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4章【炎と氷】
9.手記と花
しおりを挟む執務室から出て使用人用の細い廊下に向かい、邪魔にならないよう端に寄って進む。今日は何を食べようかと考えながら歩くこの時間は好きだなとユークリッドはすれ違う使用人に軽く挨拶を交わしていた。
使用人棟に設置された食堂は、その日に食べたい物を選んで注文出来るようになっているので元日本人らしい食へのこだわりまで思い出したユークリッドには有難い福利厚生だ。
───ユークリッドがアレクシスの侍従見習いになってから、1ヶ月が経とうとしていた。
「へ、陛下?!」
「ユークリッド、やはり使用人用の廊下を使っていたのか。なかなか会えないので探した」
使用人専用の廊下に似つかわしくないにも程がある煌びやかな男と鉢合わせて、つい大声で叫んでしまったユークリッドはハッとして周りを見渡したが、近くを歩いている使用人達は特に気にした様子もなかった。それぞれ忙しく仕事をしている。
「今から昼食か?」
「へ?!あ、はい、これからで…」
「なら一緒に食べよう。……そこの君、食事を二人分用意するよう厨房に伝えてくれ」
通りすがりの使用人に声を掛けて「食堂はこっちだ」と先導するランスロットに、もう何から指摘をしたらいいのやら分からないユークリッドだった。
大きなテーブルに二人だけが席について食事をしている。ユークリッドには慣れない環境だ。
「仕事には慣れたか?アレクの担当は市民から集めた嘆願書の最終決定だから数が多く忙しいとは思うが」
「えっと…資料探したり大変だけど、市民の生活が知れて楽しいです。」
王城で働く使用人は貴族出身も多いから、使用人棟で食べる食事もそれなりに立派な物だ。しかしランスロットと共に食べる食事は更にワンランク上な感じがする。
ユークリッドはどちらかといえば食べ慣れた使用人棟での食事の方が好みだが、目の前に座って食事をするランスロットは当たり前に様になっている。
(改めて見ると、本当に綺麗な人だな…)
毎日会っているアレクシスは金色の長い髪に緩やかなパーマがかかっているが、同じ金色でもランスロットはアレクシスよりも髪が細くてサラリと手触りが良さそうだ。
…いや、アレクシスも艶があって触り心地が良さそうだけれど。
「弟贔屓に聞こえるかもしれないが、アレクはとても優秀で人の気持ちを思いやれるから市民の声に寄り添えると判断してその配置にしたのだ」
「そう、ですか……そうですね。アレクシス殿下は優しいです」
1ヶ月、一緒に働いてそれは感じた。
仕事中のアレクシスは書類を捌くスピードが早い割に内容もしっかり考えられていて、処理済の嘆願書には比較的簡単な内容でも今後の方針をびっしり書き込んでいたり、クリストファーやユークリッドに資料を求めてしっかりと検討した上で的確に処理をする。
ユークリッドにも意見を求める事があるが、どんな意見もちゃんと聞いて、時にアドバイスをしてくれたり、執務室と聞くと厳格な響きがする部屋なのに空気感は常に穏やかだ。
「アレクシス殿下は、なんというか、理想の上司…という感じで。子爵位の私が王弟殿下に恐れ多いですが」
「ふむ。私の所で働いていたら、ユークリッドは私を理想にしてくれただろうか」
「え」
すました顔で小さく切った肉を口に運ぶランスロットの顔を不躾に凝視してしまったユークリッドが焦っていると、「冗談だ」と至って真面目な顔で続けるのでいよいよ困った。
「──さて、食事が終わったところで本題があるのだが」
「はぁ…」
国王陛下と二人きりで食事というだけで緊張するのに冗談かわからない冗談まで飛ばしてきたランスロットになんだかどっと疲れたユークリッドはかろうじて姿勢を正したままランスロットの話を聞いた。
「ユークリッドにコレを解読して欲しい。私が自分で出来たらよかったが…時間が足りない身分だから、難しい。」
「本ですか?陛下に分からない事が私に務まるか…」
「ヴィルヘルムは文字を見ただけで逃げ出したが、ユークリッドには読めるはずだ」
ランスロットに本を手渡され、適当なページを開いたユークリッドはカチンと音がしそうなほど全身が固まった。
『異世界での生活〇×日目──』
断片的に目に入った文字列が、瞬時に理解できる。
「………日本語だ…」
それは、少し斜めに書かれた癖のある字がビッシリと書き込まれた本だった。
どうにか平静を保って午後も働いたが、クリストファーとアレクシスにはバレていたかもしれない。
使用人棟の自室は個人部屋でこそあるものの、広さも備え付けの家具もこじんまりしててベッドもシングル。
