【完結】祈りの果て、君を想う

とっくり

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25 心の扉

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 扉の外から、聞き慣れた声が聞こえた瞬間、リリエルの中で何かが静かに波打った。

 リリエルは、応接室の奥から扉が開く音を聞いた瞬間、胸の奥に小さな波紋が広がるのを感じた。

 その足音は、もう何度も耳にしてきたものだった。
 ゆるやかに、けれどためらいがちに近づいてくる気配。

 扉越しに聞こえた声が、確かにラズのものだとわかったとき――
 胸の中にひとつ、深く呼吸を落とすような静けさが生まれた。

(……やはり、来たのね)

 驚きはなかった。
 すでに、そうなるだろうと思っていたから。

 むしろ、胸の奥に微かな痛みを感じながらも、それ以上の感情は起きなかったことに、リリエル自身がほっとしていた。

 あの人を想う日々は、確かにあった。
 けれど、それはもう過ぎた時間だった。
 いまの自分は、もう、その場所にはいない。

 ミレイアがラズを連れて扉を開けたとき、リリエルはゆっくりと立ち上がり、静かに目を合わせた。

 黒の外套を羽織った青年。変わらぬ姿のはずなのに、どこか違って見えた。

(変わったのは……きっと、私のほう)

 そう思った。

 ラズの視線が、まっすぐ自分を捉えた。

 目が合ったその瞬間、胸の奥にほんの僅かに残っていた熱が、きゅっと小さく収縮する。

 その瞳には、もう揺らぎはなかった。
 悲しみも、憎しみもない。

 ただ、淡い追憶のような光だけが、ほんの一瞬きらめいた。

「お迎え……ありがとうございます。ミレイアのこと、お願いします」

 自分でも、声が穏やかすぎて少し驚いた。

 何ひとつ取り繕っていない。
 本心から、そう言えた。


 ラズの視線は、何かを言いかけて、結局何も言わなかった。その沈黙が、かえってすべてを物語っていた。


 それでよかった。

 何も言わなくていい。

 もう、それ以上を求めていない。

 あの日々は、心の中で静かに結晶となって、もう崩れることはないのだと気づく。

 ミレイアがラズの腕にそっと触れ、ふたりが並んで歩き出す。その後ろ姿を、リリエルは静かに見送った。

 胸の奥に広がるのは、想像していたような寂しさではなかった。

 むしろ、深い呼吸のような静けさ。
 ひとつの想いを、ちゃんと終わらせることができた――その、ささやかな誇り。


 涙は出なかった。


 ただ、心の奥でひとつの扉が静かに閉じる音がした。


(さようなら、ラズ様・・・)


 心の中でだけそう呟く。 

 彼を想ったことを、間違いだったとは思わない。


 今この瞬間、あの人の背中を「見送る側」でいられる自分に、リリエルはようやくなれた気がした。

 ほんの少し、瞼を閉じて、空気を胸いっぱいに吸い込む。


(……大丈夫)


 許しも、祈りも、もうすべてこの心にある。彼が去った今、それを抱きしめて、前に進むことができると思えた。

 やわらかな夕光が応接室のカーテンを透かし、温かく肌を撫でた。

 リリエルは振り返り、まだ残るミレイアの紅茶のカップを片付け始めた。もう戻らない時間を、そっと送り出すように。


「・・・よかったのか?」

 ユリアンの声が、背後から静かに響いた。

 彼はいつの間にか応接室のドアにもたれ、リリエルを見つめていた。

「はい……」

 リリエルは振り返り、短く答える。
 その瞳は揺らぎなく、まっすぐユリアンを見ていた。

「言い残したことがあるなら、今からでも追いかけられる。間に合うぞ」

「もう十分です。伝えるべきことは、きちんと伝えましたから」

 ユリアンは少し視線を逸らしながら、低く呟く。

「あいつ……君に未練があるように見えた」

「そう……見えましたか?」

「……今さら、どうしようもないか」

「ええ。今さら、ですね」

 リリエルはふっと微笑んだ。
 その笑みには、どこかやわらかで、どこか切なさが滲んでいた。

 その様子に、ユリアンは目を丸くする。

「君でも、そんなふうに笑うんだな」

「私も、一応人間ですので」

「そうか……でも俺には、天使に見えるけどな」

「……っ? なにを言っているんですか」

 リリエルは目を見開き、思わず顔をそむける。

 だが、ユリアンは真剣な眼差しのまま、一歩だけ近づいた。

「本気で言ってる。君の存在は……俺にとって、それくらい尊い」

 リリエルは言葉を失い、頬にふわりと熱が差していくのを感じた。
 ユリアンの一言、一言に、胸の鼓動を意識せずにいられなくなっていた。

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