9 / 42
9 祈りの先にある道
しおりを挟む
─
「……だが、それでも・・・納得などできん。」
キンバリーの声は、苦しげに弱々しく呟かれた。
椅子に座ったまま、握った拳を机に打ちつける。
机の上の燭台が揺れて、蝋燭の炎がふらりと震えた。
リリエルはキンバリーの前に立ち尽くしたまま、少しだけ目を伏せる。
けれど、その背筋はまっすぐ伸びていた。
「・・・このままでは、リリエルだけではなくミレイアにも傷がつく。
姉が修道院に入ったと聞けば、婚約を略奪したと陰口を叩く者も出るだろう。
ラズ殿の家にも、決して良い印象は与えん。お前の一存で、どれほど多くの者に波紋を呼ぶか分っているのか・・・?」
キンバリーの声は、勢いはすでに失い、
もはや懇願に近かった。
娘がどれだけ思慮深いかを知っているがゆえに、それでも「引き留めたい」と願う最後の言葉を重ねていた。
「家の名誉など、私にはどうでもよい。だが……お前の人生だ、リリエル。
修道院での暮らしが、どれほど過酷か分かっているのか?
寒さも、飢えも、孤独も──この家で守られていた日々とは、何もかも違う」
リリエルの視線が、キンバリーの目を静かに見つめた。
「……分かっています。
それでも、私はこのままでは、自分自身を保てません。
気づかぬふりを続けることが、何よりも私を傷つけてしまうのです」
「お前は、耐えてこれただろう? 優しく、賢く──」
「それは、“耐えてきた”だけです、お父様」
一瞬、キンバリーの目が揺れた。
娘から放たれたその言葉の強さに、心が揺さぶられたのだ。
「私は、ずっと……笑ってきました。
ラズ様の隣にいるたびに、妹に向けられる眼差しを見ながら、
心の奥で泣いていたのに──誰にも、気づかれたくなくて」
言葉の途中で、リリエルは小さく息を呑んだ。
それでも、静かに言葉を紡ぎ続ける。
「けれど、本当は……もう限界だったのです。
私は、愛する人の心が自分にないことに、気づいてしまった。
それを見ないふりをすることが、どれほど自分を壊していくのか、初めて知りました」
「……リリエル……」
キンバリーの声は、戸惑いと痛みとが滲んでいた。
「どうしても、行かねばならんのか……?」
リリエルは、ゆっくりとうなずいた。
瞳には涙の光を宿していたが、その表情は清らかだった。
「はい。
これは、私の人生です。
そして私の祈りです。
どうか、お父様……それを信じてください」
沈黙が落ちた。
長く、重い沈黙。
蝋燭の炎が、かすかに揺れていた。
やがて──
「……オリビアと相談させてくれ。今すぐ返事はできん」
ぽつりと、キンバリーがつぶやいた。
「ありがとうございます」
リリエルは深く頭を下げた。
涙が、ぽとりと落ちて床を濡らした。
その夜、キンバリーはひとり書斎に残り、
窓の外に沈む月を眺めながら、娘の背中を思い続けていた。
「……だが、それでも・・・納得などできん。」
キンバリーの声は、苦しげに弱々しく呟かれた。
椅子に座ったまま、握った拳を机に打ちつける。
机の上の燭台が揺れて、蝋燭の炎がふらりと震えた。
リリエルはキンバリーの前に立ち尽くしたまま、少しだけ目を伏せる。
けれど、その背筋はまっすぐ伸びていた。
「・・・このままでは、リリエルだけではなくミレイアにも傷がつく。
姉が修道院に入ったと聞けば、婚約を略奪したと陰口を叩く者も出るだろう。
ラズ殿の家にも、決して良い印象は与えん。お前の一存で、どれほど多くの者に波紋を呼ぶか分っているのか・・・?」
キンバリーの声は、勢いはすでに失い、
もはや懇願に近かった。
娘がどれだけ思慮深いかを知っているがゆえに、それでも「引き留めたい」と願う最後の言葉を重ねていた。
「家の名誉など、私にはどうでもよい。だが……お前の人生だ、リリエル。
修道院での暮らしが、どれほど過酷か分かっているのか?
寒さも、飢えも、孤独も──この家で守られていた日々とは、何もかも違う」
リリエルの視線が、キンバリーの目を静かに見つめた。
「……分かっています。
それでも、私はこのままでは、自分自身を保てません。
気づかぬふりを続けることが、何よりも私を傷つけてしまうのです」
「お前は、耐えてこれただろう? 優しく、賢く──」
「それは、“耐えてきた”だけです、お父様」
一瞬、キンバリーの目が揺れた。
娘から放たれたその言葉の強さに、心が揺さぶられたのだ。
「私は、ずっと……笑ってきました。
ラズ様の隣にいるたびに、妹に向けられる眼差しを見ながら、
心の奥で泣いていたのに──誰にも、気づかれたくなくて」
言葉の途中で、リリエルは小さく息を呑んだ。
それでも、静かに言葉を紡ぎ続ける。
「けれど、本当は……もう限界だったのです。
私は、愛する人の心が自分にないことに、気づいてしまった。
それを見ないふりをすることが、どれほど自分を壊していくのか、初めて知りました」
「……リリエル……」
キンバリーの声は、戸惑いと痛みとが滲んでいた。
「どうしても、行かねばならんのか……?」
リリエルは、ゆっくりとうなずいた。
瞳には涙の光を宿していたが、その表情は清らかだった。
「はい。
これは、私の人生です。
そして私の祈りです。
どうか、お父様……それを信じてください」
沈黙が落ちた。
長く、重い沈黙。
蝋燭の炎が、かすかに揺れていた。
やがて──
「……オリビアと相談させてくれ。今すぐ返事はできん」
ぽつりと、キンバリーがつぶやいた。
「ありがとうございます」
リリエルは深く頭を下げた。
涙が、ぽとりと落ちて床を濡らした。
その夜、キンバリーはひとり書斎に残り、
窓の外に沈む月を眺めながら、娘の背中を思い続けていた。
478
あなたにおすすめの小説
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
婚約者に愛する人が出来たので、身を引く事にしました
Blue
恋愛
幼い頃から家族ぐるみで仲が良かったサーラとトンマーゾ。彼が学園に通うようになってしばらくして、彼から告白されて婚約者になった。サーラも彼を好きだと自覚してからは、穏やかに付き合いを続けていたのだが、そんな幸せは壊れてしまう事になる。
【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?
全部私が悪いのです
久留茶
恋愛
ある出来事が原因でオーディール男爵家の長女ジュディス(20歳)の婚約者を横取りする形となってしまったオーディール男爵家の次女オフィーリア(18歳)。
姉の元婚約者である王国騎士団所属の色男エドガー・アーバン伯爵子息(22歳)は姉への気持ちが断ち切れず、彼女と別れる原因となったオフィーリアを結婚後も恨み続け、妻となったオフィーリアに対して辛く当たる日々が続いていた。
世間からも姉の婚約者を奪った『欲深いオフィーリア』と悪名を轟かせるオフィーリアに果たして幸せは訪れるのだろうか……。
*全18話完結となっています。
*大分イライラする場面が多いと思われますので苦手な方はご注意下さい。
*後半まで読んで頂ければ救いはあります(多分)。
*この作品は他誌にも掲載中です。
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる