【完結】時計台の約束

とっくり

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 最初は、些細な事が重なっただけだと思っていた。


アリシアの寮の部屋の扉に、誰かがつけたようなひっかき傷が残っていた。

同室のハンナが何かを引っ掛けて傷でも付けたのかもれないと気にも留めていなかった。

昼休憩中のハンナにそれとなく確認してみた。

「ドアの傷?あれ、アリシアが付けたんじゃないの?」
「私じゃないのよ。てっきりハンナかと思ってた」
「違うよー。猫が入ってきて、傷つけたのかね?」
「・・・何だろうね?」

2人して首をかしげていたら、背後から声が掛かる。

「ハンナ」
「アーク!今から休憩? お疲れさま!」
「休憩じゃないよ。ただ通りがかって……あ、アリシアもいたんだね」
「アリシア、ちょい待ち! ちょっと失礼~!」

ハンナは慌てて立ち上がると、スキップでもしそうな勢いで休憩室の扉に立つアークのもとへ駆け寄っていく。

アリシアとアークの視線がふと合う。
お互いに軽く会釈を交わすと、アークはすぐに、あの甘やかに崩れた笑顔をハンナに向ける。

(めちゃくちゃラブラブじゃない)

それがまるで自分のことのように嬉しくて、アリシアの唇が緩んだ。

「ちょっとぉ! アリシア、なにその顔! 
にやけすぎなんだけど」
「えっ? あれ? アークはもう行っちゃったの?」
「うんうん、私の顔見るためだけに来てくれたって! どうしよう、もう恋が溢れて止まらないわ」
「うまくいってるんだね」
「うん!ふふふ。今日、私アークんちにお泊まりなの~!」
「えっ!?・・・いつの間に?」
「アリシアがルーカスとラブラブしてる間に、私もちゃっかりラブラブ進行中でした~!えへっ」
「ついこの前、付き合い始めたばかりじゃなかったっけ?」
「いやー、愛に時間は関係ないんだってば! てかね、一緒に住もうって言われてるんだ。うふふふ」
「……同棲!?」
「そう! 私、もうすぐ寮卒業かもっ!」

ハンナのテンションは最高潮だ。
見ているだけで目が回りそうなスピード感に、アリシアは思わず口をぽかんと開けてしまう。

ハンナが幸せそうで嬉しい。
アークなら、きっと彼女を大事にしてくれるだろう。あの優しげな眼差しを思い出す。

「ねぇねぇ、アリシアたちこそ、なんで一緒に暮らさないの? ラブラブでしょ?」
「……うーん……なんで、だろう」

不意に、胸の奥がずしりと重くなる。
愛してる。ルーカスのことは、心から。
でも、彼の過去――そして自分の不安定な気持ち――それが影のように心にまとわりついて離れない。

一緒に暮らしたい。でも、もしそれが彼の自由や未来を縛ることになったら?
自分の“好き”が、彼にとって“重さ”になってしまったら?

「……まだ、タイミングじゃないのかもね」
アリシアは笑ってそう答えたが、その笑みの奥に滲んだ陰りを、ハンナは気づいていないようだった。

「ん~? ま、焦らなくてもラブラブならいっか! よし、じゃあ今日の恋バナテーマは『一緒に暮らしたらやりたいこと』にしよ! 第一問! 彼のエプロン姿、ありかなしか!」
「え、そこから!?」

ふたりの女子トークは、笑い声をまじえて続いていく。
けれどアリシアの心には、そっと沈む波が一つ、揺れていたーーー



翌週――今度は寮の扉の下に折りたたまれた紙片が差し込まれていた。

「よそ者は出ていけ」

達筆とも乱筆ともつかない、にじんだ文字。
寮母に届けても「悪戯でしょう」と軽くあしらわれ、警告のようなそれは風のように片づけられた。

そして、それから数日後。
仕事を終えたアリシアが寮の部屋に戻ると、化粧台の上に置いていた香水瓶が砕け散っていた。

(ここしばらくは、ハンナはアークの家で過ごしていたわ)


部屋には誰も侵入した形跡がなかった。ただ、確かに彼女の持ち物が、そこに“壊された”という事実だけが残っていた。


(誰かに嫌がらせをされている?)






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