王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

文字の大きさ
18 / 20

18

「明日の夜明け前までに仕上げたい」

 

鍛冶場の炉が白炎を揺らし、テオは黒鉄の塊を静かに取り出した。秋を思わせる乾いた夜気が入り込み、火の粉が床を走る。

 

リリエルは鎚〈燈〉を抱え、彼の背中を見守る。

 

「急ぎの注文かしら」

 

「いや、俺自身への課題だ」

 

テオは鉄を金床へ置き、深く息を吸った。

 

「黒鉄で指輪を打つ。だがただの装飾じゃない――お前と俺の誓いを刻む印だ」

 

 

リリエルの胸が跳ね、銀の匙が帯の奥で小さく鳴った。

 

「黒鉄は硬度が高い分、割れやすい。それでも?」

 

「鍛え直せば脆さは芯になる。俺たちと同じだろ?」

 

「脆さを芯に、ね」

 

彼女は微笑み、鎚を構えた。

 

「ならば二人で叩きましょう。火吹き役と鎚役が入れ替わっても構わないわ」

 

テオが吹子を譲り、リリエルが鞴を踏む。風が炉を駆け、黒鉄が真紅へ変わる。

 

 

第一打

 

鎚が落ち、火花が円を描く。重い音は夜気を弾き、村に灯る他の炉まで共鳴させた。

 

第二打

 

リリエルが鎚を替わり、面を整えながら微細な亀裂を読む。彼女の眼差しは王宮で宝石を選り分けた頃より鋭い。

 

「温度を一刻ごとに三度ずつ下げる。黒鉄は急冷を嫌う」

 

「了解」

 

テオが水桶を少し離し、油を用意する。炉の炎が低く唸り、火の粉が星のように瞬く。

 

 

作業は夜半まで続き、二人は片言しか交わさない。だが沈黙は緊張でなく、鉄に耳を傾けるための呼吸だった。

 

鎚が百を数えた頃、指輪の原型が現れる。幅広の内側にわずかな溝を残し、外面はまだ荒い。

 

「ここに羽根を刻むの?」

 

「いや、炎を刻む。羽根は内側に隠す」

 

テオの提案にリリエルは瞬きをする。

 

「外に見えるのは炎、内に寄り添う羽根……逆転の意匠ね」

 

「お前が王宮を出て内側を鍛えたように」

 

 

彼女は小さく笑い、細工用タガネを手渡した。

 

「刻印は貴方の役目よ。鎚でなく心の手で」

 

テオは黒鉄を油にくぐらせ、赤黒い光を帯びた表面に刃を当てる。打ち込まれるたびに細い線が走り、火の粉が文字の形を縫った。

 

『Flamme et Aile――炎と羽根』

 

古い帝国語で二つの語が重なる。リリエルが息を呑み、指輪を水へ沈めた。蒸気が煙となり、夜の天井へ消える。

 

 

冷却が終わると、黒鉄は漆のように深い色で落ち着いた。中央の炎文は光で揺れ、奥で羽根が薄蒼く滲む。

 

「試し嵌めを」

 

テオが差し出し、リリエルが右手の薬指へ滑らせる。指輪はぴたりと収まった。

 

「重みがあるわ」

 

「鉄だからな。でも外へ向けて燃える炎だ。重さは前へ運ぶ力になる」

 

リリエルは拳を握り、黒鉄の光を確かめた。

 

「王都のプラチナより温かい」

 

「炉で鍛えた心臓の温度さ」

 

 

深夜、炉を落としながらテオが囁く。

 

「正式な婚姻届は大炉が完成してからでいいか?」

 

「指輪が先でも後でも、誓いは同じよ。鍛えた刃は冷めても折れない」

 

「なら安心だ」

 

「けれど私にも宿題を頂戴。指輪に合う首飾りを真鍮で細工するわ」

 

「期待してる」

 

二人は笑い合い、灰をならす。鎚〈燈〉は壁に掛けられ、ひと晩の労を終えた。

 

 

夜明け前、東の空が白む。リリエルは鍛冶場の戸口で立ち止まり、まだ赤い炉へ振り返った。

 

「炎は外面に、羽根は内側。私たちが逆風に立っても飛べるように」

 

