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48 ルーカスの答え
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サミュエルとアリシアは診療所の応接室で対面していた。
アリシアの妊娠した身体に配慮して膝掛けを用意してくれたユゼットに軽く礼を述べると、彼女は静かに部屋を出ていった。扉が閉まると、室内には張り詰めたような沈黙が落ちる。
目の前に立つ男性は、洗練された身なりと立ち居振る舞いから、明らかに貴族だった。
どうして私のところに? 平民の自分に?アリシアは戸惑いを隠せず、視線を伏せたまま、息を詰めるようにしていた。
そんな彼女に、その青年は静かに、けれど柔らかい口調で名乗った。
「初めまして。私はサミュエル・ヘイウッド。ルーカスが書生として、我が家にいたんだ」
「……!」
アリシアは、ふいに息を呑んだ。
ヘイウッド。――ああ、あの少女の。
まだ幼かった日。
孤児院の片隅で、ふと目にした美しい金髪の少女。ルーカスと言葉を交わし、風のように去っていった姿が、今も心に残っている。
目の前の青年の眼差しに、あのときの少女の面影を見て、アリシアはようやく納得した。
「マーガレット様の……お兄様、なのですね」
サミュエルは小さく頷いた。
それから、一呼吸おいて、まっすぐにアリシアを見つめた。
「今日は、ルーカスのことで来た」
その一言が、まるで胸の奥を貫いたようで、アリシアの唇から、かすれた声がこぼれる。
「……ルーカスの……」
言葉を言い切る前に、涙が頬を伝い、喉の奥から嗚咽が込み上げた。アリシアは手で口を押さえ、どうにか堪えようとする。
「……無理しないで。ゆっくりでいいから」
サミュエルの声は、決して大きくはなかったが、芯のある優しさを帯びていた。
「ルーカスが姿を消してから、ずっと探してた。……でも、簡単には見つからなかった」
「…彼を……探されていたんですね」
「ああ。探しながら、同時にミハエル・グリーグの背後を追ってた。あいつの悪事の証拠が、徐々に揃ってきて……そうして、あるとき、私たちは知った。ルーカスが……事故に見せかけて殺されてたって」
アリシアは、小さく震える肩を抱くようにして、ただ聞いていた。
「遺体を確認したのは私だ。最期まで、顔立ちは整っていて……変わらなかった。おそらく、貴女にとっては、何よりもつらい話だろうって分かってた。けど……伝えなければと思って、ここに来た」
サミュエルが言い終えると、アリシアは、声も出せぬまま泣いていた。
ぽろぽろと、静かに、止めどなく涙が落ちる。手のひらが濡れていく。
「ルーカスは、ヘイウッド家の墓地に埋葬した。……ヘイウッド家にとっても、特別な存在だった。本当は、アリシア嬢に最初に知らせるべきだった。けど……事後報告になってしまって、申し訳ない」
彼の言葉には、後悔と敬意が滲んでいた。
アリシアは顔を覆ったまま、ただひたすら嗚咽をこらえ続けた。
長い沈黙。
けれど、その沈黙は、どこか静かで温かかった。
それぞれが、ルーカスというひとりの青年のことを想っていた。
別の場所で、別の形で、けれど同じくらい深く――。
やがて、アリシアが、かすかな声で言った。
「……ありがとうございます……来てくださって」
嗚咽まじりのその一言に、サミュエルはゆっくりと頷く。そして、そっと膝の上に置いていた包みを取り上げた。
「……もう一つ、君に渡さなきゃいけないものがある。ルーカスが遺してたものだ」
アリシアが顔を上げる。
その瞳は涙で真っ赤に腫れていたが、それでも、まっすぐにサミュエルを見ていた。
「これ、ルーカスの遺品の中にあった。スケッチブックだ」
そう言って、包みを開き、サミュエルはスケッチブックを取り出した。
布にくるまれていたそれは、角が擦れて色あせていた。
アリシアは一瞬、戸惑うようにそれを見つめ、恐る恐る両手で受け取った。そして、胸のあたりでそっと抱きしめる。
サミュエルは静かに目を伏せていたが、やがてふと思い立ち、語り始めた。
「……中を見たのは、ルーカスの遺体を確認した時なんだ。無遠慮かもしれないけど……どうしても気になって、開いてしまった」
アリシアは小さく首を横に振った。責める気など、毛ほどもなかった。
スケッチブックの表紙をそっとめくる。
最初の数枚は、無造作に破られていた。ページが不規則に抜け落ち、ちぎられた痕跡が痛ましい。何が描かれていたのかは、もうわからない。
次のページには、何本もの歪んだ線――ただそれだけがあった。
(右手を動かす練習をしていたのね・・・)
アリシアがつぶやくように言う。
めくるページごとに、似たような不規則な線が並ぶ。まるで、何かを掴もうとして、それでも掴めなかったような、空白の記録。
そして――最後のページをめくったとき、彼女は息をのんだ。
そこにいたのは、一人の女性の姿だった。
鉛筆で描かれたその肖像は、決して巧くはなかった。輪郭は何度も描き直され、線は乱れて重なり、歪みもあった。筆圧の加減もまばらで、どこか頼りない。
けれど――そこには、どうしようもなく「真実」が宿っていた。
アリシアは、見つめた。息をするのも忘れていた。
「……わたし……!」
声が震えた。
それは確かに、彼女自身だった。
不器用な線の奥から、ルーカスのまなざしが溢れてくるようだった。
サミュエルは、横顔だけでそれを見つめ、そっと言った。
「右手……たぶん、もう満足に動かなかったんだと思う。でも、それでも、描きたかったんだろうな」
彼の声には、感情の波がにじんでいた。
「前に、ルーカスが言ってたんだ。『孤児院で過ごしてた頃、大切な子がいたんです』って……ちょっと照れたような顔で」
アリシアは、両手でスケッチブックを抱きしめるようにして、瞳を閉じた。
その頬に、また一筋、涙がこぼれる。
その様子をみたサミュエルは
(ルーカス・・・君の――大切な人に、ようやく渡すことができた)
その言葉を、自分の中に落とし込むように心の中で呟いた。そして、静かに目を閉じた。
これでようやく、ひとつの想いが、しかるべき場所に届いた。
ルーカスの心が、最期まで抱き続けていた「誰か」へ――確かに託されたのだと、サミュエルは感じていた。
その部屋には、静寂と、淡い祈りのような空気が、やわらかく流れていた。
アリシアの妊娠した身体に配慮して膝掛けを用意してくれたユゼットに軽く礼を述べると、彼女は静かに部屋を出ていった。扉が閉まると、室内には張り詰めたような沈黙が落ちる。
目の前に立つ男性は、洗練された身なりと立ち居振る舞いから、明らかに貴族だった。
どうして私のところに? 平民の自分に?アリシアは戸惑いを隠せず、視線を伏せたまま、息を詰めるようにしていた。
そんな彼女に、その青年は静かに、けれど柔らかい口調で名乗った。
「初めまして。私はサミュエル・ヘイウッド。ルーカスが書生として、我が家にいたんだ」
「……!」
アリシアは、ふいに息を呑んだ。
ヘイウッド。――ああ、あの少女の。
まだ幼かった日。
孤児院の片隅で、ふと目にした美しい金髪の少女。ルーカスと言葉を交わし、風のように去っていった姿が、今も心に残っている。
目の前の青年の眼差しに、あのときの少女の面影を見て、アリシアはようやく納得した。
「マーガレット様の……お兄様、なのですね」
サミュエルは小さく頷いた。
それから、一呼吸おいて、まっすぐにアリシアを見つめた。
「今日は、ルーカスのことで来た」
その一言が、まるで胸の奥を貫いたようで、アリシアの唇から、かすれた声がこぼれる。
「……ルーカスの……」
言葉を言い切る前に、涙が頬を伝い、喉の奥から嗚咽が込み上げた。アリシアは手で口を押さえ、どうにか堪えようとする。
「……無理しないで。ゆっくりでいいから」
サミュエルの声は、決して大きくはなかったが、芯のある優しさを帯びていた。
「ルーカスが姿を消してから、ずっと探してた。……でも、簡単には見つからなかった」
「…彼を……探されていたんですね」
「ああ。探しながら、同時にミハエル・グリーグの背後を追ってた。あいつの悪事の証拠が、徐々に揃ってきて……そうして、あるとき、私たちは知った。ルーカスが……事故に見せかけて殺されてたって」
アリシアは、小さく震える肩を抱くようにして、ただ聞いていた。
