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しおりを挟むニールスが修道院の前に着くと、見知った顔が見えた。
ひょろりとした男は、屋敷の護衛だ。
「ここで何をしている?」
ニールスに気がつくと、護衛は背筋を伸ばした。
「奥方様の護衛であります!」
静かな修道院に不似合いな声がけたたましく響いた。
「セシリアがここに?」
ニールスの驚き様に、護衛は気まずそうな顔をした。
「まだはっきりとは分からんが、赤痘かもしれん。」
病院での騒動のすぐ後、ラースから説明を受けた。
赤痘は時折、姿を現す伝染病で、発熱後に体のあちこちに赤い発疹が出る。
健康な若い兵士でも罹患し死亡することも珍しくはない。
「とにかく兵舎は人の出入りを禁じてくれ、発病者が出た兵舎以外もだ。」
「分かった。」
「一部の兵士が『ヒュドラの呪い』と騒いでいるのは、知っているか?」
訓練所で迷うことなくセシリアの後を追った、少年の姿が浮かんだ。
「数日前に死んだ兵士は、ヒュドラの坊主をいびり倒していたんだ。」
「そいつが死んだから『呪い』か。馬鹿馬鹿しい。」
「ヒュドラの坊主が散々に痛めつけられたろ?」
そのことは昨日、ニールスにも報告が上がっていた。
異端の訓練生は常に皆の虐めの対象で、ことあるごとに『可愛がり』と称して、殴られていたようだった。
彼がいつも泥だらけだったのは、そのせいだった。
異端の訓練生が半死半生の状態で訓練所の隅に置き去りにされていたのを発見され、上がってきた報告は『可愛がり』では済まされない酷い集団暴行だった。
もちろん、関わったものは処罰対象になったが、その中の数名が今朝になって発熱した。
これで『呪い』の声が、真実味を帯びてしまった。
『ヒュドラが呪いで復讐した』と。
「坊主はもう修道院へ移した。修道女にも偏見のある人はいるだろうけど、ここよりましだろう。」
ラースは肩を竦めた。
軍で対応を終え、気になっていた異端の孤児の様子を見に修道院へ来た。
もう、夜更けも近い。
こんな時間に、セシリアが修道院にいるのは、孤児を見舞っているからだろう。
自分も見舞ってから、共に屋敷へ戻ろうかとニールスが考えていると、細身の護衛が話しかけた。
「奥方様は、昨日からあの異端に付きっきりです。」
「屋敷に戻っていないのか?」
思わず口に出してから、妻の行動を把握できていないことになんとなく羞恥を覚えて、すぐに取り消した。
「いや、いい───ご苦労。」
ニールスはそのまま修道院の中へ進んだ。
すぐに修道院長がニールスに気付き、駆け寄ってきた。
「セシリア様はこちらに。」
異端の孤児を見舞いに来たとは思っていないようだ。
どの道行き先は同じだ。
そう思うとニールスはなんとなく面白くない、そんな気分になった。
異端の孤児は、修道院の奥の小さな部屋に置かれた寝台に横たわっていた。
正確には、彼がそうなのかわからない。
開け放たれた扉から見える彼の、右目から額にかけては包帯が巻かれ顔の半分は隠れてしまっているし、見えている左目のあたりも赤紫に腫れ上がり、元の顔を窺い知ることが難しい。
ニールスが考えていたより怪我はずっと酷く、うなされているのか、苦しそうな声が途切れ途切れに聞こえる。
セシリアが孤児の口元を真っ白な布で拭うのが見えた。
セシリアは苦悩するように眉を寄せ、瞳には蝋燭の光が涙に反射して輝いていた。
仄かな灯りに浮かぶその姿は、あまりにもたおやかで、ニールスは時間が止まったように見入った。
「伯爵様。」
護衛の男が、セシリアに知らせるためにニールスを呼んだ。
その声に、セシリアが振り返った。
彼女の表情がわずかに翳ったように見えた。
ニールスはセシリアの隣まで行くと、孤児の顔を覗き込んでから屈んでセシリアの耳元で囁いた。
「ずっとここにいたのか?」
朝食の席で、エントランスでの態度を詫び工房の人事の件を、話すつもりだった。
でもニールスが翌朝、朝食室へ行った時にはセシリアはもう出かけた後だった。
工房で染色に使う植物を直接見たいと、夜明け前には屋敷を出ていた。
その日の晩餐の時間にはニールスの仕事が長引いて戻る事が出来ず、あれきりセシリアに会えず仕舞いになっていた。
「まさか、そんなはずございませんでしょう。」
突然、暗がりからエウラリアが現れて、ニールスの体が揺れた。
「夜中は私が交代いたしました。今日はもうじきマルタが交代しに来ます。」
馬鹿なことを、と言外に言われた。
「一緒に帰ろう、セシリア。」
白い布を持つ彼女の右手を取ろうとしたニールスの手が、宙をかいた。
セシリアが避けるように右手を動かしたからだ。
「もう少し、マルタが来るまでここにいます。」
セシリアはニールスを見ず、手に持った布で孤児の目に滲む涙を拭った。
「お疲れでしょう。どうぞ伯爵様は先に屋敷にお戻りください。」
「なぜ君がそこまでする必要がある?」
自分で思っていたより、ニールスの声は冷く響いた。
「他に誰も彼を看る人がおりません。」
やはりセシリアはニールスを見ることはない。
「修道女がいる。それに、赤痘が広まりつつある。外を出歩いては危険だ。」
「赤痘?」
やっとセシリアの水色の目がニールスを見た。
「ああ、しばらくは屋敷から出てはいけない。」
今度は確実に、セシリアの右手をつかむと、彼女の目が鋭くなった。
「私は赤痘にはもう罹りません、心配はご無用です。」
「赤痘に?」
「はい、ですから大丈夫です。修道女達も手が足りないのです。」
「兵士達が『ヒュドラの呪い』と騒いでいる。異端の孤児と一緒にいては危険だ。」
セシリアは右手をつかむニールスの手を振りほどいた。
「異端の孤児ではありません。トマです。」
水色の瞳にははっきりと、軽蔑の色が浮かんでいた。
「セシリア───」
『伯爵様のように強くなれますか?』
まだ痩せて小さかった、トマの姿がニールスの脳裏に蘇って来る。
(トマ、そうだ彼の名はトマだった。)
ニールスは蘇った記憶を振り払うと、もう一度セシリアの腕をつかんだ。
「とにかく今日は帰りなさい。」
有無を言わせぬニールスの様子に、セシリアは静かにうなずいた。
セシリアがどんな様子でいるのか、ニールスは確認するのが恐ろしくなって、いつものように彼女から目を逸らしたまま、軍へ戻っていた。
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