君の中で世界は廻る

便葉

文字の大きさ
10 / 47

桜の頃 …10

しおりを挟む


「じゃ、お礼の挨拶みたいなキスならしてあげる」


流人は寝転がったままで、嬉しそうに目を閉じきゆのキスを待っている。


「ちゃんと、起きて。
寝た状態じゃ、挨拶のキスなんてできないよ」


流人は口角を上げたご機嫌な顔で、でも面倒くさそうなポーズを取りながら体を起こした。


「たくさんのバラの花束、ありがとう…
すごく、嬉しかった…」


きゆはそう言って、目を閉じている流人に軽くくちびるがかする程度のキスをした。


「え? 終わり??」


きゆが可笑しくてクスっと笑うと同時に、流人に強く体を引き寄せられた。


「きゆ、そんなのキスじゃないよ」


そうやって、流人のしたいように、私は体を預けてしまう…
久しぶりに流人の腕に抱かれ、懐かしく当たり前のようなキスをする。
それは、幸せで、でも苦しくて、恋い焦がれていた優しいキス……


「流ちゃん、もう、やめて…」


きゆの目には涙が溢れていた。
あの時にきゆが受けた傷は、まだかさぶたにもならないまま疼いている。


“流人先生は、医者のお嫁さんをもらうらしいよ”

院長秘書に教えてもらったあの日、病院を辞める決心をした。
誕生日の浮気より、きっとこの言葉が私を縛り付けている……


***  ***  ***


4月1日の久しぶりの開院の朝は、極上にいい天気だった。

きゆは病院が閉まっている間に、役場の保健課の人に医療事務のノウハウを教わった。
今まではこの病院の院長の奥様が看護師の仕事も事務の仕事も両方やっていたため、受付に事務専用の人を置く必要はなかった。

きゆは医療事務の資格を持っていない。
しかし、こんな小さな病院ではオールマイティーに何でもこなしていかなければならない。
そういう理由で、医療事務の資格を取るためにきゆは日夜勉強に励んでいる。
でも、いざ、初めて一人で受付の仕事をするとなると、なんだか少しだけ緊張していた。


きゆはいつもより早くに病院に出勤した。
所々に、流人からのプレゼントのバラの花を花瓶に飾る。
それだけで、殺風景な待合室がパッと華やいだ。

流人はまだ院長室から出てこない。
院長室を勝手に改造して生活ができる程度の空間に変えた流人は、クッション材の硬いソファにはみ出る足を伸ばして寝ているらしい。

きゆは流人のタイミングでここへ出てきてくれればいいと思っていたので、自分は待合室や診察室の掃除にいそしんだ。


「きゆ、ちょ、ちょっと、こっち向いて…」


きゆが廊下の窓を拭いていると、後ろの方で流人の声がした。
振り返ると、流人は院長室の横にある洗面台の前で立ち尽くしてる。


「おはよう。
今日、すっごくいい天気だよ。
流人先生、今日一日、頑張ろうね」


きゆがそう言うと、流人は白衣のポケットからスマホを取り出し、きゆの写真を撮り出した。


「ちょっと、流ちゃん、どうしたの?」


流人は満面の笑みを浮かべ、興奮気味にきゆに話し始める。


「きゆ、その白衣、すごくいい!
もう、俺、朝っぱらから鼻血が出るかと思ったよ~

ちょっと、ちゃんと見せてみ~

俺、コスプレでもいいから、いつかきゆにこんな格好してもらいたかったんだ。
もう、最高、めっちゃ可愛い、ブラボー!!」


きゆは苦笑いをした。
確かに、きゆ自身この白衣には抵抗があった。
初日にこの病院を訪れた時には、院長の奥様によってもう用意されていた。
ひと昔前の、看護婦さんの頃の白衣……
白地のウエストが絞っている膝上丈のワンピース、そして、時代とともに消えたはずの真っ白い可愛らしい三角帽。

東京の病院ではパンツスタイルの白衣を着ていたし、髪は手術の時以外は一つに結ぶか、ピンで留めるかのスタイルだった。

この島は、時間が止まっている。
しかし、その事によって、喜びはしゃぐ人間がいるとは思いもしなかった……


「もう、そんな子供みたいにはしゃいでバカじゃないの?」


きゆは、大切な初日の日に、こんなくだらない事ではしゃぐ流人に嫌気がさした。
これでも、本当にお医者様なの??
流人に限っていえば、こんな風に思ってしまうシチュエーションがたくさんあり過ぎる。

流人は歯ブラシを口にくわえたまま、スマホに収めたきゆの画像をスワイプして何度も見ていた。


「きゆ、俺はこの島に来て本当に良かったよ……

空気は美味しいし、風景は最高に綺麗だし、人は皆温かいし、それに、きゆのコスプレが毎日見れるなんて…

もう、俺、泣きそう……」


きゆは何も言わずにその場を去った。
もう相手をするだけ疲れるのは長い付き合いで分かっている。

きゆは受付のカウンターに座り、今日の予定をチェックした。
午前は通常の診察業務で、午後からは老健施設の健康診断が入っている。
流人にとって、こんなのんびりした仕事は考えられないだろう。
いつも分刻みで仕事をこなしてきた人だから。

でも、それより、どうやってこの島に来る事ができたのだろう…
流人の生活が少し落ち着いたら、その話を聞いてみよう。


「きゆ、ここの患者さんのカルテを見せて」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

ワケあり公子は諦めない

豊口楽々亭
ファンタジー
精霊の加護により平和が守られている、エスメラルダ公国。 この国の公爵家の娘、ローゼリンド公女がある日行方不明になった。 大公子であるヘリオスとの婚約式を控えた妹のために、双子で瓜二つの兄である公子ジークヴァルトが身代わりになることに!? 妹になり代わったまま、幼馴染みのフロレンスと過ごすうち、彼女に惹かれていくジークヴァルト。 そんなある日、ローゼリンドが亡骸となって発見されて……───最愛の妹の死から始まる、死に戻りの物語!! ※なろう、カクヨムでも掲載しております。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

「四半世紀の恋に、今夜決着を」

星井 悠里
ライト文芸
赤ちゃんからの幼馴染との初恋が、ずっと、心の端っこにある。 高校三年のある時から離れて、もうすぐ25歳なのに。 そんな時、同窓会の知らせが届いた。 吹っ切らなきゃ。 同窓会は三か月後。 私史上、いちばん綺麗になって、けじめをつけよう。

私が生きていたことは秘密にしてください

月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。 見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。 「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」

処理中です...