことを尊敬し真っ直ぐに育ったアリーナは、完璧な母にも唯一弱音を吐ける人物がいることを知る。
母の恋に衝撃を受ける中、予期せぬ相手とのアリーナの初恋。
そして、ずっとアリーナのよき相談相手である図書館管理者との距離も次第に近づいていき……
不倫が身近な存在の今、結婚を、夫婦を、子どもの存在を……あなたはどう考えていますか?
※アリーナの幸せを一緒に見届けて下さると嬉しいです。
婚約破棄、ありがとうございます
奈井
恋愛
小さい頃に婚約して10年がたち私たちはお互い16歳。来年、結婚する為の準備が着々と進む中、婚約破棄を言い渡されました。でも、私は安堵しております。嘘を突き通すのは辛いから。傷物になってしまったので、誰も寄って来ない事をこれ幸いに一生1人で、幼い恋心と一緒に過ごしてまいります。
嘘が愛を試す時 〜君を信じたい夜に〜
月山 歩
恋愛
サラとマリウス・ハンプトン侯爵夫婦のもとに、衝撃的な告白を携えた男が訪れる。「隠れてサラと愛し合っている。」と。
身に覚えのない不貞の証拠に、いくらサラが誤解だと訴えてもマリウスは次第に疑念を深めてゆく。
男の目的はただ一つ、サラを奪うこと。
*こちらはアルファポリス版です。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
『すり替えられた婚約、薔薇園の告白
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢シャーロットは幼馴染の公爵カルロスを想いながら、伯爵令嬢マリナの策で“騎士クリスとの婚約”へとすり替えられる。真面目なクリスは彼女の心が別にあると知りつつ、護るために名乗りを上げる。
社交界に流される噂、贈り物の入れ替え、夜会の罠――名誉と誇りの狭間で、言葉にできない愛は揺れる。薔薇園の告白が間に合えば、指輪は正しい指へ。間に合わなければ、永遠に
王城の噂が運命をすり替える。幼馴染の公爵、誇り高い騎士、そして策を巡らす伯爵令嬢。薔薇園で交わされる一言が、花嫁の未来を決める――誇りと愛が試される、切なくも凛とした宮廷ラブロマンス。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる