6 / 42
6 求める心
しおりを挟む
─ラズ視点─
ミレイアが目を覚まし、自分の名前を呼んでくれたことに胸の奥が震えるほど安堵した。
長く閉ざされていた扉が、ようやく軋みながらも開いたような感覚。
彼女の瞳が再び光を宿したこと、それだけで世界が少し色を取り戻したように思えた。
「……お帰り、ミレイア。」
そう言った自分の声が、ひどく優しく響いたことにも気づいていた。
ミレイアは弱々しく微笑み、枯れた声で「ラズ……」と名を呼んだ。
その一言が、胸にしみた。
自分はずっと、彼女のそばにいると誓っていたのだ。
あの日、婚約の儀で取るはずだった彼女の手を振り解き、目の前の彼女の手を取ったではないか。
それなのに──
ミレイアの手を握るたびに、心がどこか空を切っているような感覚が拭えなかった。
「ラズ・・・?」
ミレイアの声に我に返る。
その澄んだ青い瞳は、疑うことを知らない光でこちらを見ていた。
笑わなければならないと思った。
優しく、穏やかに、何の疑念も見せずに。
「……大丈夫だ。もう何も心配いらない。
ずっとそばにいるよ」
そう言いながら、脳裏にふと浮かんだのは──
灰緑の瞳の物静かな彼女。
風に揺れる栗色の髪。
ひどく寂しげな背中。
それでも、こちらを見たときの瞳には、
確かな灯が宿っていた。
(どうして、今、思い出す……?)
ミレイアのそばにいるべき自分が、
なぜリリエルを想起しているのか。
理解できなかった。
だが心の奥で、何かが軋む音がした。
~~~~~~~~~
リリエルとの婚約の話が出たのは
自分が十四のときだった。
当時、幼なじみとして互いに無理なく受け入れられる関係にあった。
静かな彼女は、まるで森の奥に咲く小さな白花のようで、そばにいると不思議と心が落ち着いた。
「ラズ様、無理をなさらず……」
そう言って、剣の稽古帰りの泥だらけの自分を叱りもせず、そっと布を差し出してくれる。
その優しさが、当たり前になっていた。
けれど、ある日。
ミレイアが十三になった頃だったか──
王都の学園に入学したというミレイアをたまたま目にする機会があった。
学園の制服を身にまとい、友人達と談笑しながら廊下を歩く姿は、幼い頃とはまるで違っていた。
もともと顔立ちは整っていた。
表情がくるくる変わり、明るく笑い、話すミレイアに、リリエルにはない強い光が、彼女の周囲を包んでいた。
「……新入生のミレイア嬢だよ。お前の婚約者の妹だろう?抜群に可愛いよな。」
隣に居た友人が呟く。
ラズは、リリエルの背中を必死に追っかける小さな姿にしか記憶が無かった。
「小さい時も可愛かったか?」
友人は興味津々に話を続ける。
「姉は学園に通ってないんだろう?
家庭教師で勉強してるんだって?」
ミレイアに見惚れてしまい
友人との会話をどう終わらせたか
記憶になかった。
それから、学園では自然とミレイアを追うようになっていた。
そんなある日、学園の食堂でミレイアと
再会した。
「ラズ?」
薔薇のような大輪の笑みを浮かべて、
淑女らしからぬ歩調でミレイアはラズの元に現れた。手には昼食に注文したパスタセットをのせたトレーを持っている。
1人昼食を摂っていたラズの隣の席にミレイアは腰掛けた。
「席が無くて困っていたの。一緒に良いかしら?」
良いと返事をする前に座り、屈託なく笑うミレイアに思わず笑ってしまった。
「良いも何も。もう座っているだろう?」
「ふふっ」
ミレイアも笑い出す。
これをきっかけに、時間が合えば学園で
一緒に昼食を摂るようになった。
お互いに友人を交える時もあれば、2人の時もあった。
月に一度はリリエルとお茶会があった。
リリエルと会えば、静かな笑顔に癒され、心は静まる。
だが、ミレイアを見ると、鼓動が速くなる。その「違い」を、当時の自分は明確に言葉にできなかった。
やがてリリエルとの婚約の話が本格的になり、お互いの将来の事を考え始めると堅苦しく思うようになった。
心の距離が少しずつ開き始めたころ──
「ミレイアと会う機会が増えたのも、ただの偶然だった」と思おうとしていた。
だが、本当は──
心が向かう先を、どこかで知っていたのだ。
リリエルに向けていた“安心”が、
ミレイアに向ける“ときめき”にすり替わっていたことを。
気づかないふりをしたまま。
ミレイアが目を覚まし、自分の名前を呼んでくれたことに胸の奥が震えるほど安堵した。
長く閉ざされていた扉が、ようやく軋みながらも開いたような感覚。
彼女の瞳が再び光を宿したこと、それだけで世界が少し色を取り戻したように思えた。
「……お帰り、ミレイア。」
そう言った自分の声が、ひどく優しく響いたことにも気づいていた。
ミレイアは弱々しく微笑み、枯れた声で「ラズ……」と名を呼んだ。
その一言が、胸にしみた。
自分はずっと、彼女のそばにいると誓っていたのだ。
あの日、婚約の儀で取るはずだった彼女の手を振り解き、目の前の彼女の手を取ったではないか。
それなのに──
ミレイアの手を握るたびに、心がどこか空を切っているような感覚が拭えなかった。
「ラズ・・・?」
ミレイアの声に我に返る。
その澄んだ青い瞳は、疑うことを知らない光でこちらを見ていた。
笑わなければならないと思った。
優しく、穏やかに、何の疑念も見せずに。
「……大丈夫だ。もう何も心配いらない。
ずっとそばにいるよ」
そう言いながら、脳裏にふと浮かんだのは──
灰緑の瞳の物静かな彼女。
風に揺れる栗色の髪。
ひどく寂しげな背中。
それでも、こちらを見たときの瞳には、
確かな灯が宿っていた。
(どうして、今、思い出す……?)
ミレイアのそばにいるべき自分が、
なぜリリエルを想起しているのか。
理解できなかった。
だが心の奥で、何かが軋む音がした。
~~~~~~~~~
リリエルとの婚約の話が出たのは
自分が十四のときだった。
当時、幼なじみとして互いに無理なく受け入れられる関係にあった。
静かな彼女は、まるで森の奥に咲く小さな白花のようで、そばにいると不思議と心が落ち着いた。
「ラズ様、無理をなさらず……」
そう言って、剣の稽古帰りの泥だらけの自分を叱りもせず、そっと布を差し出してくれる。
その優しさが、当たり前になっていた。
けれど、ある日。
ミレイアが十三になった頃だったか──
王都の学園に入学したというミレイアをたまたま目にする機会があった。
学園の制服を身にまとい、友人達と談笑しながら廊下を歩く姿は、幼い頃とはまるで違っていた。
もともと顔立ちは整っていた。
表情がくるくる変わり、明るく笑い、話すミレイアに、リリエルにはない強い光が、彼女の周囲を包んでいた。
「……新入生のミレイア嬢だよ。お前の婚約者の妹だろう?抜群に可愛いよな。」
隣に居た友人が呟く。
ラズは、リリエルの背中を必死に追っかける小さな姿にしか記憶が無かった。
「小さい時も可愛かったか?」
友人は興味津々に話を続ける。
「姉は学園に通ってないんだろう?
家庭教師で勉強してるんだって?」
ミレイアに見惚れてしまい
友人との会話をどう終わらせたか
記憶になかった。
それから、学園では自然とミレイアを追うようになっていた。
そんなある日、学園の食堂でミレイアと
再会した。
「ラズ?」
薔薇のような大輪の笑みを浮かべて、
淑女らしからぬ歩調でミレイアはラズの元に現れた。手には昼食に注文したパスタセットをのせたトレーを持っている。
1人昼食を摂っていたラズの隣の席にミレイアは腰掛けた。
「席が無くて困っていたの。一緒に良いかしら?」
良いと返事をする前に座り、屈託なく笑うミレイアに思わず笑ってしまった。
「良いも何も。もう座っているだろう?」
「ふふっ」
ミレイアも笑い出す。
これをきっかけに、時間が合えば学園で
一緒に昼食を摂るようになった。
お互いに友人を交える時もあれば、2人の時もあった。
月に一度はリリエルとお茶会があった。
リリエルと会えば、静かな笑顔に癒され、心は静まる。
だが、ミレイアを見ると、鼓動が速くなる。その「違い」を、当時の自分は明確に言葉にできなかった。
やがてリリエルとの婚約の話が本格的になり、お互いの将来の事を考え始めると堅苦しく思うようになった。
心の距離が少しずつ開き始めたころ──
「ミレイアと会う機会が増えたのも、ただの偶然だった」と思おうとしていた。
だが、本当は──
心が向かう先を、どこかで知っていたのだ。
リリエルに向けていた“安心”が、
ミレイアに向ける“ときめき”にすり替わっていたことを。
気づかないふりをしたまま。
348
あなたにおすすめの小説
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
婚約者に愛する人が出来たので、身を引く事にしました
Blue
恋愛
幼い頃から家族ぐるみで仲が良かったサーラとトンマーゾ。彼が学園に通うようになってしばらくして、彼から告白されて婚約者になった。サーラも彼を好きだと自覚してからは、穏やかに付き合いを続けていたのだが、そんな幸せは壊れてしまう事になる。
【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?
全部私が悪いのです
久留茶
恋愛
ある出来事が原因でオーディール男爵家の長女ジュディス(20歳)の婚約者を横取りする形となってしまったオーディール男爵家の次女オフィーリア(18歳)。
姉の元婚約者である王国騎士団所属の色男エドガー・アーバン伯爵子息(22歳)は姉への気持ちが断ち切れず、彼女と別れる原因となったオフィーリアを結婚後も恨み続け、妻となったオフィーリアに対して辛く当たる日々が続いていた。
世間からも姉の婚約者を奪った『欲深いオフィーリア』と悪名を轟かせるオフィーリアに果たして幸せは訪れるのだろうか……。
*全18話完結となっています。
*大分イライラする場面が多いと思われますので苦手な方はご注意下さい。
*後半まで読んで頂ければ救いはあります(多分)。
*この作品は他誌にも掲載中です。
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる