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「夜明け前に王国の馬車が峠を越えたらしい。御者が言うには、金張りの紋章が二つ」
鍛冶場の門を開けたばかりのユルゲンが報告した。
「殿下がまた来るのですか」
リリエルは鎚〈燈〉を磨く手を止め、昨夜の灰を払う。
「今度は祝福だけでは済まぬ気がするな」
テオは炉に火を入れつつ、薪を一束余計にくべた。
昼近く、村道に王国の旗が現れた。先導役は側近オスカー、後方には護衛の騎士が最小限。王太子レオンハルトは裾をまくって歩き、泥道の跳ねを気にも留めない。
「歓迎の儀は要らぬ。私が誤りを告げに来ただけだ」
声は低く抑えられ、かつての威圧より柔らかい。
リリエルは鍛冶場の前へ出た。
「謝罪の言葉は関門で受け取りました。今日は何を」
「追放宣告を正式に取り消し、王国貴族の名誉を回復したい」
「名誉は此方に戻りません。代わりに村の大炉建設へ出資を」
即答に騎士たちがざわつく。だがレオンハルトは頷いた。
「王国の金が受け入れられるなら喜んで」
「受け入れるのは私ではなく村です」
リリエルは背後を振り返り、村長や評議人を呼んだ。パン職人イザークが手に粉を付けたまま飛び出す。
「この炉が出来れば帝国も王国も同じ釜の飯だ」
村長は杖で地面を叩き、出資条件を問う。レオンハルトは小箱を開き、刻印入りの金貨袋を置いた。
「条件はただ一つ。完成した炉の最初の火入れに立ち会わせてほしい」
テオが鎚を肩に乗せる。
「それだけなら安い。火種なら山ほどある」
交渉は昼餉前に終わった。王国の使節は村の古井戸で水を受け取り、休息を取る。陽差しの中で、レオンハルトがリリエルに歩み寄った。
「昔、君が図書室で私の写本を直した夜を覚えているか」
「忘れました。多くの夜を王宮に置いてきたので」
「私は忘れられぬ。あの時の助言で、学位試験を通過できた」
レオンハルトは小さな羊皮紙を差し出す。幼い筆跡で書かれた謝辞の草稿だった。
「渡しそびれていた。今さらだが受け取ってほしい」
リリエルは紙を指で挟み、折り目をなぞる。淡いインクが陽光で透け、若い王子の焦りと感謝がそのまま刻まれていた。
「殿下の変化は紙より薄くありませんわね」
「君の変化には及ばない」
テオが遠巻きに見ていたが、視線を逸らさず歩み出た。
「殿下、鍛冶場の中を案内しましょうか。王宮の鏡より熱い景色です」
「願ってもない」
三人は炉の前に立つ。白炎が揺れ、煤が空中で舞う。
「ここが私たちの王宮ですわ」
リリエルは鎚〈燈〉を掲げ、炎にかざした。刻んだ羽根紋が赤く輝き、レオンハルトの瞳に映る。
「美しい。王冠より重く見える」
「王冠は誇りですが、ここでは鎚が誇り。重さは持つ者によって変わります」
夕刻、金貨の受領書に双方が署名した。王国印璽と村長の刻印が並ぶ。
「これで正式に共同炉計画が始動だ」
ユルゲンが書面を掲げ、村人が歓声を上げる。レオンハルトは馬を用意させた。
「私はこれで王都へ。次は完成式で会おう」
リリエルは一歩進み、静かに頭を下げた。
「殿下の歩みが迷わぬよう、炉の火を灯し続けます」
「君の火があれば、私も迷わぬ」
短い言葉を残し、王太子の馬列は日没前に村を発った。旗は夕焼けに溶け、轍だけが淡く残る。
夜、鍛冶場では図面と資材の山を囲んで会議が続いた。リリエルは疲れた頬に手を当て、笑いをこぼす。
「遅すぎた謝罪でも、使い道はあるものね」
テオが図面に炭を走らせた。
「金も謝意も、炉で溶かせば同じ鉄だ」
「それなら――私たちの火で、王都と帝都の境目も溶かせるかしら」
「境目ごと鍛え直すさ。二つの国が跨げる刃を打とう」
リリエルは鎚〈燈〉を握った。夜の炉が白く燃え、紙より厚い未来がゆっくり熱を帯びていく。
