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10 風のような人
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修道院の朝は早い。
鐘の音が谷に響き渡る前に、リリエルは静かに目を覚ました。
この場所に来て、まだ一月にも満たない。
けれど、冷たい石の床にも、質素な食事にも、もう身体は慣れていた。
今日の奉仕は、裏庭の薬草の手入れ。
腰をかがめ、朝露に濡れたラベンダーの葉にそっと手を添える。
その指先に光が宿るような、穏やかなひととき。
──そこに、ふいに声が降ってきた。
「おや、こんなところに天使が落ちているとは。拾ってもいいかな?」
リリエルは驚いて顔を上げた。
声の主は、修道女の着る質素な服とはまるで違う、旅装に身を包んだ男だった。
その男──ユリアンは、一目で“異質”だと分かる雰囲気を纏っていた。
煤けた旅装の隙間からのぞくのは、陽に焼けたような小麦色の肌。
乱れた癖毛は栗色で、どこか風に晒された草原を思わせる。
瞳は琥珀色。陽光を反射してきらめくその双眸は、まるで人の心の奥を覗き込むような生意気さと、掴みどころのない笑みを常に宿していた。
目元は少し垂れぎみで、油断のある優しげな印象すら与える。
通った鼻筋よりも、その唇の形に目を奪われる──笑っていないのに微笑んでいるような口元。
全体的に中性的で、どこか放っておけない雰囲気がある。
瞳にはつかみどころのない薄笑いが常に浮かんでいた。
「……どなたですか?」
リリエルは立ち上がり、少しだけ距離をとった。
男は気にした風もなく、片手を挙げて挨拶した。
「ユリアン。道に迷ってたら、ここにたどり着いた。宿もなくてね。
しばらく、世話になるつもりさ。そこの院長さんも、それで納得してくれたよ。
君が世話してるそのラベンダー、いい香りだな。少し摘んでも怒られないかな?」
「……これは薬草です。摘むなら、ちゃんと必要な分だけにしてください」
リリエルは静かにそう言い、膝をついて再び作業に戻る。
それ以上、彼を見ようとはしなかった。
だが──彼はその場を離れず、土に触れるリリエルを、興味深げに見つめ続けていた。
「君、修道女にしちゃ……ずいぶんきれいだね。どこかの貴族の娘さん?」
リリエルは作業の手を止め、表情を変えずに応じた。
「私は、この修道院のひとりの奉仕者です」
その一言には、曖昧な微笑みを拒むような清らかさがあった。
ユリアンは小さく笑った。
その笑みは、どこか皮肉めいていて、それでいて人を緊張させない不思議な軽さを持っている。
「そっか。じゃあ、今日は“天使”に話しかけた罰として、僕も草取りでもしようかな。
ほら、貴族って言われたって怒られるからね。ちゃんと働かないと」
そう言って、地面にしゃがみ込み、まるで気まぐれな猫のようにリリエルの隣に並んだ。
リリエルは一瞬戸惑ったが、すぐに何も言わずに手元に目を戻した。
ただ、その頬にほんのわずか、困ったような熱が差していた。
──こうして、風のような男と、祈りに生きる少女の物語が、静かに動き出した。
鐘の音が谷に響き渡る前に、リリエルは静かに目を覚ました。
この場所に来て、まだ一月にも満たない。
けれど、冷たい石の床にも、質素な食事にも、もう身体は慣れていた。
今日の奉仕は、裏庭の薬草の手入れ。
腰をかがめ、朝露に濡れたラベンダーの葉にそっと手を添える。
その指先に光が宿るような、穏やかなひととき。
──そこに、ふいに声が降ってきた。
「おや、こんなところに天使が落ちているとは。拾ってもいいかな?」
リリエルは驚いて顔を上げた。
声の主は、修道女の着る質素な服とはまるで違う、旅装に身を包んだ男だった。
その男──ユリアンは、一目で“異質”だと分かる雰囲気を纏っていた。
煤けた旅装の隙間からのぞくのは、陽に焼けたような小麦色の肌。
乱れた癖毛は栗色で、どこか風に晒された草原を思わせる。
瞳は琥珀色。陽光を反射してきらめくその双眸は、まるで人の心の奥を覗き込むような生意気さと、掴みどころのない笑みを常に宿していた。
目元は少し垂れぎみで、油断のある優しげな印象すら与える。
通った鼻筋よりも、その唇の形に目を奪われる──笑っていないのに微笑んでいるような口元。
全体的に中性的で、どこか放っておけない雰囲気がある。
瞳にはつかみどころのない薄笑いが常に浮かんでいた。
「……どなたですか?」
リリエルは立ち上がり、少しだけ距離をとった。
男は気にした風もなく、片手を挙げて挨拶した。
「ユリアン。道に迷ってたら、ここにたどり着いた。宿もなくてね。
しばらく、世話になるつもりさ。そこの院長さんも、それで納得してくれたよ。
君が世話してるそのラベンダー、いい香りだな。少し摘んでも怒られないかな?」
「……これは薬草です。摘むなら、ちゃんと必要な分だけにしてください」
リリエルは静かにそう言い、膝をついて再び作業に戻る。
それ以上、彼を見ようとはしなかった。
だが──彼はその場を離れず、土に触れるリリエルを、興味深げに見つめ続けていた。
「君、修道女にしちゃ……ずいぶんきれいだね。どこかの貴族の娘さん?」
リリエルは作業の手を止め、表情を変えずに応じた。
「私は、この修道院のひとりの奉仕者です」
その一言には、曖昧な微笑みを拒むような清らかさがあった。
ユリアンは小さく笑った。
その笑みは、どこか皮肉めいていて、それでいて人を緊張させない不思議な軽さを持っている。
「そっか。じゃあ、今日は“天使”に話しかけた罰として、僕も草取りでもしようかな。
ほら、貴族って言われたって怒られるからね。ちゃんと働かないと」
そう言って、地面にしゃがみ込み、まるで気まぐれな猫のようにリリエルの隣に並んだ。
リリエルは一瞬戸惑ったが、すぐに何も言わずに手元に目を戻した。
ただ、その頬にほんのわずか、困ったような熱が差していた。
──こうして、風のような男と、祈りに生きる少女の物語が、静かに動き出した。
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