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しおりを挟む不意に女が大声で笑うのが聞こえて、セシリアは窓の下に人がいることに初めて気付いた。
つっかえ棒で開けられた窓に近づいてそっと下を覗き込むと、洗濯婦達が木箱に座り二人一組で包帯を巻き直していた。
一人が、うっすらと不気味な模様のようなシミが残った包帯の布を伸ばし、もう一人が木の棒を芯にして器用に巻いていく。
洗濯婦の手元が機械のように動き、細い布がどんどん巻かれていく。
視線を上げれば、敷布が大量に干されているのを、洗濯婦達が慌てて取り込んでいるのが見える。
できるだけシワにならないように、手早く取り込んでゆく様が見事で、セシリアは思わず見入った。
「セシリア様。」
立ち止まったセシリアに気付いたラースは、戻ってきて一緒に窓の外を眺めた。
「朝は天気が良かったから。」
忙しそうな洗濯婦を見ながら、ラースがつぶやいた。
「アンネが病院の前にいたよ。」
「あの娘は誰かを見舞う気もなければ、手伝う気もないんだね。」
窓の下の洗濯婦達は、すぐそばにいるセシリア達には気付かないようで、噂話を始めた。
「そりゃ、領主様のこれだってもっぱらの噂だろ?」
洗濯婦がふくよかな小指を立てた。
「もうお貴族気取りってわけかい?」
セシリアの両脇にオラフとビョルンが並んだ。
セシリアは二人に向かって、口の前で人差し指を立てて「しーっ」と声を出さずに言った。
「伯爵様も、なまけ者の年増がお好きだなんて、物好きだねぇ。」
「領主様だって男だもの、花が咲いたばかりのリンゴの実が熟れるのを待つのは辛いさ。」
「それなら腐りかけでも今すぐ食っちまいたいって?」
女達が一層大きな声で、ゲタゲタと笑った。
ラースはセシリアの肘にそっと手を添えるようにして、診察室へと促した。
ラースの診察室の奥には簡単な間仕切りが立てられただけの一角に、木の小さな食卓と木の丸椅子が何脚か置いてある。
少し埃っぽいそこで、今までもセシリアは何度かこうしてラースとお茶を飲んで過ごしたことがある。
「セシリア様はいつものお茶で、よろしいですか?」
「今日は、先生と同じコーヒーをいただいてもよろしいですか?」
いつもと違うセシリアの答えに、ラースはほんの少し驚いてすぐに微笑んだ。
「いよいよセシリア様もコーヒー中毒への仲間入りですね。」
そう言いながら、ラースはかき集めた不揃いのカップにコーヒーを注いだ。
セシリアはコーヒーの苦味も、香りもどうにも好きにはなれない。
でも急に、王宮にいた頃のことを思い出し、飲んでみようと思ったのだ。
王妃が時々飲んでいた、たっぷりのお砂糖と牛乳を入れたコーヒーを。
その時の伯母がとても幸せそうに笑っていたから、「疲れた時にいいのよ」そう言って。
セシリアは縁の欠けたカップの中の真っ黒な液体にゆがんで映る自分を見た。
「苦い…」
一口飲んで、セシリアはつぶやいた。
「砂糖を入れましょうか、セシリア様。」
ラースが砂糖を取りに席を立とうとする。
「このままで───このままいただきます。」
それでもラースは砂糖の入った小さな壺をとって戻ってきた。
「お砂糖は、患者さんのものでしょう?私が使うわけには───」
「いいじゃないですか、先生なんて中毒になる程コーヒーを飲みまくってるんですから。」
隣に座るビョルンがカップに口を付けた。
ラースの診察室では、セシリアの護衛達も同じ席に着く。
「もうすぐロレンツォさんがこちらに来る時期でしょう、心配はいりませんよ。」
オラフもコーヒーを啜り飲んだ。
セシリアは派手な布を頭に巻いた、異国の商人を思い出した。
怪しげで愉快なヒゲの商人は、エルムンドに珍しい品を定期的に運んできてくれる。
黙ってカップを眺めていると、ラースはセシリアのカップに砂糖をひと匙入れた。
セシリアはラースを物言いたげに見上げた。
「砂糖は、心にもよく効きますよ。」
伯母もあの時、砂糖の効能を必要とすることがあったのかと思いながら、遠慮なく砂糖入りのコーヒーをスプーンでかき混ぜてから、一口飲んだ。
「アンネ、と言うのは、訓練所にもいたあの方かしら?」
オラフはギョッとしてセシリアを見た。
洗濯婦達の話はセシリアには理解出来ない言葉や素振りがあった。
「セシリア様がお心に留めるような人間ではありません。」
「小指は、どういう意味?」
セシリアはオラフの言葉には答えず、気になったことを口にした。
「小指は、まあ、恋人ってことです。」
ビョルンは自分の小指を立てて言った。
「アンネというのは、おっしゃる通り訓練所にもいた女です。」
ラースが余計な事をと言いたげにビョルンを睨む。
「隠さなければいけない存在なのですか?」
ビョルンはラースに挑むように言った。
「あの方は、アンネさんと言うのね。───そう、恋人…」
「アンネとカールは、ニールスの幼馴染ですよ。」
ラースはカップを落としそうになりながら、慌てて言った。
「カール?」
「軍の二人の副官のうちの一人です『平民兵士の希望の星』なんて言われて、調子づいてる目つきの悪い嫌な奴ですよ。」
「ビョルン、詳しいのね───私は何も知らないわ。」
「本人にお聞きになってみては?」
「本人?───伯爵様のことですか?」
ラースの言葉が理解出来ないと言うように、セシリアは首を傾げた。
「どうして?」
「聞きたいことは、本人に聞いた方が早いし、正確ですよ。」
聞きたいこととラースに言われて、セシリアは自分が何を知りたいのかわからなくなった。
(アンネさんはあなたの恋人ですか?と聞くの?───それからどうするのかしら。)
アンネのことはそれほど聞きたいことではない気もする。
そんなことより、聞きたいことはたくさんある気がするが、セシリアはそれが何かわからない。
そもそも、セシリアはニールス自身のことを何も知らない。
出征前のほんの一ヶ月しか、一緒に過ごしたことがないし、それももう、三年も前だ。
「それができれば良いのだけど…」
自分を徹底的に避け、顔を合わせれば顰めっ面をするだけで、ほとんど言葉も交わさない。
そんな人間に、何をどう聞けば良いのか、セシリアには見当もつかない。
ニールスと同窓で、長い付き合いのラースにも「自分で聞け」と言われては、もう打つ手はないように思われた。
「ニールスは相当忙しくしているのですね。」
ラースの言葉には、はっきりと呆れがあった。
(ラース先生はアンネさんが一緒に来ていることを、知っていたのね。)
病院の東の端にあるラースの診察室まで、一番近い廊下を避けて遠回りをした。
セシリアはその意味が、やっとわかった気がした。
「セシリア様が、わざわざ聞いてやる必要などありません。───偉そうに、忙しいなどと。妻たる人を副官にも紹介せず、コソコソと。『軍神』が聞いて呆れる!」
オラフは、相当ニールスに不満を抱えていたようで捲し立てた。
「先生も領主様も、セシリア様に求めすぎなんですよ。酸いも甘いも噛み分けた未亡人じゃないんです。そんなややこしいことは、大人が勝手に片付けるべきです。」
セシリアは自分の話を、自分を無視して話される様子に落ち着かない気分になって、身を小さくして黙ってカップのコーヒーを飲んだ。
「やっぱり苦いわ…」
セシリアの声はその場にいる誰の耳にも届かなかった。
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