今日でお別れします

なかな悠桃

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「おはよ、今日は早起きね」

キッチンで洗い物をしている母に軽く嫌味を言われ一瞬イラッとしたものの寝起きに母親と喧嘩する体力は持ち合せていなかったので諦め、自分の朝食が置いてあるダイニングテーブルの椅子に粛々と腰掛けた。

「虹志は?」

「朝練行ったわよ、なんか機嫌悪くて反抗期かしらね」

昨日の昼以降虹志とは顔も合わさず冷戦状態になっていた。母は溜息をつきながら碧に愚痴ると「そう、そう」と思い出したかのように話し出した。

「朝、奈美さんから連絡があってなっちゃんとこのお爺ちゃんまだ体調が回復してないみたいでもう少し実家に残るみたいよ」

「そうなんだ」

「もしなっちゃんに会ったら遠慮せずご飯食べにいらっしゃい、って伝えておいてくれる?」

洗い物を終え出勤時間が迫り慌ただしくする母に返事をし、碧はハムエッグを口に入れた。

(折角今日は二人っきりになれるし夕飯の準備が終わったら伝えればいっか)



☆☆☆
「さてと、向かう準備をしますかっ」

食事が終わり部屋に戻ってノースリーブのワンピースに着替え、貴斗に返す鍵を持って出ようとした時、部屋の鏡に自分が映り目をやった。

「...昨日フルメイクだったし今スッピンで会ったら“誰?”状態になっちゃうか」

一先ず肩に掛けていた鞄をベッドに投げ置き、紅音の部屋から変身道具を持ち出し昨日と同じようにメイクし、再び向かう準備を整えた。



――――――――――
「暑ぅぅーー、この暑さでのウィッグはちょっとヤバいな」

暑さにやられながら図書館の駐輪場に到着し空いているスペースへ自転車を停めた。連日の猛暑で額から流れる汗をハンカチで拭いながら出入口のドアへと向った。途中ガラス張りの窓に映る自分を見ると三つ編みしクルっと纏め髪にしたウィッグは自転車に乗っていた時の向かい風の影響で少し崩れてしまっていた。先に髪とメイクを化粧室で直し、貴斗がいるか館内を探した。

(あれ?いないなー...まだ来てないのか、それとも今日は来ないのか)


とりあえず当てもなくウロウロしていると後ろから肩をポンと叩かれ振り向くと長身の眼鏡をした男の子がニコっと微笑みながら立っていた。

「あべ......たかと...くん?」

昨日は座ってる貴斗としか喋ってなかったのでまさか自分より頭二つ分以上の身長差があるとは思ってもみなかった。ただやはり中学生、身長は高校生の夏樹と近いがまだ成長段階のため筋肉の付き方や肩幅が違いひょろっとした体形に見えた。

「なんで片言?」

ぷっ、と吹き出し口元を押さえ碧を見ると、凝視されそのまま見上げていた。

「...いや、いや、こんなおっきいとは思ってなくてビックリしちゃった」

「あー、なるほどね、昨日は座ったままだったもんね」

貴斗はうんうんと顎に手を添え頷きながら納得してると碧は「あっ」と思い出し鞄から昨日持ち帰ってしまった鍵を出して貴斗に見せた。

「あっ僕の鍵だ、紅音ちゃんが持ってたんだ」

「ごめんね、昨日借りた本と一緒に挟まってたみたいで、でも気づいたの夜だったし返すに返せなくて。不便じゃなかった?」

申し訳なさそうな表情で貴斗を見ると首を横に振り鍵を受取った。

「大丈夫だよ、念のために持ってただけだし家には誰かしらいるから気にしないで」

眼鏡越しに微笑む顏はまるでどこぞの国の王子様か?!というくらいの破壊力を持ち碧は思わず見惚れてしまった。「だいじょーぶー?」碧の目の前で小さく手を振りながら貴斗が心配そうに覗き込んでいた。我に返った碧は照れ笑いを浮かべながら視線を不自然に逸らしていた。

「そっ、そうだ、今日も勉強するんだよね?」

碧は空気を換えるべく話を貴斗に振ると

「うん、実はもう学習室で勉強してたんだ、息抜きするのにリフレッシュルームにいたら紅音ちゃん見つけて」

「そっか、そこは見なかったからいるの気付かなかった」 

「今ならまだ席空いてたし予定なければどうかな?」

貴斗は学習室の方をちらっと向きながら碧に聞いてみると、碧は鞄から持ってきた宿題を見せ笑顔で頷いた。


「うーん.......」

苦手な数学で苦戦していると隣で座る貴斗がちらっと見、わかりやすく説明してくれた。
自分の問題集をスラスラと解きながら碧の勉強を見る貴斗に感心しながら進めていると、貴斗の手が止まりこちらに身体を向き直した。