鍛冶場の門を開けたばかりのユルゲンが報告した。
「殿下がまた来るのですか」
リリエルは鎚〈燈〉を磨く手を止め、昨夜の灰を払う。
「今度は祝福だけでは済まぬ気がするな」
テオは炉に火を入れつつ、薪を一束余計にくべた。
昼近く、村道に王国の旗が現れた。先導役は側近オスカー、後方には護衛の騎士が最小限。王太子レオンハルトは裾をまくって歩き、泥道の跳ねを気にも留めない。
「歓迎の儀は要らぬ。私が誤りを告げに来ただけだ」
声は低く抑えられ、かつての威圧より柔らかい。
リリエルは鍛冶場の前へ出た。
「謝罪の言葉は関門で受け取りました。今日は何を」
「追放宣告を正式に取り消し、王国貴族の名誉を回復したい」
「名誉は此方に戻りません。代わりに村の大炉建設へ出資を」
即答に騎士たちがざわつく。だがレオンハルトは頷いた。
「王国の金が受け入れられるなら喜んで」
「受け入れるのは私ではなく村です」
リリエルは背後を振り返り、村長や評議人を呼んだ。パン職人イザークが手に粉を付けたまま飛び出す。
「この炉が出来れば帝国も王国も同じ釜の飯だ」
村長は杖で地面を叩き、出資条件を問う。レオンハルトは小箱を開き、刻印入りの金貨袋を置いた。
「条件はただ一つ。完成した炉の最初の火入れに立ち会わせてほしい」
テオが鎚を肩に乗せる。
「それだけなら安い。火種なら山ほどある」
交渉は昼餉前に終わった。王国の使節は村の古井戸で水を受け取り、休息を取る。陽差しの中で、レオンハルトがリリエルに歩み寄った。
「昔、君が図書室で私の写本を直した夜を覚えているか」
「忘れました。多くの夜を王宮に置いてきたので」
「私は忘れられぬ。あの時の助言で、学位試験を通過できた」
レオンハルトは小さな羊皮紙を差し出す。幼い筆跡で書かれた謝辞の草稿だった。
「渡しそびれていた。今さらだが受け取ってほしい」
リリエルは紙を指で挟み、折り目をなぞる。淡いインクが陽光で透け、若い王子の焦りと感謝がそのまま刻まれていた。
「殿下の変化は紙より薄くありませんわね」
「君の変化には及ばない」
テオが遠巻きに見ていたが、視線を逸らさず歩み出た。
「殿下、鍛冶場の中を案内しましょうか。王宮の鏡より熱い景色です」
「願ってもない」
三人は炉の前に立つ。白炎が揺れ、煤が空中で舞う。
「ここが私たちの王宮ですわ」
リリエルは鎚〈燈〉を掲げ、炎にかざした。刻んだ羽根紋が赤く輝き、レオンハルトの瞳に映る。
「美しい。王冠より重く見える」
「王冠は誇りですが、ここでは鎚が誇り。重さは持つ者によって変わります」
夕刻、金貨の受領書に双方が署名した。王国印璽と村長の刻印が並ぶ。
「これで正式に共同炉計画が始動だ」
ユルゲンが書面を掲げ、村人が歓声を上げる。レオンハルトは馬を用意させた。
「私はこれで王都へ。次は完成式で会おう」
リリエルは一歩進み、静かに頭を下げた。
「殿下の歩みが迷わぬよう、炉の火を灯し続けます」
「君の火があれば、私も迷わぬ」
短い言葉を残し、王太子の馬列は日没前に村を発った。旗は夕焼けに溶け、轍だけが淡く残る。
夜、鍛冶場では図面と資材の山を囲んで会議が続いた。リリエルは疲れた頬に手を当て、笑いをこぼす。
「遅すぎた謝罪でも、使い道はあるものね」
テオが図面に炭を走らせた。
「金も謝意も、炉で溶かせば同じ鉄だ」
「それなら――私たちの火で、王都と帝都の境目も溶かせるかしら」
「境目ごと鍛え直すさ。二つの国が跨げる刃を打とう」
リリエルは鎚〈燈〉を握った。夜の炉が白く燃え、紙より厚い未来がゆっくり熱を帯びていく。
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