高位貴族の出身なら狭いと感じるかもしれないが、クリストファーは本城に部屋があると言っていたし高位貴族は使用人棟に居ないのかもな。
そんな関係ない事を考えてユークリッドは自分を誤魔化してみたが、気持ちの落ち込みは変わらない。
寝転びながらランスロットに預けられた本を取り出した。
表面には何も書かれていない本。何代か前の神子が残した手記だと言っていた。
────『無理はしなくていい。苦しくなるようなら、関わらない事も出来る。』
ユークリッドと神子の話をする時、ランスロットは何度も無理をしないようにと気遣っていた。
「俺が死ぬ前も、あんな王様だったら死ななかったのかな…」
ランスロットが優しければ優しい程にユークリッドの気持ちも重くなった。
死んでも結局、元の世界に戻れていなかった事に静かに絶望した。自分みたいな神子を、もう増やしたくないと思うのも本心だ。
「だーめだ!なんか、気分転換しよう」
本はもう少し、気持ちが落ち着いてから読む。
そう決めて帰ってきたばかりのユークリッドは再び退室した。
王城の門を通るには色々と手続きが必要だけど、入ってしまえば庭園は割と自由に歩き回れる。訪問客には立ち入れない場所もあるけれど、城内で働くユークリッドは侍従の制服さえ着ていれば、あちこちで警備している騎士とも大体が顔見知りなので問題なく歩き回れた。
「おや、珍しいねぇ。ここを訪れる人はあまり居ないんだが…あぁ、アレクシス殿下の新しい侍従さんだね」
ハサミ片手に植木の手入れをしている老齢の男性庭師に話しかけられてユークリッドは立ち止まった。
無意識に歩いていたらかなり奥まで来ていたようだ。
「こんにちは、失礼ですが前にも会いましたっけ…?」
「あー、1ヶ月前に殿下と来た時にいなかったかな?殿下が可愛い侍従が増えたと言っていたから、お前さんだろう」
可愛い侍従…?
アレクシスは何を言っているんだと思ったがユークリッドは笑って誤魔化した。
「殿下ならいつも通り居るよ。新人さんも色々言われてるだろうがね、年寄りの儂が言えるのは気にしなさんな、くらいかね」
いつも通り、と言いながら一方に視線を投げた庭師に、ハッとしたユークリッドは礼を言ってその視線の方向に歩みを進めた。
自分の前世が神子だとバレた時に見た小さな門。そこにクリストファー静かに中の様子を窺っていた。
────やっぱり、墓場だ。
ユークリッドが来た事に気付いたクリストファーは一瞬目を見開いたが、人差し指を唇に当てて門の奥へと視線を戻す。
クリストファーの隣に立てば、幾つもの墓石が並ぶ中、アレクシスがひとつの墓の前で腰掛けているのが見えた。
ユークリッドより大きな身体を持つのにその背中はやけに小さく感じて、邪魔をしてはいけないと思いつつも一歩、また一歩と足を動かす。
そんなユークリッドを、クリストファーは止めようと手を伸ばし…その手を下ろして二人を見守っていた。
「今日は、ユークリッドの様子が少しおかしかったんだ。
もう一ヶ月も私の所に居るから…苦痛なのかもしれないな」
ぽつりぽつりと独り言を言っているアレクシスは近付くユークリッドの存在に気が付かない。
「神子様…あなたのように、苦しむだけの一生で終わらせたくないんだ。でもユークリッドを見ていると、時々、神子様の存在に触れられているようで…」
グス、と小さく鼻をすする音がきこえた。
「やはり、私は愚かです。ユークリッドに苦しんでほしくない、もっと幸せに生きてほしい、なのに、私から離れるように言えない…情けない」
震える声で、最後に「ごめんなさい神子様」と呟いて墓石を抱きしめた。
幼い子供に背負わせた咎は、自らの手で今もこうして続いている。
「……」
──だから、前世なんて思い出さない方が幸せに生きられたんだ。
こんな世界、大嫌いな世界で生きる人々がどうなろうと、知ったこっちゃない。死んでも結局戻れなかったし、元の世界で残された人達だって、少なくとも両親は、きっと悲しんでくれてる。
ユークリッドはぐちゃぐちゃになる感情を必死に抑え込んだ。でないと立っていられなくなるから。
壊れてしまった王子を見たあの日に、ランスロットと話をしたあの日に、この世界でする事は決めたから。
ポケットを探り、ハンカチを取り出した。
「…アレクシス殿下」
驚かせないように声を掛けたけど、ビクリと大きく肩を揺らしたアレクシスに近寄り、隣にしゃがんでハンカチをアレクシスの目に押し当てた。
「神子の事は、分かりません。言えません。…でも、殿下と働くの、苦しんでいないですよ」
ハンカチに涙が滲んでいく。
アレクシスの足元には、赤い花が添えられていた。
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