「そういえばさ、紅音ちゃんはどこの高校目指してるの?」

人がまだそんなにいないためか普通の声より少し抑え気味の音量で聞いてきた。

「んー、まだちゃんとは決めてないんだけど総富久そうふくに行きたいかな、けど私の頭じゃギリギリなんだよね。身内もそこ出身だったり近所の人も今通ってるから頑張ってるんだけど...」

笑いながら情けない表情を貴斗に向け碧はシャーペンをクルクル回していた。

「安易なことは言えないけど今ならまだ追い上げれるから大丈夫だよ」

「はは、ありがと。で、そういう阿部くんはどこ狙ってるの?頭いいから上位の学校だよね」

碧が指を折りながら上位の高校名をあげていると

「僕の学校は小中高一貫校だから受験自体はないんだけど試験はあるからある程度しっかり勉強しないといけなくてね」

貴斗は、軽く息を吐き力ない笑みを碧に向け片手で頬杖をついた。碧は貴斗の瞳が一瞬仄暗い色が纏ったように感じたがすぐ元の優しい表情に戻ったので気にせず会話を続けた。

「そっかー、ちなみにどこの中学?」

海楠かいなん

「えっ!!あの超難関で有名な?!」

碧の地元では、一二を争う程の進学校でそこに通うのは医師や弁護士、議員などのご子息ご息女が通う所謂セレブ学校だった。そんな天上人のような存在が今目の前で普通に話してること自体、碧にとってリアリティのない世界だった。

「ご、ごめんね。阿部くんと私の頭じゃレベルが違いすぎだわ。これじゃあ一方的に教えてもらうだけになっちゃって阿部くんの大事な時間割いちゃうよ。あとは家でやるし今日は帰るよ、教えてくれてありがと」

申し訳なく、出していた筆記用具やワーク類を鞄にしまい出ていく準備をしていると急に力強く腕を掴まれビックリした表情を貴斗に向けたまま固まってしまった。貴斗自身も無意識に掴んでしまったのかすぐさま手を離しばつの悪い表情を見せていた。

「急にごめん、そんなこと気にしないで。僕も復習になるから丁度いいし...それに紅音ちゃんと話してるとリラックスできるって言うか...って、昨日会ったばっかのヤツにこんなこと言われたらキモいだけだよね」

俯きながらしゅんとなる貴斗がなんだかかわいく見え、碧はついにやけてしまいそうな表情を引き締めた。

「そんなこと思わないよ、阿部くん頭いいのに全然鼻にかける感じもないし私みたいなバカにも丁寧にわかりやすく教えてくれるし」

その言葉にパッと顔を上げ少し照れ臭そうに頭を掻き視線を泳がせていた。

「そーだ、僕ん家にある参考書で受験に役立ちそうなのあるしもしよかったら貸そうか?まだ時間あれば家近いし今日渡せるけど...どうかな?」

碧は少し考え貴斗の言葉に甘えることにし、二人は貴斗の家に向かうため図書館を後にした。



――――――――――
「......あの、ここが阿部くんのお宅...?」

閑静な高級住宅街に白を基調としたおしゃれな外観の豪邸が碧の前に鎮座していた。貴斗はリュックからカードキーを出し門扉のリーダー部に近づけ解錠した。敷地内に入っていく貴斗の後ろを追いかけ玄関ドアの前で別のカードキーをあて解除していた。碧はあまりの別世界に唖然としながらおのぼりさんのようにキョロキョロと見渡していた。

「んっ?阿部くんさっき返した鍵って家の鍵じゃないの?」

「あー、あれは離れの鍵なんだ、あっどうぞ」

(離れ......)

貴斗はドアを開け玄関内へと招き碧は恐る恐る入って行くとモダンなデザインで造られた玄関ホールは広々とした解放感のある空間となっていた。自分の家との格差に碧はとんでもない子と知り合いになってしまったと心の中で頭を抱えていると奥から年配の女性がパタパタとやってきた。

「お帰りなさいませ貴斗坊ちゃん、お早かったんですね...あらっ、可愛らしいお客様もご一緒だったんですね」

品のあるその女性は貴斗に話しかけた後、碧に微笑み上り框に二人分のスリッパを出してくれた。碧は女性に「おじゃまします」と言いながら会釈し緊張した面持ちでスリッパを履いた。

「この人はうちのお手伝いさんでキヨさん、彼女は紅音さん。今から部屋で勉強するからあとで飲み物持って来て欲しいんだけど」

貴斗はキヨさんと呼ばれる女性と碧に互いの紹介をしたあと慣れた口調で指示し、二人は螺旋階段で二階へと上がり貴斗の部屋へと向かった。二階は二階で何部屋かあり自宅とは思えない程の屋内を見せつけられ、碧は前を歩く貴斗に近づき話しかけた。

「阿部くんのご両親てもしかして政治家とか?」

「えっ?まさか、親父は大学の准教授してて母さんは会社経営してる。二人とも忙しいからあんまり帰って来ないけど」

(阿部くんって...)

