【完結】時計台の約束

とっくり

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41 捕縛

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 グリーグ公爵家の屋敷、応接室。
分厚いカーテンの隙間から覗く空は、鉛のように重く、今にも泣き出しそうな灰色に染まっていた。
その空気を映すように、部屋の中には沈鬱で張りつめた緊張が漂っている。

 突然の来客――ヘイウッド侯爵、サミュエル、そして皇太子。
いずれも、一国を動かすだけの権威と力を持つ人物たち。その三人が揃って訪れた理由を、ミハエルは即座に察した。

それでも彼は、皮肉げな笑みを浮かべる。

「これはまた――壮観な顔ぶれだな。レオポルド殿下まで、いらっしゃるとは。お茶でも淹えと言いたいところだが、あいにく紅茶の葉が切れていてね」

 余裕を見せるように笑ったその口元には、どこか引きつった影があった。
 誰もその軽口には応じない。三人の視線は、まっすぐにミハエルを射抜いていた。
とりわけサミュエルの目は、怒りと哀しみを湛えて、鋭く冷たかった。

静かに、その口が開く。

「ミハエル・グリーグ公爵子息。――君の手で、ルーカスが殺されたこと。
その動かぬ証拠を、我々はすでに掴んでいる」

一瞬、ミハエルの目が揺れた。だが、即座に嘲笑に変わる。

「……また証言遊びか? この世に“口”ほど信用ならないものはないと、君も知っているはずだが」

 ヘイウッド侯爵が、どさりと分厚い書類の束を机に置いた。
淡々とした動作ながら、その音には明確な“重み”があった。

「君の使用人が供述した。“事故”を偽装するよう命じられ、馬車の手配から死体の処理まで全て君の指示で行ったと。
金銭の流れ、偽装された馬車の登録証、それに……運び屋の帳簿。記録には、君の私設書記の署名がある」

ミハエルのこめかみに、冷たい汗が一筋伝う。

レオポルド皇太子が前に出ると、部屋の空気が凍りついたように張り詰めた。

「お前が過去に行ってきた違法取引、暴行、証人買収、脅迫……全て、裏を取った。
ルーカスが暴漢に襲われ、右手に大怪我を負った事件もお前だろう。
お前のような人間が、貴族としてこの国に君臨すること自体が“害”だ。今ここに、裁きを下す」

ミハエルの唇がかすかに震えた。
だが次の瞬間、無理やり余裕を装った笑みを浮かべる。

「証人の証言? 所詮は小市民の寝言だろう。金で何とでもなる。そんなもので、俺を――」

「ならば、君が命じた“実行犯”を、ここに呼ぼうか」

サミュエルの声が冷たく、鋭く響いた。
その声と同時に、護衛が扉を開け、中年の男を伴って入ってきた。

 土埃にまみれたその男は、蒼白な顔で立ちすくみ、震える手で帽子を握りしめる。
視線は決してミハエルを見ようとしなかった。

「……ミ、ミハエル様に命じられました。……“あの男”を、港へ向かう途中で馬車で轢けと……事故に見せかけろと……」

サミュエルが男の言葉を引き取った。

「その証言に基づいて、廃港にある倉庫を捜索した。……倉庫の冷蔵室に、遺体が隠されていた。
……君が“処理済”と記録したルーカスだ。スケッチ帳と懐中時計で、身元は確認済みだ」

 ミハエルの顔が、みるみるうちに蒼白になる。口を開こうとしても、声が出ない。唇ばかりが乾いて震えていた。

「証人の証言、物証、金銭記録、そして遺体……全てが一致している。
君は、命ある者を金と権力で弄び、尊厳すら踏みにじった」

レオポルドの声には、激しい怒りが込められていた。

「――この場において宣言する。ミハエル・グリーグ。お前を“国家反逆に準ずる重罪”として拘束し、王城にて正式な裁きを受けさせる。もはや、この国においてお前に逃げ場はない」


