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ニールスは、遠目にセシリアの姿を見つけて、病室の入り口で立ち止まった。
セシリアに兵士が何か言い、セシリアは一瞬怒ったように頬を膨らませて、すぐに兵士と一緒に笑いだした。屈託のない、明るい笑顔で。
晩餐の時、椅子を引き彼女を座らせる時に、頸にほくろがあるのが見えた。
今日のセシリアは首元まできっちりとボタンの閉まっている若草色のワンピースを着ていて、髪もゆったりと左に流すように三つ編みにしてある。
見えるはずのない彼女のほくろを、兵士達にも見られているような気になり、胸の奥から何かが湧き上がる。
慌てて、思考からセシリアを追い出した。
病室に入ってすぐの寝台に、片腕を失った兵士が妻と息子に付き添われていた。
「伯爵様。」
兵士はニールスに気付くと妻の手を借り、起きあがろうとした。
「いい、そのまま楽にしていてくれ。」
ニールスは兵士が起き上がるのを制した。
兵士は予備兵で、元は革職人だった。
戦場の最前線で、ニールスが揉み合いになった所へ、背後から斬りつけられそうになった。
それを庇って職人は腕を片方失った。
「貴殿の働きに感謝する。────何か不自由があれば、なんでも言ってくれ。」
ニールスがそう言うと、職人はとんでもないと言うふうに、首を横に振ったが、隣で頭を下げていた女房が、口を開いた。
「仕事がないのです、伯爵様。」
「お前、伯爵様に何を───」
職人の男は女房を慌てて止めた。
「いいんだ、聞かせてくれ。」
ニールスがそう言うと、男の女房は一気に話した。
「実は、奥方様の織物工房の織り師になりたくて、あそこは戦争未亡人を雇ってるって聞いたんで。でも、あたしは雇ってもらえなくて。そりゃ、あたしの亭主は生きてますけど、でも、亭主はこんな有様で、あたしが働かないとなんないんです。」
「そうか、もちろんご亭主には、慰労金が支払われる。だが、生活が苦しいと言うのなら、心配のないように取り計らう。」
「本当に?」
ニールスの言葉に反応したのは黙ってやりとりを見ていた、息子だった。
「マッツ、失礼だぞ。」
父親が息子を諫めた。
「マッツというのか? いくつだ?」
「十歳!」
婚姻時のセシリアと同じ歳だと、ニールスは思った。
「お前の父は、私の命の恩人だ。私は必ず恩に報いる、仕事のことは心配いらない、必ず困らないようにする。そうだ、これをやろう。」
ニールスは古びた象牙の柄の小刀を取り出して、マッツに渡した。
「いいの?」
マッツはニールスが頷くのを見ると、父親の顔を見て確認した。
父親が小さく頷くと、マッツは喜んで小刀を受け取った。
そばにいた兵士が、大声でニールスを讃えた。
「マッツ、良かったな。伯爵様は俺達みたいな平民の出のもんにも、分け隔てなく接してくださる。それに、お前の父ちゃんは、伯爵様を庇って怪我をしたんだ。名誉の負傷。意味のある怪我なんだ!」
兵士の言葉に、周りの負傷兵達の空気がわずかに歪んだ。
「ここにいる誰もが名誉の負傷であることは、私が保証する、養生して早く元気になることを願っている。」
ニールスがそう言うと、周りから歓声が上がった。
セシリアを揶揄っていた兵士がつぶやいた。
「伯爵様に直接お会いできるなんて、俺、ずっと憧れてて。」
初恋の人の話をする乙女のような姿に、思わずセシリアの表情がほころんだ。
大きな部屋の反対側にいる、ニールスと目があった。
セシリアは当然、ニールスがこの病室を一通り見舞うと思い、彼の濃い茶色の髪を見つめた。
子供の声が聞こえてくる。
「約束だよ、伯爵様。」
兵士の一人が大声で、子供に答えた。
「大丈夫だマッツ、伯爵様はどんな人との約束も、忘れたりなさらない。」
周りの負傷兵達から、歓声のような声が上がった。
ニールスは大部屋の向こう側にいる、セシリアをもう一度見た。
若い兵士に微笑みかけていた。
朝、執務室近くで会ったセシリアは、少し痩せたように見えたが、美しかった。
戦勝記念の式典の話をすると、花がほころぶような笑顔を見せた。
だらしなく、見入ってしまいそうになり、慌てて話を切り上げてその場を去った。
あの笑顔を横たわる兵士に向けている、そう思うと自制しきれない感情に支配された。
数人の兵士に囲まれたニールスは、病室をそのまま出ていった。
「伯爵様は帰っちまうのか…」
「無意味な怪我人なんざぁいちいち見舞ってらんねぇだろ」
「お忙しいのさ…」
セシリアの周りの兵士たちから、落胆の声が上がった。
自分を避けたのだと、セシリアには分かった。
自分のせいで兵士達が、ニールスから労いの言葉をかけてもらう機会を逃した、そう思いセシリアは居た堪れない気持ちになった。
同じ大部屋にいる負傷兵達は、部屋のあちら側とセシリアがいる側で、まるで違う雰囲気が広がっている。
無意味な怪我人などここにはいない───セシリアは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ここにいる兵士達が無意味だったのではなく、自分のせいなのだから。
原因になった自分が、慰めの言葉などかけられるわけもない。
セシリアはただ黙ってそこにいることしか出来なかった。
「セシリア様、奥でお茶でもどうです?」
ラースがセシリアを誘うと、若い兵士達は口々に、冷やかしたり、僻んだようなことを言って、また笑い出した。
「ラース先生、セシリア様とお茶だなんて、ずるいですよ!」
「そうだそうだ!とんだスケベ医者だ。」
「セシリア様、俺たちを捨てないでぇ~」
いつものように、ふざけて笑い合う兵士達とセシリアは同じように笑うことができなかった。
この場から逃げ出したくて、ラースの誘いに乗り病室を後にした。
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