【本編完結済】神子は二度、姿を現す

江多之折(エタノール)

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6章【王弟と侍従】

21.恨みなくとも、許さない

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コン、コン、と上品に叩かれたドアの音が静かな部屋に響く。
書類を確認していたランスロットは顔を上げ、入るよう短く告げた。

「失礼します。陛下にご報告がございまして」

アレクシスの侍従、クリストファーが顔を出した事にランスロットは僅かに目を見開いたが、すぐにその表情は何も悟られない無に戻った。

「アレクシスに何かあったのか」
「いえ、侍従の話ではありますが…ユークリッド・ロズウェルの件で」
「近くに」

使用人の一人に肩入れするのは施政者としては間違っている。そう自覚しながらも、ランスロットは彼が前世で神子だったから、という言い訳に甘えて肩入れし続けていた。
目の前に立つクリストファーは常に穏やかな空気を纏い、主人であるアレクシスには物心がつくようになった年頃から仕えている。 

「こちらを…」
「……ロズウェル子爵からの除籍願か。」
「今朝届いたので、私が預かりました。ユークリッドには度々手紙が送られていましたが…返事をしていなかったようです。こちらの手紙も添えられていました」

手紙を受け取り、開いてみれば一行だけの内容にランスロットの形の良い眉がひそめられた。

───恥をかかせるな、ユークリッド・ロズウェル。

ユークリッドに度々送金を催促していたが、一向に応えないから脅し目的で除籍願を出したのだろう。
…そんなに気軽に手続きをされては困るのだが。

「受理をして、平民になったユークリッドは侍従では居られなくなるか。」
「彼等の役に立たないのなら構わないのでしょう。…アレクシス殿下には私とユークリッドだけしかおりませんので、こちらは相当な痛手となります。」
「だが、これは子爵家当主から出された正式な書類だ。」

表情にこそ出さないが、当主印を忌々しく眺めながらランスロットは返事をした。自分がこのような感情を持つとは。…あの小さな侍従に肩入れしすぎたか。

公的な書類を個人的な感情で握り潰すのは正しい行いではない。そして書類に不備も見当たらない。だから子爵が自ら取り下げなければ勝手に破棄する事も出来ないのだ。せいぜい手続きを遅らせる程度か。

今、ユークリッドを城から追い出せばアレクシスがどうなるか…頭が痛いなとランスロットは思案した。

「ええ。正式な書類ですから、早めに受理してもらおうと思いまして。」
「…何を……いや、そうか。」

ユークリッドが追い出されては困ると言っていたのに早く受理しろと言うクリストファーに、ランスロットは一瞬何事かと訝しんだがすぐに納得した。すぐに承認のサインをし、鍵付きの引き出しから国王だけが扱える国印を取り出して、押した。
この書類が担当部署に届いたら、その瞬間からユークリッドは平民になる。

「…私も大概だが、クリストファーはどうしてそこまでユークリッドに肩入れをするのか」

穏やかな表情を一度も崩さず、書類を受け取ってクリストファーは一層微笑んだ。

「──私は仕えている主人の幸せ以外は望んでいません。ただそれだけですよ。」









───前世の記憶が戻る前のユークリッドなら、言われるがままに子爵家に給金の全てを送って慎ましい生活を受け入れていただろう。
それをしなかったのは、前世の自分が「それは間違ってる」と正してきたから。

その感覚を、違う世界の常識だからと否定するのは違う。一人の人間として、尊重されていいと今では思う。
だけど真っ向から家族に対立する勇気はなくて、届く手紙に見ないフリをしていた。

──それがきっと、長年植え付けられた家族に対する恐怖心だと思う。




ユークリッドは「大切な話があります」と言うクリストファーに呼び出され、城内の応接間に来ていた。
対面に座る、いつも穏やかに笑っているクリストファーの表情が今日はなんと言えばいいか…ランスロットの表情に似ている。読み取れる感情が無いのだ。
ユークリッドは普段と違う雰囲気に不安になりながら、無言で差し出された紙に目を向けた。


「…………除籍…」

頭から冷水を被ったように血の気がサッと引いていく。
送金命令の手紙を無視し続けた結果、家族はユークリッドを切り捨てる判断をしたのだと悟った。

愛されるとか、大事にされようなんて気持ちは今更無い。そんな事を期待する程の関係は築いていない。だけど、ここまでするとは思ってなかった。

(王族に直接関わる仕事につけるのは、貴族だけ…)

ロズウェル家からの除籍とは、ユークリッドが平民になるという意味だ。…侍従の立場を奪われるという意味だ。


───手紙を無視したせいだ。逆らったから…

「これから、子爵家に行って話を…」
「既に陛下の承認がされているから、話をしに行く前にユークリッドは平民になりますよ。」
「あ…」

もう、どうする事も出来ない。
神子をなくすとか、アレクシスが立ち直るのを助けるとか言いながら、傍に居る事すら出来なくなってしまった。

(なら、何のために俺は生まれ変わったんだ)

