【完結】時計台の約束

とっくり

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19 ミハエル

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 (ミハエル視点)

 公爵家と侯爵家の当主間に設けられた話し合いの席――


 双方の顔ぶれは落ち着いており、ことを荒立てないための形式的な会談だった。

 ミハエルの父である公爵は、思いのほかあっさりと「一時の感情による誤解」として話を切り出した。

「若い二人の間に、すれ違いがあったようだ。婚約は白紙に戻すとして、両家の縁はこれからも大切にしたいと願っている」

 マーガレットの父は頷き、

「もちろんです。我が娘も未熟ゆえ、ご心配をおかけしました」と頭を下げた。

 こうして、正式には「双方合意のうえでの婚約解消」とされた。世間への体裁も整えられ、グリーグ公爵家には新たな縁談が舞い込む。


 ミハエルには、北部の名門貴族の令嬢が、新たな婚約者候補として紹介されることになっていた。

 だが、その話を聞いたミハエルは、まるで他人事のように涼やかに首を振り、やがて低く静かな声で、明確な拒絶を口にした。

「――私の心は、とうの昔に決まっております。彼女以外、考えられません」

 その声音に、一分の迷いもなかった。

 対面していた父、グリーグ公爵は、あきれたように眉をひそめ、問う。

「……マーガレット嬢のことか」

 ミハエルはわずかに笑みを浮かべた。
 その笑みは、慈しみというには冷たく、執念というには静かすぎた。

「ええ。彼女は、私のものです。誰の許しも、もう必要ありません」

 その異様な響きを孕んだ言葉に、公爵は短く息をつき、苦々しく吐き捨てた。

「……終わったことだ」

 それでもミハエルの目には、何の動揺も浮かんでいなかった。むしろ、その瞳は深く澄み切っていて――ひどく恐ろしかった。


 夜。書斎にこもったミハエルは、差し出された新たな婚約者の肖像画を無造作に机に投げ捨てた。

「代わりなんて……効かないんだよ、彼女の」

 絹のような金髪。ふとした瞬間に見せる傲慢な笑顔。
 マーガレットのすべてが、ミハエルの中に焼き付いていた。

「侯爵家の小娘が、俺を侮辱した。
 お前は、それを許したのか……父上」

 鏡に映る自分を睨みつけ、静かに拳を握る。

 マーガレットが領地で謹慎していることを知っていた。閉ざされた屋敷で、外との接触も制限されている。

 ならば――まだ「自分だけのもの」だ。
 自由を奪われている今こそ、彼女は「傷ついた獣のように」自分を思い出すはずだ、と。


 妄想はやがて幻想となり、執着へと変わる。

 彼は人知れず、領地へ贈り物を送り始めた。
 花束、香水、刺繍入りの手袋――すべて匿名で。


 だが、送り主は明白だった。
 それはただの贈り物ではない、「監視」のようなものだった。

 やがて、マーガレットの使用人が荷を送り返してくるようになる。


 ミハエルは激昂し、鏡を割った。


「なんてことだ……まだ、わからないのか?俺は、君を赦してやると言ってるんだ……」

 自分の声すら、自身で制御できなくなっていた。

 
 ミハエルの部屋には、いつの頃からか、マーガレットの肖像画が飾られるようになっていた。

 それは公式なものではない。彼が密かに画家に依頼し、私的に描かせた一枚だった。当初は彼女の面影を忠実に写し取っていたはずのその肖像は、時を経るごとに微細な修正が加えられ、現実の彼女とは異なる――より完璧で、より美しく、彼の理想に沿った偶像へと変貌していった。

 まるで血の通わぬ人形のように美しいその姿に、ミハエルは毎晩、静かに語りかけていた。

「君は、俺だけのものだったはずだ。あの男さえ現れなければ……」

 その「あの男」とは、ルーカスのことだった。

 ミハエルは公爵家の情報網を用いて、ルーカスの居場所や行動、務め先に至るまでを徹底的に調べ上げた。そして、ある報せが彼の耳に届く。

 ――ルーカスは今、マーガレットではない別の女と、街で共に暮らしているらしい。

「下賤な女と……? あいつが……?」

 その瞬間、ミハエルの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

「汚れた手で……彼女に触れたというのか……」

 傷ついたのは自分ではない。それでもミハエルは、耐え難いほどの怒りと屈辱に身を焼かれた。

 事実かどうかは、もはや問題ではなかった。彼の中でルーカスは、たったひとつの罪――
」という烙印を押され、断罪の対象となった。

 その歪んだ正義感と執着は、ルーカスを「排除すべき存在」として心に刻みつけた。

 やがて、静かに、だが確実に、計画が練り上げられていく。

 執念の深さが狂気へと姿を変え、その目に映る世界は、もはや誰とも共有できない孤独な幻想の中にあった。
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