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30 ユリアンの決意
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朝の祈りが始まる前、修道院の空気はまだ静まり返っていた。
だがその静けさの中に、どこか落ち着かない気配があった。
──何かがおかしい。
その胸騒ぎが確信に変わったのは、修道女の一人が蒼白な顔で駆け寄ってきた時だった。
「リリエルさん……今朝から、どこにもいないのです……!」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
いやな予感が脊髄を這い上がり、喉がひりつく。
「昨夜、彼女はいつまで礼拝堂に?」
「夜の祈りのあと、廊下を通る姿を見たのが最後です。それ以降は……誰も──」
ユリアンは言葉を聞き終わるより早く、その場を駆け出していた。
リリエルが無断で姿を消すはずがない。
何かが──確実に、起きている。
修道院の隅々まで捜索させ、門番に聞き取りをし、馬番にまで話を聞いたが、誰も「彼女が外に出た」とは言わない。
と、その時──
──修道院入り口の扉の前に、黒衣の男が立っていた。
旧派閥の使者だとすぐにわかった。
王宮の紋章を押した封書を、無言で差し出す。
ユリアンは警戒を隠さず、それを受け取った。
使者は一礼し、言葉もなくその場を去っていった。
封を切る手が、わずかに震える。
何が書かれているのか──嫌な予感が胸を圧迫していた。
蝋を割り、手紙を広げる。
《第五王子ユリアン殿下。
今こそ、決断の時です。
陛下の容体は長くなく、王位は空白の危機にあります。
あなたが王位に就くことで、我らは国の安定を取り戻すと信じております。
しかし、拒まれるというのであれば──
“人質”の命は、保障いたしかねます。
あなたが静かな暮らしを望むことは承知しております。
ですが、これは国の未来のための犠牲です。
彼女の命と引き換えに、あなたの自由を取るか──それとも王として立つか。
ご決断を。》
──人質。
──彼女。
手紙を握る指に力がこもり、紙が音を立ててしわくちゃになる。
鼓動が荒れ狂う。額に滲んだ汗が、視界に垂れた。
──リリエルが、攫われた。
その現実が、ようやくユリアンの中で形を持つ。
“俺が王になれば解放する”
“拒めば、命はない”
奥歯が軋んだ。
──怒りか、悔しさか、それとも彼女を守りきれなかった自分への憎しみか。
ふいに、つい最近リリエルと交わした言葉が、胸の奥から浮かび上がる。
【……俺が誰であろうと。君は、変わらずに接してくれるか?】
自分でも抑えきれなかった問いだった。
王家の血筋という呪いを背負い、誰にも真の姿を見せられずにいた。
だが──彼女だけは、違った。
【……私は、ユリアンさんと共に過ごしてきた日々の中で、たくさんの優しさと誠実さを知りました。
ユリアンさんがどんなお立場の方でも――私は、普段と同じユリアンさんを信じています。
だから私も、変わらずに向き合っていたいんです。ずっと、変わらぬ心で】
あの時の、澄んだ瞳。
迷いなく自分を見つめ、そう言い切った彼女の声は、今も耳に焼きついている。
王家の名も、過去の傷も、彼女はすべて受け止めようとしてくれた。
それだけではない──自分の弱さまで、そっと包んでくれるようだった。
控えめに微笑む彼女は、ユリアンにとってただの「特別な存在」ではなかった。
あの人は、
――自分の人生に差し込んだ、たったひとつの光だった。
傍にいるだけで救われ、共に生きていきたいと思えた。
彼女が笑っていてくれるなら、それだけでよかった。
リリエルは、かけがえのない存在だった。
どんな地位も、名声も──彼女には敵わない。
彼にとって、世界でただ一人、守りたい人だった。
「……俺を脅す道具に、リリエルを使ったか」
怒りが滲んだ声で呟く。
──彼女を利用し、彼女の命を引き合いに、己の未来を縛ろうとした者たち。
ユリアンの中で、かつての迷いや躊躇はすでに消えていた。
「……絶対に、赦さない」
冷たく呟いたその瞳に、もう迷いはなかった。どんな代償を払おうとも、彼女を取り戻す。自分の手で、彼女を守り抜く。