なんのために生まれ変わって、アレクシスの事を思い出したんだ。
苦しくても向き合うって決めたのに。

「ユークリッド」
「アレク、アレクシスが…」
「落ち着きなさいユークリッド」

ピシャリと窘められてユークリッドの肩がビクッと震えた。動揺は取れないが、クリストファーに言われた事を守ろうと姿勢正しく座るユークリッドに
クリストファーは書類をもう一枚差し出した。

「私の息子になるかの返事を、まだ聞いていませんよ。」
「クリスさん…」

差し出された養子縁組の申請書類に、ユークリッドは涙ぐむ。子爵家に切り捨てられそうな今、その申し出は喉から手が出る程に欲している。だけど…

「クリスさんに、そこまでしてもらう理由がないです。自分にそこまでの価値もあると思えません。…私が、神子だからですか?」

養子にしようなんて、簡単に決められる事じゃない。
貴族間での養子縁組は争いの火種になる事だってある。ユークリッドもそれくらいは知っているつもりだ。
だからこそ首を縦に振る事が出来ないでいた。例え子爵家を疎ましく思おうとも。
ふむ、と考える素振りを見せたクリストファーが少し間を開けてから口を開いた。

「そうですね…本音を言うと、かつては、神子を恨んでいましたね。」 

穏やかな顔から語られる、クリストファーの本心にユークリッドはますます動揺した。

勝手に死んだ神子を恨んでいる。
今となっては、自分の死が正しかったか、間違っていなかったのか…ユークリッドは判断出来なくなっていた。
だからこそ、鋭い刃のようにクリストファーの言葉はユークリッドを真っ直ぐに貫いた。

──むしろ今まで事情を知った人が優しすぎたのだ。ランスロットも、ヴィルヘルムも。


「私は、アレクシス殿下が一人で歩けるようになった頃から侍従として仕えています。…神子の元に通っていたあの時も、常に後ろを付いて歩いていました。」

神子だった頃の記憶に、いつもアレクシスに連れ添っていた侍従の存在はユークリッドも覚えている。やはりクリストファー本人だった。

「恨みこそ時を経て、心の整理がつきました。でも私は今も許していません。純粋な子供の心を徹底的に打ち砕いて、この世を去った神子を」
「………それならやっぱり、居ない方がいいじゃないですか。」  

この世界を望んでなんかいなかったけど、真正面から責められると罪悪感に打ちのめされる。
後悔はないって、あれしか脱する方法はなかったんだって必死に自分に言い聞かせてきた。
記憶が戻って、生まれ変わった自分があまり恵まれた人生を送っていないと気付いても、目標を見つけて突き進む事で生きる意味を見出せた。

(前世を後悔して…否定して、今の自分も捨てられて、そしたら俺は…どう生きたらいい?)

真正面から向けられた言葉に顔を上げることも出来なくなり、背中を丸めて下を向く。握り締めた拳に涙がぼたぼたと落ちて砕けた。
みっともない。でも貴族として、ユークリッド・ロズウェルとして、伸ばさなければならない背筋は家族から必要ないと通告された。

小刻みに揺れる背中に、大きな手が添えられる。
──なぜだろう。二度と得られない、遠い世界の父の優しさを思い出した。

「ユークリッド、勘違いしてはいけません。私は貴方を息子にしたいんです」
「ッだって、クリスさんは、恨んで…」
「ユークリッドを恨む理由なんてどこにもありません。
小さな子が使用人として入って来たなと最初こそ心配しましたが…いつでも真っ直ぐに、しっかり仕事に向き合っている姿を毎日見ていました。」

涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、ユークリッドの隣で目線を合わせるように腰を下ろしたクリストファーが背中を撫でてくれている。
その顔はとても穏やかで、優しい笑顔をしていた。

「神子ではありません。私はユークリッドを気に入って、助けたい、息子にしたいと思ったのです。…間違いなく自慢の息子になりますからね」
「ッ…」
「もう一度聞きます。ユークリッド、子爵家を捨てて私の養子に入ってもらえませんか?…ユークリッド・レヴァンという名前も、なかなか似合っていると私は思いますよ。」

おどけてみせるクリストファーに、ユークリッドは口をへの字にして大きな涙の粒を頬に伝わせた。

神子ではなく、ユークリッドとして存在を認められた実感を初めて得られた気がした。

「おやおや」と子供をあやす様にハンカチで涙を拭うクリストファーの目を見て、ヒクッと痙攣して整わない喉からどうにか声を出す。

「よ、よろしく、おねが、します」
「…息子として、何があっても…どのような結末を迎えても、一人にはしない。貴方を守ると誓いましょう。
これからよろしくお願いしますね、ユークリッド」

朗らかに笑うクリストファーに、ユークリッドは泣きながらも満面の笑顔でそれを返した。
大きな手の温かさが、丸まった背中も肯定しているように感じた。
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