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赤痘は四週間ほどで収束した。
兵士、五十数名に感染し、死者は七名。
修道院の修道女四名にも感染し、うち二名が亡くなった。
兵舎と修道院以外には感染は広がらず、皆、胸を撫で下ろした。
セシリアはあの一件以来病院へは行かず、修道院で感染した修道女達の看護を手伝うため、修道院へ通い詰めた。
ニールスも、赤痘による人手不足のため多忙を極めた。
その結果、四週間のうちに二人が顔を合わせたのは、屋敷で偶然すれ違った一度だけだった。
「修道院の方はどうだ?」
「ええ、昨日お一人亡くなってしまわれました。」
こんな会話を短く交わしただけだった。
「セシリア様。」
クララがセシリアの手にちょっと湿った栗を乗せた。
「まあ、まだ栗がとれるの?」
手のひらいっぱいの栗を、セシリアは顔に近付けて繁々と見つめた。
「畑の隅に埋めて隠してあるんです、秘密ですよ。」
クララがあまりに真剣に言うので、セシリアも真面目な顔で「誰にも言わないわ」と言った。
「土の中に入れて、保存できるのね。トマも知ってた?」
集めた落ち葉に手早く火をつけて、トマはセシリアに頷いた。
「虫が食っちゃうんですけどね。」
セシリアは驚いて栗を落としそうになった。
セシリアの手からトマが栗を受け取って、焚き火の中にそっと放り込んだ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと虫食いは避けましたから。」
クララは焚き火を長い枝で少し突いた。
トマは杖を支えに、一人で歩けるほどに回復していた。
今は簡単な手伝いをしながら修道院にいる。
「セシリア様、他のお仕事はいいんですか?」
セシリアの看護を必要とする修道女はもういない。
「そろそろ工房にも行かなくちゃね。」
セシリアはクララの真似をして、落ちていた長い枝で焚き火を突っつこうとして、渋い顔のエウラリアに止められた。
「工房の仕事がお好きだったのに、どうかなさったのですか?」
トマが心配そうにセシリアを見た。
「工房へは行きたいのだけど…」
ビョルンがクララと焚き火の突き方をめぐってじゃれ合うのを見ながら、セシリアはつぶやいた。
工房へ行くならアグネタの件を皆に説明しなければいけない。
アグネタの雇用をどうするのか、あの無礼な伍長はまた来るのか。
でも、セシリアには分からない。
劇場建設の話もニールスの許可がなければ進められない。
セシリアはニールスと話すことが出来ないから、それも難しい。
何せ、ニールスはとてつもなく忙しいらしい。
少なくとも、セシリアに使う時間はほんの少しもなさそうだし、セシリア自身も以前のように、なんとかしてニールスと話したいと思えなくなっていた。
屋敷ですれ違ったとき、はっきりと息苦しさを感じた。
ニールスは、久しぶりに早い時間に仕事を終えた。
赤痘が発生して以来のことだった。
セシリアは病院での一件以来、修道院へ連日手伝いに行っていると報告を受けていた。
今なら、まだ修道院だろう。ニールスはそう思い、修道院へ馬を走らせた。
「今日はお疲れのようで、お早くお帰りに。」
ニールスが修道院に着いた時にはセシリアの姿はすでになく、そう言ったのはトマだった。
「怪我の具合はどうだ?」
ニールスは、杖をつくトマに尋ねた。
「はい、おかげさまでずいぶん良くなりました。」
トマの黒い瞳が、彼が持つランタンの明かりを反射する。
「訓練所は辛いか?」
ニールスの問いに、トマの表情が動いた。
「辛くない、とは言えません。」
集団で毎日のように甚振られていたのだ、当然だろう。
「では、訓練所をやめるか?」
「いいえ。」
トマは迷う様子もなく、即答した。
「兵士になりたいのか?」
「いいえ。」
「では、何のために訓練所にいる?」
「守りたい方がいるからです。」
かつての痩せた少年の言葉を思い出す。『僕も伯爵様のように、強い男になれますか?』眩しいほどのまっすぐな瞳で、こちらを見上げていた。
『守りたい者がいるか?』ニールスは自分が言った言葉も思い出した。