「あっ、別にうちドラマに出てくるような交流のない家族とかじゃないからね、結構仲良いし。どちらかというとそれぞれ好きなことやってるっていうか...その代わり責任持って行動することって言われてる。それに僕、三男だから兄貴たちと違ってあんまりいろいろ言われないし割と自由にさせてもらってるんだ」

貴斗は碧が複雑そうな顔でこちらを見ていたため慌てて説明した。そうこうしている内に貴斗はドアの前に立ち止まりドアノブを回し開けた。そこは、落ち着いた感じではあるが一般的な男子中学生らしい室内になっていて先ほどから見ていた屋内と違い碧は少し安堵した。本棚には漫画の単行本も置いてあったが、やはり難関校に在学しているだけあってほとんどが参考書や勉強に関する書籍で埋め尽くされていた。

「これ、全部僕のじゃないからね、兄貴たちがもう使わないからって勝手に置いてくんだ」

口を尖らせ拗ねた表情をしながら参考書を何冊かピックアップしそれらをセンターテーブルに置いた。そこには碧の苦手な数学の他にも英語や理科なども入っていた。

「これならわかりやすく解説もあるし初歩的な問題から応用まで満遍なく載ってるんだ。さっきの紅音ちゃんを見てる限りだと数学の理解力は早いから応用をメインに進めていくといいよ」

碧はテーブル傍にあるソファに誘導され座り、選んでくれた参考書をパラパラと捲りそれを一旦閉じ隣に座る貴斗に向き直し、

「阿部くん、いろいろとしてくれてほんとありがとね」

屈託のない笑顔で貴斗に礼を言い、丁度そのタイミングでノック音が聞こえ碧はそちらに視線を移した。貴斗は返事をし、キヨが先ほど言われた飲み物とカットされたパウンドケーキを持って部屋に入り二人の前に置いてくれた。

「ありがとうございます」

碧はキヨに頭を下げお礼をしキヨは「いーえ」と微笑み何気なしに貴斗へ目をやると

「貴斗坊ちゃん、お顔が赤いように見えますがどうされたんです?」

不思議そうに見るキヨにつられ碧も貴斗の顏を見ると先ほどまで何もなかった貴斗の頬は紅潮し耳まで同じ色に染まっていた。

「な、何でもないよ、エアコンつけたばっかで部屋がまだ暑いからかも」

何故かシドロモドロになっている貴斗に碧はなんだか可愛らしく見え笑いを堪えた。
部屋からキヨが離れ、貴斗から目の前に置いてあるケーキを進められ一口食べた。

「しっとりしてて美味しい、何個でも食べれちゃいそー」

幸せそうな顔をしながら頬張る碧に目を細め貴斗も嬉しそうに見つめていた。

「そんなに気に入ってもらえたらキヨさんも嬉しいだろうな、それキヨさんの手作りで僕も小さい時からおやつで食べてるんだけど全然飽きないんだよね。多分まだ余ってると思うから帰り渡すよ」

こんなおいしいお菓子を作ってくれる人が家にいるなんて羨ましいな、と思いながら貴斗に礼を言い幸せそうな表情でまた一口パクついた。




☆☆☆
「yはxに比例してるから公式に当てはめるとyの値は」

「y=-14」

「正解」

おやつタイムが終了しその後は貴斗の入試対策の問題集を教えてもらいながら勉強していた。
集中してやっていたため時間の間隔がわからず気が付くと12時近くになっていた。

「ヤバいっお昼だ、もう帰んなきゃ」

慌てたように碧は自分の荷物を鞄に乱暴に入れていった。

「なんか用事でもあるの?お昼ご飯ならうちで食べていけば?」

急いでいる碧とは対極的に貴斗はのんびりジュースを飲みながら問いかけると碧は首を横に振り

「うち弟がいてお昼の準備しなきゃいけないの」

「そっか、それじゃあ無理か...そしたらさ、連絡先教えてよ。毎回図書館行けるかわかんないし......って、ごっごめん、流石に昨日知り合った奴に嫌だよね、デリカシーなさすぎだった」

