王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

文字の大きさ
14 / 20

14

しおりを挟む
「夜明け前に王国の馬車が峠を越えたらしい。御者が言うには、金張りの紋章が二つ」

 

鍛冶場の門を開けたばかりのユルゲンが報告した。

 

「殿下がまた来るのですか」

 

リリエルは鎚〈燈〉を磨く手を止め、昨夜の灰を払う。

 

「今度は祝福だけでは済まぬ気がするな」

 

テオは炉に火を入れつつ、薪を一束余計にくべた。

 

 

昼近く、村道に王国の旗が現れた。先導役は側近オスカー、後方には護衛の騎士が最小限。王太子レオンハルトは裾をまくって歩き、泥道の跳ねを気にも留めない。

 

「歓迎の儀は要らぬ。私が誤りを告げに来ただけだ」

 

声は低く抑えられ、かつての威圧より柔らかい。

 

 

リリエルは鍛冶場の前へ出た。

 

「謝罪の言葉は関門で受け取りました。今日は何を」

 

「追放宣告を正式に取り消し、王国貴族の名誉を回復したい」

 

「名誉は此方に戻りません。代わりに村の大炉建設へ出資を」

 

即答に騎士たちがざわつく。だがレオンハルトは頷いた。

 

「王国の金が受け入れられるなら喜んで」

 

「受け入れるのは私ではなく村です」

 

リリエルは背後を振り返り、村長や評議人を呼んだ。パン職人イザークが手に粉を付けたまま飛び出す。

 

「この炉が出来れば帝国も王国も同じ釜の飯だ」

 

村長は杖で地面を叩き、出資条件を問う。レオンハルトは小箱を開き、刻印入りの金貨袋を置いた。

 

「条件はただ一つ。完成した炉の最初の火入れに立ち会わせてほしい」

 

テオが鎚を肩に乗せる。

 

「それだけなら安い。火種なら山ほどある」

 

 

交渉は昼餉前に終わった。王国の使節は村の古井戸で水を受け取り、休息を取る。陽差しの中で、レオンハルトがリリエルに歩み寄った。

 

「昔、君が図書室で私の写本を直した夜を覚えているか」

 

「忘れました。多くの夜を王宮に置いてきたので」

 

「私は忘れられぬ。あの時の助言で、学位試験を通過できた」

 

レオンハルトは小さな羊皮紙を差し出す。幼い筆跡で書かれた謝辞の草稿だった。

 

「渡しそびれていた。今さらだが受け取ってほしい」

 

リリエルは紙を指で挟み、折り目をなぞる。淡いインクが陽光で透け、若い王子の焦りと感謝がそのまま刻まれていた。

 

「殿下の変化は紙より薄くありませんわね」

 

「君の変化には及ばない」

 

テオが遠巻きに見ていたが、視線を逸らさず歩み出た。

 

「殿下、鍛冶場の中を案内しましょうか。王宮の鏡より熱い景色です」

 

「願ってもない」

 

三人は炉の前に立つ。白炎が揺れ、煤が空中で舞う。

 

「ここが私たちの王宮ですわ」

 

リリエルは鎚〈燈〉を掲げ、炎にかざした。刻んだ羽根紋が赤く輝き、レオンハルトの瞳に映る。

 

「美しい。王冠より重く見える」

 

「王冠は誇りですが、ここでは鎚が誇り。重さは持つ者によって変わります」

 

 

夕刻、金貨の受領書に双方が署名した。王国印璽と村長の刻印が並ぶ。

 

「これで正式に共同炉計画が始動だ」

 

ユルゲンが書面を掲げ、村人が歓声を上げる。レオンハルトは馬を用意させた。

 

「私はこれで王都へ。次は完成式で会おう」

 

リリエルは一歩進み、静かに頭を下げた。

 

「殿下の歩みが迷わぬよう、炉の火を灯し続けます」

 

「君の火があれば、私も迷わぬ」

 

短い言葉を残し、王太子の馬列は日没前に村を発った。旗は夕焼けに溶け、轍だけが淡く残る。

 

 

夜、鍛冶場では図面と資材の山を囲んで会議が続いた。リリエルは疲れた頬に手を当て、笑いをこぼす。

 

「遅すぎた謝罪でも、使い道はあるものね」

 

テオが図面に炭を走らせた。

 

「金も謝意も、炉で溶かせば同じ鉄だ」

 

「それなら――私たちの火で、王都と帝都の境目も溶かせるかしら」

 

「境目ごと鍛え直すさ。二つの国が跨げる刃を打とう」

 

リリエルは鎚〈燈〉を握った。夜の炉が白く燃え、紙より厚い未来がゆっくり熱を帯びていく。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

いなくなれと言った本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?

睡蓮
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するカサルはその自信のままにセレスティンとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってカサルの存在価値を大きく落とし、セレスティンから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。

あなたは婚約者よりも幼馴染を愛するのですね?

睡蓮
恋愛
ノラン侯爵はエリステルとの婚約を築いておきながら、自信が溺愛する幼馴染であるユリアとの時間を優先していた。ある日、ノランはユリアと共謀する形でエリステルに対して嫌がらせを行い、婚約破棄をさせる流れを作り上げる。しかしその思惑は外れ、エリステルはそのまま侯爵の前から姿を消してしまう。…婚約者を失踪させたということで、侯爵を見る周りの目は非常に厳しいものになっていき、最後には自分の行動の全てを後悔することになるのだった…。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...