「セシリアの護衛になるつもりか?」
ニールスの口調が強くなった。
「俺が、お前をセシリアのそばに置くと思うか?」
トマは答えられずに、ニールスをただ見ていた。
「セシリアのためにならないなら、迷わず切り捨てる。たとえそれで彼女が傷ついても。」
トマの黒い瞳がぐらりと揺れて、色を変えたように見えた。
ニールスの耳に兵士達が言った『呪い』という言葉が蘇って、慌てて振り払った。
「今、セシリア様が傷ついていらっしゃるのも、守るためですか?」
「何だと?」
ニールスの体に力が入る。
「一度燃え尽きた木に再び炎を灯すことは出来ない。」
トマの口元が歪んで見えて、ニールスは思わず息をのんだ。
「大丈夫です、ヒュドラの教えの一つですよ。『呪い』ではありませんから。」
心を読んだようなトマの言葉に、ニールスは冷静さを失った。
「貴様、何のつもりだ?」
ニールスは思わず剣に手を置いた。
「斬りますか?」
少しも恐怖を感じていない声色で、トマが聞いた。
ニールスは剣から手を離し、息を整えた。
「先ほどのありがたい教えは、自分自身に唱えていろ。誰にものを言っているか考えるんだな。」
黒い瞳は真っ直ぐにニールスを見据えている。
セシリアに抱く疚しさも見抜かれたようで、ニールスは炎を飲み込んだような凄まじい胸苦胸苦しさを感じた。
「ご無礼をいたしました。」
トマの言葉にはほんの少しの申し訳なさも含まれていなかった。
ニールスは黙ってトマに背を向け、足早に立ち去った。
まだ、十六にもならない少年を相手に、剣に手をかけたことに動揺が収まらなかった。
戦場においてもニールスはいつも冷静で、心を動揺にゆだねることなど一度たりともなかった。
『今、セシリア様が傷ついていらっしゃるのも、守るためですか?』
耳の中で、こだまする。
「本当に呪いのようだな…」
口に出してしまって、思わず自嘲した。
セシリアへの罪悪感が判断力にも影響している。
ニールスはかすかに震える指先を暗がりの中で見つめた。
馬車寄せで馬車を見送るセシリアを見てから、時々こうしてニールスの指先が震えた。
兵士、五十数名に感染し、死者は七名。
修道院の修道女四名にも感染し、うち二名が亡くなった。
兵舎と修道院以外には感染は広がらず、皆、胸を撫で下ろした。
セシリアはあの一件以来病院へは行かず、修道院で感染した修道女達の看護を手伝うため、修道院へ通い詰めた。
ニールスも、赤痘による人手不足のため多忙を極めた。
その結果、四週間のうちに二人が顔を合わせたのは、屋敷で偶然すれ違った一度だけだった。
「修道院の方はどうだ?」
「ええ、昨日お一人亡くなってしまわれました。」
こんな会話を短く交わしただけだった。
「セシリア様。」
クララがセシリアの手にちょっと湿った栗を乗せた。
「まあ、まだ栗がとれるの?」
手のひらいっぱいの栗を、セシリアは顔に近付けて繁々と見つめた。
「畑の隅に埋めて隠してあるんです、秘密ですよ。」
クララがあまりに真剣に言うので、セシリアも真面目な顔で「誰にも言わないわ」と言った。
「土の中に入れて、保存できるのね。トマも知ってた?」
集めた落ち葉に手早く火をつけて、トマはセシリアに頷いた。
「虫が食っちゃうんですけどね。」
セシリアは驚いて栗を落としそうになった。
セシリアの手からトマが栗を受け取って、焚き火の中にそっと放り込んだ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと虫食いは避けましたから。」
クララは焚き火を長い枝で少し突いた。
トマは杖を支えに、一人で歩けるほどに回復していた。
今は簡単な手伝いをしながら修道院にいる。
「セシリア様、他のお仕事はいいんですか?」
セシリアの看護を必要とする修道女はもういない。
「そろそろ工房にも行かなくちゃね。」
セシリアはクララの真似をして、落ちていた長い枝で焚き火を突っつこうとして、渋い顔のエウラリアに止められた。
「工房の仕事がお好きだったのに、どうかなさったのですか?」
トマが心配そうにセシリアを見た。
