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しおりを挟む「晩餐をご一緒に…」
執事のヘニングがニールスからの言伝をセシリアに伝えると、彼女は表情を曇らせた。
しかしすぐに笑顔を湛えて「わかりました」と答えた。
昨日、頭痛を感じたセシリアは修道院を早めに引き上げ屋敷に戻るとそのまま朝まで眠ってしまった。
そのすぐ後、早く戻ったニールスは、セシリアを晩餐に誘いに部屋へ向かったが、もうすでにぐっすりと眠り込んでいると言われ諦めた。
その代わりに、とニールスは翌日の晩餐を共に、つまり今夜の晩餐の約束を言伝ていた。
セシリアの気持ちは沈んだ。
これまでも何度か「晩餐の約束」をしたが、まともに実行されたことはなかった。
ニールスは晩餐に遅刻してくるか、時間通りに席に着いているときには必ずと言っていいほど軍からの呼び出しがあり、ニールスはそれに必ず応じた。
初めはセシリアも、こんなに忙しいのに無理をしてまで時間を作ってくれている。と嬉しい気持ちもあったが、じきにその気持ちはすり減っていった。
離れた向かいの席に座るニールスはむっつりと黙り込み、黙々と食材を胃に流し込んでゆくだけで、セシリアを見ようともしない。
セシリアが話しかけても「ああ」「そうか」それだけだったし、以前の続きと劇場建設の話を持ち出せば「少し考えさせてくれ」そう言ったきり、また黙り込んだ。
セシリアにとってニールスと摂る食事は苦痛なものになっていった。
屋敷の執務室ではイニゴがいつものように書類に埋もれていた。
「セシリア様、おはようございます。」
書類から顔を上げてイニゴがセシリアに微笑んだ。
「今日からまた、工房にも行ってみるわ。」
「そうですか、あの片腕の兵士の細君のことは?」
イニゴはアグネタの一件をずっと気にかけていた。
「わからないわ、伯爵様とお会いできていないもの…今夜、晩餐にお誘い頂いたから、なんとか聞いてみるわ。」
「無視。でいいのでは?銅貨の一枚も支払っていない人が、偉そうなんですよ。」
イニゴは遠慮なくニールスを貶した。
「劇場建設の話だって、あの人が帰ってきてから少しも進まない、軍のことばかり考えて領主としての自覚が足りないんです。そもそも貴族としての─────」
ニールスの話になると長いので、セシリアは執務室を出て工房へ向かった。
織物工房に久しぶりに顔を出し、染色工との打ち合わせを終えて、セシリアは早めに屋敷に戻った。
家族の食事といえど、晩餐となればそれなりの装いが必要になる。
今日も遅刻か、それとも中座か。セシリアは少し意地悪くニールスの行動を予測してみた。
どちらにしても、今日はニールスに確認したいことがいくつかある。
たとえ食事中に相応しくない話題でも、たとえニールスに「考えさせて」と言われても、今日ばかりはそれなりの答えが欲しい。
ニールスにとっては子供の遊びに見えるのかもしれないが、工房の仕事で生計を成しているものも少なからずいる。
劇場の建設もセシリアの巨額の持参金からだけではなく、出資者もいるのだ「後で」「今度」では済まされない。
工事に関わる技師達も、王妃を通して帝国からきてもらう算段はついている。
意気込んで屋敷に戻ると、イニゴが執務室からやってきて、驚きの知らせを伝えた。
「劇場建設の許可が下りたの?」
「そのようです、ただし、劇場の規模を縮小する方向で再考せよと。」
「縮小?でもその話は────」
劇場建設案が形になり始め、出資者も集まり始めた頃、エルムンドのような田舎に規模が大きな劇場など不釣り合い。失敗するに決まっている。そう言う意見もあった。
失敗を恐れる出資者達は、こぞって縮小を唱えた。
それをセシリアとイニゴが時間をかけて説得し、やっと収まったと言うのに。
「皆さん納得してくださったのに、どうして?────それになぜ急に劇場建設の許可が下りたの?私は伯爵様とお話もしていないのに。」
「出資者の一人が、伯爵に直談判したようです。」
「縮小を?」
「いえ、縮小の話は伯爵から提示されたと。」
「伯爵様が────」
セシリアはため息が出るのを止めることが出来なかった。
群青色のビロードの、優しい光沢をじっと眺める。
セシリアは長卓の端に座り、蝋燭の光とゆるやかな襞が作り出す不思議な模様に見入っていた。
『とてもよく似合ってる』遠い記憶の中から、少年の声がした。
やはりニールスは遅刻のようで、長卓の向かいは空席のままだ。
「お飲み物だけでも、何か────」
もうすでに散々待っているセシリアに執事が声をかけてきた。
「ねえ。ずっと気になっていたのだけど、あの長卓はどこへやったの?」
「前のものは、仕舞ってございます。」
「どうして変えちゃったの?私、あれ好きだったのに…」
セシリアの声が小さかったのか、執事は答えなかった。
「胡桃の木の模様が、とても綺麗だったのよ────この長卓は何の木?」
「楢の木かと、おそらく。」
セシリアは何も答えず、ビロードのドレスを指で撫でた。
ニールスの帰還が待ち遠しかった。
セシリアにはニールスとの出征前の一月ほどの短い時間が、かけがえのないものになっていた。
ニールスが戻ったら、話したいことがたくさんあった。
エルムンドの五月の風が気持ちいいこと、木苺がたくさん実をつける場所を見つけたこと、読んだ本の感想も、背が伸びたことも、とても会いたかったことも。
ニールスに聞いてみたいこともたくさんあった。
その頃のセシリアは想像もしていなかった。
まさかニールスと話すことに、息苦しさを覚えるなんて。
まさか、ニールスがいないことに安心するなんて。
「セシリア様、伯爵様からご連絡がありまして、急務につき晩餐はまたいずれと。」
執事が告げに来たのは、もう予定通りであったなら晩餐を終える時分になってからのことだった。
「やっぱりね───悪いのだけど、スープだけ部屋に運んでくれる?」
セシリアはさっさと部屋に戻り眠ることにした。
椅子から立ち上がると、ずっと座っていたせいか眩暈がした。
ビロードのドレスが、セシリアの動きに合わせて生地に弧を描いた。
幼い頃、同じ群青色のビロードのドレスを着た。
セシリアはビロードの手触りが好きで、エウラリアにせがんで何度もそのドレスに袖を通した。
『いつかセシにドレスを贈るよ。それと同じ群青色のビロードのドレスを。』
金の髪の少年は、そう言って笑った。
セシリアが着ているドレスは、商人からセシリアが生地を買い付けたもので、少年との約束のドレスではない。
手のひらでドレスをなぞるように触れると、少年の声が聞こえる気がした。
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