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42 スケッチブック
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ミハエルを捕縛する数日前――
港湾区のはずれ、長らく使われていなかった古い冷蔵倉庫。その分厚い扉が、きしみを上げてゆっくりと開かれた。
内部からは凍りついた空気とともに、潮と油の混じり合った異臭が押し寄せてくる。光の届かない暗闇が、まるで時間そのものを閉じ込めていた。
「……ここ、です」
護衛に両脇を固められた一人の男が、震える声で口を開いた。
男の手に握られたランタンの灯が、白く霜を帯びた壁をかすかに照らす。暗がりを進んだ先、倉庫の奥に見えたのは、積まれた麻袋の陰。そこにだけ、不自然に盛り上がった土があった。
それは、仮埋葬だった。
「……最初は港の地下倉庫に隠せって命令された。でも、朝になって騒ぎになったから……ここに移した。『後で処分する』って……」
男の言葉は途切れがちで、どこか他人事のようだった。
しかし、無造作にかけられた土を払い除けると、その下から現れたのは――粗末な布にくるまれた一つの遺体だった。
金色の髪。端正な顔立ち。
まるで眠っているかのように、ルーカスはそこにいた。
その姿を見た瞬間、サミュエルは思わず膝をついた。
しんと静まり返った冷蔵室の中、彼はただ、ルーカスの傍らにそっと手を伸ばす。
(ルーカス……見つけるのが遅くなって、すまない)
胸を締め付けられるような想いに、サミュエルは深く息を呑んだ。
生気を失った青年の顔には、どこか安らぎのような静けさが宿っていた。だが、それはもう戻らない命の証でもあった。
震える指先で、彼の胸元を探る。
やがて、衣の内側に、小さな油紙に包まれたものが隠されているのを見つけた。慎重に油紙を広げると、中から小さなスケッチブックが現れた。
スケッチブックの最初の数枚は無造作に破られていた。その後のページをめくると次は歪んだ線が何本も描かれてた。
「鉛筆の試し書きだろうか・・・」
何ページかをめくってみる。
似たような、意味のない線が描がかれていた。そして、最後のページを見た瞬間、サミュエルは息を止めた。
そこには、鉛筆で描かれた一人の女性のスケッチがあった。
線は乱れ、輪郭は何度も描き直されていた。力加減の違う線が何重にも重なっている。以前、ルーカスが描いていた肖像画のような技巧は見られなかった。
けれど――
そこには、確かな「想い」があった。
女性のやわらかな目元。まっすぐな髪。どこか儚げなその表情には、ルーカスがその命の尽きるまで胸に抱いていた、愛情と願いが込められていた。
(……右手が、もう満足に動かなかったはずなのに)
サミュエルの胸に、じわりと何かが染み込んでいく。手探りでも、拙くても、それでも伝えたかった想いが、この絵には確かに宿っている。
彼はふと、ルーカスがかつて口にした言葉を思い出す。
――「孤児院で過ごしていた頃、大切な子がいたんです」
照れくさそうに笑っていたルーカスの横顔が、まざまざと胸に蘇った。
「……この子が、君の――アリシアか」
サミュエルはそっとスケッチを抱きしめた。
この絵を、どうしても彼女に届けなければならない。それが、今の自分に託された最後の務めだった。
ルーカスが、最期まで守ろうとした「想い」を、遺された者に伝えるために。
サミュエルは立ち上がり、布で丁寧にくるんだスケッチとルーカスの遺品を、しっかりと胸に抱えた。
「必ず、届ける。……君の心ごと、彼女に」
その瞳には、深い悲しみと、静かな誓いが灯っていた。
この日から――彼が「アリシア」という名の少女を見つけ出すまで、サミュエルの
使命は終わらなかった。
港湾区のはずれ、長らく使われていなかった古い冷蔵倉庫。その分厚い扉が、きしみを上げてゆっくりと開かれた。
内部からは凍りついた空気とともに、潮と油の混じり合った異臭が押し寄せてくる。光の届かない暗闇が、まるで時間そのものを閉じ込めていた。
「……ここ、です」
護衛に両脇を固められた一人の男が、震える声で口を開いた。
男の手に握られたランタンの灯が、白く霜を帯びた壁をかすかに照らす。暗がりを進んだ先、倉庫の奥に見えたのは、積まれた麻袋の陰。そこにだけ、不自然に盛り上がった土があった。
それは、仮埋葬だった。
「……最初は港の地下倉庫に隠せって命令された。でも、朝になって騒ぎになったから……ここに移した。『後で処分する』って……」
男の言葉は途切れがちで、どこか他人事のようだった。
しかし、無造作にかけられた土を払い除けると、その下から現れたのは――粗末な布にくるまれた一つの遺体だった。
金色の髪。端正な顔立ち。
まるで眠っているかのように、ルーカスはそこにいた。
その姿を見た瞬間、サミュエルは思わず膝をついた。
しんと静まり返った冷蔵室の中、彼はただ、ルーカスの傍らにそっと手を伸ばす。
(ルーカス……見つけるのが遅くなって、すまない)
胸を締め付けられるような想いに、サミュエルは深く息を呑んだ。
生気を失った青年の顔には、どこか安らぎのような静けさが宿っていた。だが、それはもう戻らない命の証でもあった。
震える指先で、彼の胸元を探る。
やがて、衣の内側に、小さな油紙に包まれたものが隠されているのを見つけた。慎重に油紙を広げると、中から小さなスケッチブックが現れた。
スケッチブックの最初の数枚は無造作に破られていた。その後のページをめくると次は歪んだ線が何本も描かれてた。
「鉛筆の試し書きだろうか・・・」
何ページかをめくってみる。
似たような、意味のない線が描がかれていた。そして、最後のページを見た瞬間、サミュエルは息を止めた。
そこには、鉛筆で描かれた一人の女性のスケッチがあった。
線は乱れ、輪郭は何度も描き直されていた。力加減の違う線が何重にも重なっている。以前、ルーカスが描いていた肖像画のような技巧は見られなかった。
けれど――
そこには、確かな「想い」があった。
女性のやわらかな目元。まっすぐな髪。どこか儚げなその表情には、ルーカスがその命の尽きるまで胸に抱いていた、愛情と願いが込められていた。
(……右手が、もう満足に動かなかったはずなのに)
サミュエルの胸に、じわりと何かが染み込んでいく。手探りでも、拙くても、それでも伝えたかった想いが、この絵には確かに宿っている。
彼はふと、ルーカスがかつて口にした言葉を思い出す。
――「孤児院で過ごしていた頃、大切な子がいたんです」
照れくさそうに笑っていたルーカスの横顔が、まざまざと胸に蘇った。
「……この子が、君の――アリシアか」
サミュエルはそっとスケッチを抱きしめた。
この絵を、どうしても彼女に届けなければならない。それが、今の自分に託された最後の務めだった。
ルーカスが、最期まで守ろうとした「想い」を、遺された者に伝えるために。
サミュエルは立ち上がり、布で丁寧にくるんだスケッチとルーカスの遺品を、しっかりと胸に抱えた。
「必ず、届ける。……君の心ごと、彼女に」
その瞳には、深い悲しみと、静かな誓いが灯っていた。
この日から――彼が「アリシア」という名の少女を見つけ出すまで、サミュエルの
使命は終わらなかった。
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