テオが背後で囁く。

 

「そして鉄は二人で鍛える。片手で足りぬときは拳で、涙で、笑いで」

 

「拳も涙も炉にくべる燃料ね」

 

「全部燃える」

 

リリエルは頷き、指輪を胸元に当てた。

 

空が青みを増し、鳥の声がひときわ高く響く。黒鉄の指輪はまだ温度を残し、彼女の鼓動に呼応してわずかに震えていた。
感想 4

あなたにおすすめの小説

妹だけを溺愛したい旦那様は、いらない婚約者の私には出ていってほしそうなので、本当に出ていってあげます

睡蓮
恋愛
貴族令嬢であったリアナに幸せにすると声をかけ、婚約関係を結んだオレフィス第一王子。しかしその後、オレフィスはリアナの妹との関係を深めていく…。ある日、彼はリアナに出ていってほしいと独り言をつぶやいてしまう。それを耳にしたリアナは、その言葉の通りに家出することを決意するのだった…。

【完結】私は側妃ですか? だったら婚約破棄します

hikari
恋愛
レガローグ王国の王太子、アンドリューに突如として「側妃にする」と言われたキャサリン。一緒にいたのはアトキンス男爵令嬢のイザベラだった。 キャサリンは婚約破棄を告げ、護衛のエドワードと侍女のエスターと共に実家へと帰る。そして、魔法使いに弟子入りする。 その後、モナール帝国がレガローグに侵攻する話が上がる。実はエドワードはモナール帝国のスパイだった。後に、エドワードはモナール帝国の第一皇子ヴァレンティンを紹介する。 ※ざまあの回には★がついています。

妹の方が好きらしい旦那様の前からは、家出してあげることにしました

睡蓮
恋愛
クレアとの婚約関係を結んでいたリビドー男爵は、あるきっかけからクレアの妹であるレイアの方に気持ちを切り替えてしまう。その過程で、男爵は「クレアがいなくなってくれればいいのに」とつぶやいてしまう。その言葉はクレア本人の耳に入っており、彼女はその言葉のままに家出をしてしまう。これで自分の思い通りになると喜んでいた男爵だったのだが…。

妹だけいれば、婚約者の私の事なんてどうでもいいと言われました

睡蓮
恋愛
フォルトガ第一王子はサテラとの婚約関係を有していながら、何をするにも自身の妹であるセララの事ばかりを優先していた。ある日の事、セララによってそそのかされたフォルトガはセララの頼みを聞くがままにサテラの事を婚約破棄、追放してしまう。しかし実はセララはフォルトガの事は何とも思っておらず、王宮騎士であるノーグの事が好きで、彼に近づくために婚約破棄を演出したに過ぎなかった。しかし当のノーグが好きなのはセララではなくサテラの方であり…。

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

「本当の自分になりたい」って婚約破棄しましたよね?今さら婚約し直すと思っているんですか?

水垣するめ
恋愛
「本当の自分を見て欲しい」と言って、ジョン王子はシャロンとの婚約を解消した。 王族としての務めを果たさずにそんなことを言い放ったジョン王子にシャロンは失望し、婚約解消を受け入れる。 しかし、ジョン王子はすぐに後悔することになる。 王妃教育を受けてきたシャロンは非の打ち所がない完璧な人物だったのだ。 ジョン王子はすぐに後悔して「婚約し直してくれ!」と頼むが、当然シャロンは受け入れるはずがなく……。

お望み通り、別れて差し上げます!

珊瑚
恋愛
「幼なじみと子供が出来たから別れてくれ。」 本当の理解者は幼なじみだったのだと婚約者のリオルから突然婚約破棄を突きつけられたフェリア。彼は自分の家からの支援が無くなれば困るに違いないと思っているようだが……?

幼馴染の親友のために婚約破棄になりました。裏切り者同士お幸せに

hikari
恋愛
侯爵令嬢アントニーナは王太子ジョルジョ7世に婚約破棄される。王太子の新しい婚約相手はなんと幼馴染の親友だった公爵令嬢のマルタだった。 二人は幼い時から王立学校で仲良しだった。アントニーナがいじめられていた時は身を張って守ってくれた。しかし、そんな友情にある日亀裂が入る。