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「新しい鎚の感触はどうだ?」
朝靄の鍛冶場で、テオが炉の火を煽りながら声をかけた。
「掌に吸いつくようですわ。重さも私に合わせて削ってくれたのね」
リリエルは鎚〈燈〉を握り、赤鉄へ向けて腕を上げた。昨日まで震えていた指先は、今や炎の呼吸と同じリズムで動く。
火花が飛び、金床に澄んだ音が鳴る。
地文は湿気をまといながらも軽やかだった。炉の温度が上がるたび、二人の間の空気もまた熱を帯びてゆく。
「一打一打が近づいてくる気がしますわ」
「鉄は打てば縮む。人の距離も同じかもしれねえ」
テオが笑い、リリエルは顔を赤くした。煤の薄膜が頬を隠してくれるのが、少しだけありがたい。
午前の作業が一区切りすると、親方ユルゲンが厚革の鞄を渡した。中には王都御用達の鋼材の見本帳と手紙が同封されている。
「帝都の商会から注文だ。『毒薔薇令嬢』の鎚を所望だとさ」
「私の呼び名は鉄の銘よりしぶといですわね」
「噂は燃え尽きるまで利用しろ。だが納期は短い」
テオが帳簿を開き、工程を指でなぞる。
「刃物二十本と鏨十本、加えて飾り細工か……二人でもぎりぎりだな」
「ぎりぎりを超えるのが鍛冶屋でしょう?」
リリエルが微笑み、鎚を肩に担ぐ。クラリスが慌てて昼食の黒パンを差し出した。
「お嬢様、食べながらでは危険です!」
「火より熱い愛情でむせそうね」
笑いがはじけ、鍛冶場に陽光が射し込んだ。
午後は分業だった。テオが荒鍛えを担当し、リリエルが仕上げと細工を受け持つ。真鍮板を薄く延ばし、羽根の紋様を切り抜く作業は集中を要する。
地文では汗の粒が滴り、火花が一層眩しく見えた。炉の白炎が二人を包み、距離を溶かす。
「ちょっと顔を貸せ」
テオが合図し、裏庭へ出る。雨上がりの空気が冷たく、鉄の匂いを中和した。
「……昨夜、お前が泣くのを止められなかった。鎚を作ったのは、謝罪の代わりだ」
沈黙が土の湿気に染み込む。
「謝罪より、大切なものを頂いたわ」
「だけど鎚じゃ足りねえ。もっと――」
言いかけて、テオは拳を握った。風が草を揺らし、そのざわめきが言葉の続きになる。
「私だって、まだ怖いの」
リリエルは胸の前で鎚を抱える。
「王都からの影も、鍛冶屋として求められる大きさも。でも、誰かが隣で火を起こしてくれれば打てる気がする」
テオの肩がほぐれ、笑みが滲んだ。
「なら俺は一生火吹き役だ。お前が夜通しでも打てるように」
「夜通しは遠慮しますわ。肌荒れは貴族時代からの宿敵ですもの」
二人は噴き出し、沈黙より深い安心を共有した。距離は炎に溶かされ、代わりに赤鉄のような結束が鍛えられていく。
夕刻、最初の刃物が仕上がった。リリエルの手で研がれた刀身は、雨上がりの夕陽を映して赤金色の光を帯びている。
「見事だ。帝都の商会も腰を抜かすぞ」
親方ユルゲンが唸り、クラリスが拍手を打つ。
「最終検品は明朝。今日は飯を食って寝ろ」
「ええ、火も心も休ませて、明日に備えますわ」
リリエルは鎚〈燈〉を壁に掛け、テオと目を合わせた。言葉は交わさずとも、打ち合わせ以上の約束がそこにあった。
炉の火は静かに落ち着き、金床が一日の終わりを告げて冷えていく。それでも二人の掌には、まだ熱鉄の余韻が脈打っていた。
朝靄の鍛冶場で、テオが炉の火を煽りながら声をかけた。
「掌に吸いつくようですわ。重さも私に合わせて削ってくれたのね」
リリエルは鎚〈燈〉を握り、赤鉄へ向けて腕を上げた。昨日まで震えていた指先は、今や炎の呼吸と同じリズムで動く。
火花が飛び、金床に澄んだ音が鳴る。
地文は湿気をまといながらも軽やかだった。炉の温度が上がるたび、二人の間の空気もまた熱を帯びてゆく。
「一打一打が近づいてくる気がしますわ」
「鉄は打てば縮む。人の距離も同じかもしれねえ」
テオが笑い、リリエルは顔を赤くした。煤の薄膜が頬を隠してくれるのが、少しだけありがたい。
午前の作業が一区切りすると、親方ユルゲンが厚革の鞄を渡した。中には王都御用達の鋼材の見本帳と手紙が同封されている。
「帝都の商会から注文だ。『毒薔薇令嬢』の鎚を所望だとさ」
「私の呼び名は鉄の銘よりしぶといですわね」
「噂は燃え尽きるまで利用しろ。だが納期は短い」
テオが帳簿を開き、工程を指でなぞる。
「刃物二十本と鏨十本、加えて飾り細工か……二人でもぎりぎりだな」
「ぎりぎりを超えるのが鍛冶屋でしょう?」
リリエルが微笑み、鎚を肩に担ぐ。クラリスが慌てて昼食の黒パンを差し出した。
「お嬢様、食べながらでは危険です!」
「火より熱い愛情でむせそうね」
笑いがはじけ、鍛冶場に陽光が射し込んだ。
午後は分業だった。テオが荒鍛えを担当し、リリエルが仕上げと細工を受け持つ。真鍮板を薄く延ばし、羽根の紋様を切り抜く作業は集中を要する。
地文では汗の粒が滴り、火花が一層眩しく見えた。炉の白炎が二人を包み、距離を溶かす。
「ちょっと顔を貸せ」
テオが合図し、裏庭へ出る。雨上がりの空気が冷たく、鉄の匂いを中和した。
「……昨夜、お前が泣くのを止められなかった。鎚を作ったのは、謝罪の代わりだ」
沈黙が土の湿気に染み込む。
「謝罪より、大切なものを頂いたわ」
「だけど鎚じゃ足りねえ。もっと――」
言いかけて、テオは拳を握った。風が草を揺らし、そのざわめきが言葉の続きになる。
「私だって、まだ怖いの」
リリエルは胸の前で鎚を抱える。
「王都からの影も、鍛冶屋として求められる大きさも。でも、誰かが隣で火を起こしてくれれば打てる気がする」
テオの肩がほぐれ、笑みが滲んだ。
「なら俺は一生火吹き役だ。お前が夜通しでも打てるように」
「夜通しは遠慮しますわ。肌荒れは貴族時代からの宿敵ですもの」
二人は噴き出し、沈黙より深い安心を共有した。距離は炎に溶かされ、代わりに赤鉄のような結束が鍛えられていく。
夕刻、最初の刃物が仕上がった。リリエルの手で研がれた刀身は、雨上がりの夕陽を映して赤金色の光を帯びている。
「見事だ。帝都の商会も腰を抜かすぞ」
親方ユルゲンが唸り、クラリスが拍手を打つ。
「最終検品は明朝。今日は飯を食って寝ろ」
「ええ、火も心も休ませて、明日に備えますわ」
リリエルは鎚〈燈〉を壁に掛け、テオと目を合わせた。言葉は交わさずとも、打ち合わせ以上の約束がそこにあった。
炉の火は静かに落ち着き、金床が一日の終わりを告げて冷えていく。それでも二人の掌には、まだ熱鉄の余韻が脈打っていた。
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