「工房へは行きたいのだけど…」
ビョルンがクララと焚き火の突き方をめぐってじゃれ合うのを見ながら、セシリアはつぶやいた。
工房へ行くならアグネタの件を皆に説明しなければいけない。
アグネタの雇用をどうするのか、あの無礼な伍長はまた来るのか。
でも、セシリアには分からない。
劇場建設の話もニールスの許可がなければ進められない。
セシリアはニールスと話すことが出来ないから、それも難しい。
何せ、ニールスはとてつもなく忙しいらしい。
少なくとも、セシリアに使う時間はほんの少しもなさそうだし、セシリア自身も以前のように、なんとかしてニールスと話したいと思えなくなっていた。
屋敷ですれ違ったとき、はっきりと息苦しさを感じた。
ニールスは、久しぶりに早い時間に仕事を終えた。
赤痘が発生して以来のことだった。
セシリアは病院での一件以来、修道院へ連日手伝いに行っていると報告を受けていた。
今なら、まだ修道院だろう。ニールスはそう思い、修道院へ馬を走らせた。
「今日はお疲れのようで、お早くお帰りに。」
ニールスが修道院に着いた時にはセシリアの姿はすでになく、そう言ったのはトマだった。
「怪我の具合はどうだ?」
ニールスは、杖をつくトマに尋ねた。
「はい、おかげさまでずいぶん良くなりました。」
トマの黒い瞳が、彼が持つランタンの明かりを反射する。
「訓練所は辛いか?」
ニールスの問いに、トマの表情が動いた。
「辛くない、とは言えません。」
集団で毎日のように甚振られていたのだ、当然だろう。
「では、訓練所をやめるか?」
「いいえ。」
トマは迷う様子もなく、即答した。
「兵士になりたいのか?」
「いいえ。」
「では、何のために訓練所にいる?」
「守りたい方がいるからです。」
かつての痩せた少年の言葉を思い出す。『僕も伯爵様のように、強い男になれますか?』眩しいほどのまっすぐな瞳で、こちらを見上げていた。
『守りたい者がいるか?』ニールスは自分が言った言葉も思い出した。
「セシリアの護衛になるつもりか?」
ニールスの口調が強くなった。
「俺が、お前をセシリアのそばに置くと思うか?」
トマは答えられずに、ニールスをただ見ていた。
「セシリアのためにならないなら、迷わず切り捨てる。たとえそれで彼女が傷ついても。」
トマの黒い瞳がぐらりと揺れて、色を変えたように見えた。
ニールスの耳に兵士達が言った『呪い』という言葉が蘇って、慌てて振り払った。
「今、セシリア様が傷ついていらっしゃるのも、守るためですか?」
「何だと?」
ニールスの体に力が入る。
「一度燃え尽きた木に再び炎を灯すことは出来ない。」
トマの口元が歪んで見えて、ニールスは思わず息をのんだ。
「大丈夫です、ヒュドラの教えの一つですよ。『呪い』ではありませんから。」
心を読んだようなトマの言葉に、ニールスは冷静さを失った。
「貴様、何のつもりだ?」
ニールスは思わず剣に手を置いた。
「斬りますか?」
少しも恐怖を感じていない声色で、トマが聞いた。
ニールスは剣から手を離し、息を整えた。
「先ほどのありがたい教えは、自分自身に唱えていろ。誰にものを言っているか考えるんだな。」
黒い瞳は真っ直ぐにニールスを見据えている。
セシリアに抱く疚しさも見抜かれたようで、ニールスは炎を飲み込んだような凄まじい胸苦胸苦しさを感じた。
「ご無礼をいたしました。」
トマの言葉にはほんの少しの申し訳なさも含まれていなかった。
ニールスは黙ってトマに背を向け、足早に立ち去った。
まだ、十六にもならない少年を相手に、剣に手をかけたことに動揺が収まらなかった。
戦場においてもニールスはいつも冷静で、心を動揺にゆだねることなど一度たりともなかった。
『今、セシリア様が傷ついていらっしゃるのも、守るためですか?』
耳の中で、こだまする。
「本当に呪いのようだな…」
口に出してしまって、思わず自嘲した。
セシリアへの罪悪感が判断力にも影響している。
ニールスはかすかに震える指先を暗がりの中で見つめた。
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