【完結】時計台の約束

とっくり

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37 希望の光

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アリシアは、ぼんやりと目を瞬いた。

「……赤ちゃん?」

自分の口から漏れた言葉に、耳が追いつかない。
小さな部屋に、鳥の声と遠くの鐘の音が柔らかく響いていた。
でも、その音さえどこか遠く、現実感が薄かった。

「わたしが……?」

手が、自然と腹部に添えられる。
そこに、何かの気配があるわけじゃない。ただ、温もりだけが、そっと指先に伝わってくる気がした。

「ルーカス……?」

誰に呼びかけるでもなく、ふいに名を呟いた。

(まだどこかにいるんじゃないか。時計台に行けば、笑って待っていてくれるんじゃないか――)

そんな思いが、心の奥で燻っている。
何も知らない振りをしてしまいたい。あの悪い夢から、まだ醒めていないだけだと、自分に言い聞かせたくなる。

だけど――。

(でも、もしこれが現実なら……)

彼の鼓動が、消えてしまったとしても。
彼の手が、もう触れられなくなったとしても。

この命は、確かに彼と自分のものだ。
二人で育んだ、たったひとつの未来。

そう思った瞬間、不意に――ふっと、笑みがこぼれた。

「……なんで、こんな時に……でも……」

声が震える。胸の奥が詰まる。
涙が滲みそうになるのをこらえながら、それでもアリシアは、嬉しさに似た感情を抱いていた。

それは希望だった。
彼がもういないと信じたくないからこそ、信じたい光。

「ルーカス……あなた、ここにいたんだね」

そう呟いて、自分のお腹をそっと撫でる。
まだ実感も、確信もない。ただ、信じたかった。
彼が残してくれたこの命を、どうしても抱きしめたかった。

そして、微笑んだ。
泣きながら、笑った。

まだ心は追いつかない。彼がいないなんて、やっぱり信じられない。
でもこの命が、きっと彼の声を、温もりを、連れてきてくれる――。

「……会わせたいな。あなたに」

胸の奥で、ぽたりと涙が落ちる。
でもその涙は、悲しみだけじゃなかった。

それは、ほんの少しの――優しい、喜びだった。


~~~~~~~~~~~~


 一方、ヘイウッド侯爵家ーーー


 数日前、一通の密書がサミュエルに届けられた。

 ――ルーカスに似た男が事故に遭った。その場を目撃した者がいる。

 証言によれば、それは早朝のこと。港の見える時計台近くの坂道で、馬車に跳ね飛ばされた若い男がいたという。
 身なりは粗末だったが、見事な金髪の髪に端整な顔立ち。何より、右手には古傷があったという。

 ――サミュエルの記憶に、痛いほど焼きついている傷跡だ。

 だが、現場に駆けつけた者が見たときには、すでに遺体はなかった。

 「すでに運ばれた」とだけ役人は言い、記録は曖昧。関係者への聴取も打ち切られ、そして極めつけは――目撃者自身が、その後忽然と姿を消していた。

 (……処理された。間違いなく、意図的に)

 (ルーカスの足取りが、ようやく掴めたというのに……)

 「くそっ!!」

 サミュエルは激しい音を立てて机を叩いた。重厚な木の表面が軋み、紙の束がはじけ飛ぶ。唇を噛みしめ、血の味が滲んだ。

 胸の奥から、熱く滾る怒りと、やり場のない悔しさがこみ上げる。
 ただの密偵の報告――それだけではなかった。
 それは、ルーカスの存在そのものが、この世から「消された」ことを示していた。

 「……ルーカス。すまない……」

 低く呟いた声が、震えていた。

 もっと早く見つけ出せていれば。
 あと一歩、ほんのわずかでも早ければ――このような最期を迎えさせずにすんだかもしれない。
 その「もしも」が、喉を焼くように繰り返し胸を締めつけた。

 (ミハエルの仕業だ・・・。間違いない)

 疑念は確信に変わっていた。ルーカスが死ぬ理由など、ミハエルの動機以外に存在しない。

 ――これは、仕組まれた「消失」だ。

 ――ルーカスは、「殺された」のだ。

 立ち上がったサミュエルの目には、もはや冷静さはなかった。そこにあったのは、激しい怒りと、深い哀しみを滲ませた決意の光。

彼は、密かに決めていた。

この手で、必ず裁く。
ミハエルを――終わらせる。
それが、ルーカスのためにできる、唯一の償いだと思った。


今――

ついに、動くべき時が来た。
まずは、真に信頼のおけるにだけ、先んじてこの事実を伝えるつもりだ。
その人の知恵と手を借りながら、慎重に、そして確実に証を積み上げていく。


……そして

遠く離れた地で待つ妹に、
この真実の断片を届けなければならない。

あの瞳が、ただ涙に濡れるのではなく、
怒りと意志を湛えて前を向けるように。
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