「遺体を確認したのは私だ。最期まで、顔立ちは整っていて……変わらなかった。おそらく、貴女にとっては、何よりもつらい話だろうって分かってた。けど……伝えなければと思って、ここに来た」
サミュエルが言い終えると、アリシアは、声も出せぬまま泣いていた。
ぽろぽろと、静かに、止めどなく涙が落ちる。手のひらが濡れていく。
「ルーカスは、ヘイウッド家の墓地に埋葬した。……ヘイウッド家にとっても、特別な存在だった。本当は、アリシア嬢に最初に知らせるべきだった。けど……事後報告になってしまって、申し訳ない」
彼の言葉には、後悔と敬意が滲んでいた。
アリシアは顔を覆ったまま、ただひたすら嗚咽をこらえ続けた。
長い沈黙。
けれど、その沈黙は、どこか静かで温かかった。
それぞれが、ルーカスというひとりの青年のことを想っていた。
別の場所で、別の形で、けれど同じくらい深く――。
やがて、アリシアが、かすかな声で言った。
「……ありがとうございます……来てくださって」
嗚咽まじりのその一言に、サミュエルはゆっくりと頷く。そして、そっと膝の上に置いていた包みを取り上げた。
「……もう一つ、君に渡さなきゃいけないものがある。ルーカスが遺してたものだ」
アリシアが顔を上げる。
その瞳は涙で真っ赤に腫れていたが、それでも、まっすぐにサミュエルを見ていた。
「これ、ルーカスの遺品の中にあった。スケッチブックだ」
そう言って、包みを開き、サミュエルはスケッチブックを取り出した。
布にくるまれていたそれは、角が擦れて色あせていた。
アリシアは一瞬、戸惑うようにそれを見つめ、恐る恐る両手で受け取った。そして、胸のあたりでそっと抱きしめる。
サミュエルは静かに目を伏せていたが、やがてふと思い立ち、語り始めた。
「……中を見たのは、ルーカスの遺体を確認した時なんだ。無遠慮かもしれないけど……どうしても気になって、開いてしまった」
アリシアは小さく首を横に振った。責める気など、毛ほどもなかった。
スケッチブックの表紙をそっとめくる。
最初の数枚は、無造作に破られていた。ページが不規則に抜け落ち、ちぎられた痕跡が痛ましい。何が描かれていたのかは、もうわからない。
次のページには、何本もの歪んだ線――ただそれだけがあった。
(右手を動かす練習をしていたのね・・・)
アリシアがつぶやくように言う。
めくるページごとに、似たような不規則な線が並ぶ。まるで、何かを掴もうとして、それでも掴めなかったような、空白の記録。
そして――最後のページをめくったとき、彼女は息をのんだ。
そこにいたのは、一人の女性の姿だった。
鉛筆で描かれたその肖像は、決して巧くはなかった。輪郭は何度も描き直され、線は乱れて重なり、歪みもあった。筆圧の加減もまばらで、どこか頼りない。
けれど――そこには、どうしようもなく「真実」が宿っていた。
アリシアは、見つめた。息をするのも忘れていた。
「……わたし……!」
声が震えた。
それは確かに、彼女自身だった。
不器用な線の奥から、ルーカスのまなざしが溢れてくるようだった。
サミュエルは、横顔だけでそれを見つめ、そっと言った。
「右手……たぶん、もう満足に動かなかったんだと思う。でも、それでも、描きたかったんだろうな」
彼の声には、感情の波がにじんでいた。
「前に、ルーカスが言ってたんだ。『孤児院で過ごしてた頃、大切な子がいたんです』って……ちょっと照れたような顔で」
アリシアは、両手でスケッチブックを抱きしめるようにして、瞳を閉じた。
その頬に、また一筋、涙がこぼれる。
その様子をみたサミュエルは
(ルーカス・・・君の――大切な人に、ようやく渡すことができた)
その言葉を、自分の中に落とし込むように心の中で呟いた。そして、静かに目を閉じた。
これでようやく、ひとつの想いが、しかるべき場所に届いた。
ルーカスの心が、最期まで抱き続けていた「誰か」へ――確かに託されたのだと、サミュエルは感じていた。
その部屋には、静寂と、淡い祈りのような空気が、やわらかく流れていた。
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