────それだけは、決して譲れない。
だがその静けさの中に、どこか落ち着かない気配があった。
──何かがおかしい。
その胸騒ぎが確信に変わったのは、修道女の一人が蒼白な顔で駆け寄ってきた時だった。
「リリエルさん……今朝から、どこにもいないのです……!」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
いやな予感が脊髄を這い上がり、喉がひりつく。
「昨夜、彼女はいつまで礼拝堂に?」
「夜の祈りのあと、廊下を通る姿を見たのが最後です。それ以降は……誰も──」
ユリアンは言葉を聞き終わるより早く、その場を駆け出していた。
リリエルが無断で姿を消すはずがない。
何かが──確実に、起きている。
修道院の隅々まで捜索させ、門番に聞き取りをし、馬番にまで話を聞いたが、誰も「彼女が外に出た」とは言わない。
と、その時──
──修道院入り口の扉の前に、黒衣の男が立っていた。
旧派閥の使者だとすぐにわかった。
王宮の紋章を押した封書を、無言で差し出す。
ユリアンは警戒を隠さず、それを受け取った。
使者は一礼し、言葉もなくその場を去っていった。
封を切る手が、わずかに震える。
何が書かれているのか──嫌な予感が胸を圧迫していた。
蝋を割り、手紙を広げる。
《第五王子ユリアン殿下。
今こそ、決断の時です。
陛下の容体は長くなく、王位は空白の危機にあります。
あなたが王位に就くことで、我らは国の安定を取り戻すと信じております。
しかし、拒まれるというのであれば──
“人質”の命は、保障いたしかねます。
あなたが静かな暮らしを望むことは承知しております。
ですが、これは国の未来のための犠牲です。
彼女の命と引き換えに、あなたの自由を取るか──それとも王として立つか。
ご決断を。》
──人質。
──彼女。
手紙を握る指に力がこもり、紙が音を立ててしわくちゃになる。
鼓動が荒れ狂う。額に滲んだ汗が、視界に垂れた。
──リリエルが、攫われた。
その現実が、ようやくユリアンの中で形を持つ。
“俺が王になれば解放する”
“拒めば、命はない”
奥歯が軋んだ。
──怒りか、悔しさか、それとも彼女を守りきれなかった自分への憎しみか。
ふいに、つい最近リリエルと交わした言葉が、胸の奥から浮かび上がる。
【……俺が誰であろうと。君は、変わらずに接してくれるか?】
自分でも抑えきれなかった問いだった。
王家の血筋という呪いを背負い、誰にも真の姿を見せられずにいた。
だが──彼女だけは、違った。
【……私は、ユリアンさんと共に過ごしてきた日々の中で、たくさんの優しさと誠実さを知りました。
ユリアンさんがどんなお立場の方でも――私は、普段と同じユリアンさんを信じています。
だから私も、変わらずに向き合っていたいんです。ずっと、変わらぬ心で】
あの時の、澄んだ瞳。
迷いなく自分を見つめ、そう言い切った彼女の声は、今も耳に焼きついている。
王家の名も、過去の傷も、彼女はすべて受け止めようとしてくれた。
それだけではない──自分の弱さまで、そっと包んでくれるようだった。
控えめに微笑む彼女は、ユリアンにとってただの「特別な存在」ではなかった。
あの人は、
――自分の人生に差し込んだ、たったひとつの光だった。
傍にいるだけで救われ、共に生きていきたいと思えた。
彼女が笑っていてくれるなら、それだけでよかった。
リリエルは、かけがえのない存在だった。
どんな地位も、名声も──彼女には敵わない。
彼にとって、世界でただ一人、守りたい人だった。
「……俺を脅す道具に、リリエルを使ったか」
怒りが滲んだ声で呟く。
──彼女を利用し、彼女の命を引き合いに、己の未来を縛ろうとした者たち。
ユリアンの中で、かつての迷いや躊躇はすでに消えていた。
「……絶対に、赦さない」
冷たく呟いたその瞳に、もう迷いはなかった。どんな代償を払おうとも、彼女を取り戻す。自分の手で、彼女を守り抜く。
────それだけは、決して譲れない。
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