あたふたと取り乱しながら話す貴斗を落ち着かせ碧は鞄からスマホを出した。

(さすがに偽名使ってるからLINEは無理だしな)

「いいよ、ただSNS系は今やってないから直接電話番号でもいいかな?」

貴斗は頷き、互いの番号を教え合った。

「あの...さ、......いや...あっ、さっきのケーキのストック包んでもらうからとりあえず下行こっか」

歯切れの悪い貴斗に怪訝な表情を向けながら帰る準備をし終わると一階に下り碧は玄関へ行き、貴斗はキヨが昼食の準備をしているキッチンへと向かった。

碧は靴を履き玄関で待っていると貴斗とキヨが小さな可愛らしい紙袋を持って玄関へとやって来た。

「今、貴斗坊ちゃんに聞いて私のケーキが気に入ってくれたみたいで嬉しいわ、先ほど出した味以外にもチョコと抹茶も入れてあるから良かったらおうちの方と召し上がってね」

キヨから紙袋を貰い中を覗くと一本ずつ丁寧にラッピングされたパウンドケーキが三本入っていた。

「こんなにも頂け「いいから貰ってちょうだい」

碧が申し訳なさそうに言うとキヨが被せるように遮りにこやかな表情を見せながら袋を持つ碧の手の上に自分の手を添えた。碧はお礼を言い頭を下げるとその間に貴斗も靴を履き、キヨに近くまで送ってくることを伝え二人は玄関を出た。

「今日はいろいろとなんかありがとね、お宅におじゃました上にお土産まで貰っちゃって」

碧が自転車を引きながらほくほくな顔で喋っていると自転車を挟んで隣を歩く貴斗は考え事をしてるのかちゃんとした反応が返ってこなかった。あまり気にせず自転車を引いていると貴斗がいきなり自転車の籠を掴み歩みを停止させた。急に掴まれ身体がガクンとなりビックリし貴斗に視線を向けると真剣な面持ちでこちらを見つめる貴斗が口を開いた。

「紅音ちゃん、さっきの連絡先のこともそうだけど昨日会ったばっかだしこんなこと言うのは軽いやつと思われるかもしれないけど.........一目惚れしましたっ、もし誰とも付き合ってないなら僕と...」

「ちょっ、ちょっと何?!何?!」

真っ赤な顔をし捲し立てるように突然の告白をしてきた貴斗に碧は遮るように言葉を挟み、一杯一杯の二人は道端で立ち尽くしてしまった。

「なんか僕ヤバいやつだよね、でもこんな気持ちになったの初めてで紅音ちゃんみたいな子うちの学校にいないし外見も内面もかわいいっていうか...」

(そりゃあ、あの難関校にこんなチャラついた格好のいないでしょ)

心の中で小さなツッコミをしながらふと今の自分の姿を思い俯く貴斗に向かって、

「阿部くんみたいなイケメン、私みたいなのは釣り合わないよ。さっき周りにこういうのいないって言ってたし多分物珍しいんだよ。私の普段の姿見たらモブ感満載で一気に引いちゃうよ...それに私付き合ってる人はいないけど...好きな人いるし」

こんな経験は生まれて初めてでどうしていいかわからず作り笑いをしながら貴斗にやんわり伝えると俯いた姿が先ほどより更に小さく喪失感に覆われてるように見え慌てて身を乗り出し貴斗の腕を掴んだ。

「阿部くんのこと嫌じゃない...けどそういう対象としてはまだ見れないっていうか...あー、ほら確かに私ら昨日会ったばっかだしお互いのことまだ知らないしまずはからってのはどうかな?」

鬱屈した貴斗に言葉を選びながら碧は俯く貴斗を覗き込むと物憂げだった眼が少し淡い暖かさが戻り顔を上げた。

「こんなこと言うとすっごく嫌な奴だと思うけど僕告白されたことはあっても自分からしたの初めてだから断られたのももちろん初めてで...結構ショックだね」

空笑いを浮かべ、その場でしゃがみ込み大きく溜息を吐いた。かと思うと、すぐ立ち上がり「よしっ」と気合を入れるように声を出し碧が驚き呆気に取られ見つめていると貴斗がニコッと碧に微笑んだ。

「じゃあ改めまして、僕とお友達になってください」

碧の前に手を差出し戸惑いながらも貴斗の手に触れ握手した。「...よろしくお願いします」と返事はしたものの貴斗の変わり身に当惑しながらもペースに呑まれ碧は何とも言えない不可思議な気持ちで彼を見つめていた。
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