王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

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「鐘の音が聞こえるわ」

 

リリエルは鍛冶場の裏戸を開き、朝霧に包まれた小さな礼拝堂を見やった。茅葺きの屋根から白い煙が立ち上り、鈴の形をした鐘が風で揺れている。

 

「今日のために村の鋳物師が鋳直したらしい。鉄は同じ炉で溶かしたから、うちの指輪と兄弟だ」

 

テオが笑い、真新しい作業服の袖をまくる。胸元には黒鉄の指輪とおそろいの炎紋を刺繍した布章が光っていた。

 

「礼装を着ない婚礼も悪くないわね」

 

「派手なドレスを埋めたのは自分だろ?」

 

「だから寂しくなんてないの。煤と火花が私の裾を飾ってくれる」

 

 

クラリスが走って来て、花籠を差し出した。野バラと鍛冶場の羽根飾りが編み込まれ、胡椒の実が小さく赤い。

 

「祭服代わりの花冠ですわ。村の子どもたちの手作りです」

 

「胡椒を編み込むなんて斬新」

 

「刺激のある夫婦になるように、ですって」

 

リリエルが笑み、花冠を受け取る。ふわりと胡椒が香った。

 

 

礼拝堂の中は木椅子がふた列、天井に燭台が三つだけ。司祭代理を務める親方ユルゲンが祭壇前で待っていた。彼は白い作業エプロンを清めたばかりの革手袋に替え、ふたりに頷く。

 

「炉の火を絶やさぬ誓いを、ここで交わせ」

 

「よろしくお願いいたしますわ、親方――いえ、司祭様」

 

「どっちでも構わん。だが今日は鎚を握るなよ、新婦」

 

「握りませんとも。指輪はもう打ち終えたのですもの」

 

 

テオとリリエルは祭壇前に並び、互いに向き合う。窓から差す朝日が黒鉄の指輪を照らし、青い羽根模様が淡く浮かんだ。

 

「リリエル・フォン・ヴァレンシュタイン」

 

「はい」

 

「お前は王都を離れ、鉄と胡椒の煙の中で生きると決めた。その覚悟を、俺は何度も見た。だから改めて聞く。――俺と共に炉を焚き、火のそばで歳を重ねるか?」

 

リリエルはゆっくりと拳を握り、胸に当てる。

 

「炎と羽根はもう一つに鍛えられたわ。あなたの隣で火花を打ち続ける。涙も汗も融け合って、新しい鋼になる未来を選びます」

 

テオが微笑み、指輪を彼女の薬指に押し戻す。続けてリリエルが胸ポケットから真鍮の細い鎖を取り出した。中央には小さな羽根と火を重ねたペンダントが揺れている。

 

「これは私からの贈り物。真鍮は錆びにくいけれど、磨かなければ曇る。私たちの言葉にも同じことが言えるでしょう?」

 

「磨き続けるさ」

 

テオは鎖を首に掛け、ペンダントが胸板に触れた瞬間、小さく息を吸った。

 

「温かいな」

 

「昨日まで私の掌で磨いていたもの」

 

 

親方が両手を広げた。

 

「では証人として宣言する。炉の火を共有する者たちよ、その火を永遠に守り燃やし続けよ」

 

礼拝堂に拍手が起こり、外で待っていた村人たちが扉を押し開く。パン職人イザークは焼き立ての胡椒パンを、子どもたちは羽根せんべいを掲げて祝福した。

 

「さあ、仕事の鐘だ!」

 

村長が笑い、鐘を一度だけ強く鳴らす。高い澄んだ音が森を渡り、鍛冶場に跳ね返った。

 

 

外へ出たテオとリリエルは、祝福の菓子を受け取りながら坂道を下った。鍛冶場の屋根から白い煙が立ち、その向こうで大炉の足場が朝日を浴びていた。

 

「新婚初仕事は、大炉の礎石置きだな」

 

「ええ。誓いの火種をあそこへ運び込むの」

 

リリエルは鎚〈燈〉の柄に手を伸ばす。真新しい花冠が揺れ、胡椒の実が落ちそうになった。

 

「落ちる前に鍛えよう」

 

テオが実を手のひらで受け取り、串パンへ突き刺した。

 

「世界で一番辛い祝菓子。これくらい刺激的な方が、退屈しなくて済む」

 

「退屈は罪だから」

 

二人は顔を見合わせ、声を合わせて笑った。鐘の余韻がまだ空に漂う。鍛冶場の扉が開き、炉が二人を呼ぶようにパチンと火花を吐いた。

 

「行こう、奥様鍛冶屋」

 

「はい、旦那様火吹き役」

 

並んだ影が長く伸び、羽根と炎の紋様が地面で重なる。その中心に朝日が差し込み、まるで新しい鋼の輝きを約束するように光った。
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