 扉の外で、どたばたと騒がしい足音が近づく。

次いで、扉が勢いよく開かれ、召使が肩で息をしながら報告する。

「……グ、グリーグ公爵閣下が……ただいま屋敷に戻られました!」

その直後、まるで追われるようにして、グリーグ公爵が応接室へと飛び込んできた。

 旅装のまま、コートの裾は埃にまみれ、額には汗。長旅の疲労と混乱がその顔にはっきりと刻まれている。

「……ミハエル……何が起きている!? 何があったというのだ……!」

 状況が飲み込めていない。だが空気の異様さと、そこに居並ぶ顔ぶれ――レオポルド皇太子、ヘイウッド侯爵、サミュエルを見て、公爵の表情が強張った。

「まさか……まさか貴殿方が、直々に……何の用向きで……」

声が震えている。自分の不在中に屋敷で何かが起きた、それも“国を揺るがすほどの何か”であることを、本能的に悟ったのだ。

その視線が、ようやくミハエルに向かう。

「……ミハエル。お前が何か、……とんでもないことを――」

ミハエルは父の顔を見ようとしない。唇を固く結び、うつむいていた。

 そのとき、ヘイウッド侯爵が一歩前に出ると、事実を静かに、しかし容赦なく語り始めた。

証拠、証言、遺体。
そのすべてがミハエルの罪を明確に指し示している。

 説明を聞くたびに、グリーグ公爵の顔が青ざめていく。重ねられる事実のひとつひとつが、彼の息子を“人殺し”だけでは済まされぬほどの悪に塗り替えていった。

「……ば、馬鹿な……ルーカスの絵は、王家も所蔵していたはずだ。あれを描いていたのが、あの青年だったのか……。それを、我が子が……!」

 思わず足元がふらつき、壁にもたれかかる。その声には、怒りよりもむしろ、自らの無知と傲慢への愕然が滲んでいた。

 公爵は震える手を差し出し、場の誰よりも深々と頭を垂れた。

「レオポルド殿下、ヘイウッド侯爵、そしてサミュエル殿……この度は、我が子が……いや、我が家が取り返しのつかぬ不始末を……。すべては、私の監督不行き届きでございます……!」
 
 足元が揺らぎ、彼は壁にもたれかかる。
その巨体が小さく見えるほどに、打ちのめされていた。

だが――。

次の瞬間、公爵は自分の立場を思い出したように、震える手で懐からハンカチを出し、汗を拭いながら深く頭を垂れた。

「どうか……ミハエルは混乱していたのです。精神に異常をきたしていたのかもしれません。そう、専門の医師に診せれば……」

 皇太子が、公爵の言葉を遮るように一歩前に出た。

「……今さら『病気だった』などとすり替えるつもりか。貴族の名を傘に、血の上に立ってなお、取り繕うのか――“父”としてではなく、“公爵”として」

その一言に、公爵の表情が引きつる。

「息子の悪行に気づかず、いや――目を背け、甘やかしてきたのは貴殿自身だ。
ならばその責任は、国王陛下の御前にて問わせてもらう」

 グリーグ公爵は、もはや言葉もなく、その場に膝をついた。かつて政界に睨みを利かせた男の姿は、そこにはなかった。

 ただ、自らの過信と無責任が生んだ「結果」の前に、崩れ落ちる父の姿があるだけだった。


「……ふざけるな……! 俺が、こんな……!」

 ミハエルが叫びかけたそのとき、後ろに控えていた護衛の一人が、彼の肩を強く押さえた。
それは、かつて彼の指示に従っていた男――“手下の一人”だった。
裏で忠誠を誓っていたはずのその男は、淡々とした口調で言う。

「……あんたが、いつかこうなるとは思ってた。偉そうに人を使い捨てて、都合が悪くなれば切り捨てる。あんたに忠義なんて、向けるだけ無駄だったよ」

その一言が、ミハエルの最後のプライドを打ち砕いた。

「……連れて行け」

皇太子が厳かに命じた。

 護衛たちに両腕を押さえられ、ミハエルは力なく項垂れたまま、応接室を後にした。
その背に、誰も言葉をかけなかった。
ただ――音もなく、重たい沈黙のなかでその姿を見送った。

 その場に残されたグリーグ公爵は、呆然と立ち尽くしていた。
どこか現実感のない目で、扉の向こうへと消えていった息子の背中を見つめたまま、まるで凍りついたように。

「あれが……我が、ミハエルが……」

 震える唇から漏れた声は、もはや誰に向けたものでもなかった。
信じたくないという父の情と、信じねばならぬ現実との狭間で、顔色は蒼白を通り越して土気色に沈んでいた。

 握りしめた拳が、膝の上で震える。
その拳に力を込めようとしても、どこにも踏みとどまる場所がなかった。

 周囲が沈黙のまま視線を逸らす中、公爵だけが、今ようやくすべての重みを背負わされたかのように、そっと腰を落とした。

 どれほどの地位と威厳を誇っていた男も、今やその姿は、ただ一人の父として、あるいは失敗した支配者として――無残に沈み込むだけだった。

 外では、いつの間にか雨が降り出していた。灰色の雲が降らせたその雨は、罪を洗い流すにはあまりにも遅く、あまりにも冷たかった。

今、この時がこの国にとって――ひとつの「清算」の時だった。

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