王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

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「やあやあ、英雄たちのお帰りだ!」

 

クロイツ村の門をくぐると、鍛冶屋通りの住民がいっせいに手を振った。帝都での騒動は、噂好きの行商人が帰りの街道で派手に吹聴したらしい。

 

リリエルは照れ隠しに鎚〈燈〉を抱き締める。

 

「英雄は大袈裟ですわ。ただの職人の一仕事よ」

 

「いや、鍛冶屋の名を帝都で轟かせたって話だ」

 

パン職人イザークが粉まみれの腕で親方ユルゲンの肩を叩いた。炉より熱い笑顔が、石畳に香ばしい匂いを落とす。



夕刻、鍛冶場の裏庭で簡易な祝賀会が始まった。村人たちが鍋や串肉を持ち寄り、中央の竈にはイザーク特製の巨大なパン生地が据えられる。

 

「塩も胡椒も惜しまん。全部祝いにぶち込むぞ!」

 

リリエルは真鍮板の羽根飾りを竈の縁に飾り、パンが膨らむ様を見守った。湯気と共に広がる匂いは、王都の高級バターより深く懐かしい。

 

「帝都での法廷劇、詳しく聞かせてくれ」

 

隣家のおばあが湯飲みを揺らし、子どもたちが目を輝かす。リリエルは言葉を選びながら口を開いた。

 

「贋作を持ち込んだ商人は、技量より欲が大きかった。でも刃物は嘘をつけません」

 

「ほんとだ。俺の包丁も研げば味が変わる」

 

イザークが生地のふくらみを指で弾き、パチンと軽い音がした。テオは丸太椅子に腰掛け、鎚を磨きながら相槌を打つ。

 

「嬢ちゃんの刃は、裁判官の目より鋭かった。嘘も芯まで斬られたのさ」
 

夜風が火の粉を運び、生地がきつね色に焼けた。イザークが竈から引き上げると、表面に羽根の意匠が浮かび上がる。真鍮板が放った熱が焼き跡をつけたのだ。

 

「おお、羽根パンだ!」

 

子どもたちが歓声を上げ、リリエルは目を丸くした。

 

「偶然の焼き印なのに、まるで銘の刻印みたい」

 

「偶然じゃねえ。お前の意匠が村に根を張った証拠だ」

 

テオはパンを切り分け、一切れを銀の匙に載せて差し出した。香りは麦と胡椒、そしてほんのり甘い蜂蜜の匂い。

 

「胡椒を振りすぎたかも?」

 

「刺激のある方が、噂も食欲も進みますわ」

 

二人は笑い合い、匙がパンを運ぶ。外はさっくり、中は湯気に包まれ、冷えた夜気まで甘く染まるようだった。
 

腹が落ち着くと、村の評議人トマスが帳簿を携えて現れた。

 

「実は――帝都から正式に問合せが来た。クロイツの鍛冶技術を買い付けたいと」

 

ユルゲンが顎鬚を撫でる。

 

「帝都の商会とは別口か?」

 

「ええ。治安院が証拠品として見た真作の刃を、『軍需に転用できる』と言っている」

 

テオが眉をひそめ、リリエルは匙を置いた。

 

「軍需となれば量産と管理の規模が跳ね上がりますわ」

 

「村一軒の鍛冶場じゃ追いつかねえ」

 

「だが断れば、帝国の中央に背を向けることになる」

 

重い空気が火の勢いを削ぐ。イザークが熱い蒸気を吐きながらパンを追加でちぎった。

 

「食って考えりゃいい。腹が満ちれば案も湧く」

 

リリエルはぱちりと瞬き、鎚〈燈〉を撫でた。

 

「テオ、もし他の鍛冶屋と協力して大きな工房を作ったら?」

 

「村の鍛冶屋を束ねるって話か?」

 

「ええ。帝都の要請を受けつつ、辺境の雇用も守れる。火を分け合えば、炉は大きくなるわ」

 

テオは夜空を仰いだ。星が鋼玉のように瞬き、未来の図面を描く。

 

「悪くねえ。だけど誰が束ねる?」

 

「もちろん親方……いえ、ユルゲン様に」

 

親方は驚きつつも目を細める。

 

「年寄りに大炉は重いぞ」

 

「では幕間の指揮官に徹してください。現場は私とテオが走ります」

 

村人たちが歓声を上げ、トマスが帳簿を掲げた。

 

「次の評議で正式に議題にしよう。証言者は多い方がいい。帝都での活躍を語れるのは村の誇りだ」

 

クラリスが湯飲みを掲げる。

 

「では乾杯を。鍛冶の火と村の絆に!」

 

木杯が打ち鳴らされ、胡椒と蜂蜜の香りが夜空に立ち昇る。リリエルは湯気越しにテオを見つめ、唇で無言の誓いを結んだ。

 

「大炉を築けば、もっと強い刃も羽根も鍛えられる」

 

「そしてその刃で、帝都にも王都にも新しい道を切り開く」

 

火花がぱちりと弾け、パンの焼き跡が赤く光った。それは村全体が刻んだ新しい銘――クロイツの“翼火”と呼ばれる未来の始動印だった。
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