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想章【思い出と名前】
2.狂者の笑顔
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時は遡って。
それは、仕事が休みのユークリッドとフリードリヒが二人で街を歩いている時だった。
「次は武器屋に行ってもいいか?オーグストが真面目に鍛練していると聞いて、剣帯でも送れないかと思っているんだ」
「うん、いいよ。…オーグスト兄様もちゃんと頑張ってるんだね」
「ユークリッドに謝るのはまだ先だけどな。」
ユークリッドの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるフリードリヒに、へへっと笑って散歩気分で綺麗に舗装された道を歩く。
「兄様、いつも手袋してるね」
「セドリックがうるさいんだ。家には大量にストックが用意されているし、まぁ傷跡だらけで醜い手を隠せと言われるのは仕方ないが」
「違う意味だと思うなぁ」
案外、独占欲が強いセドリックだ。フリードリヒが何度手を傷つけても自ら手当すると言って聞かないし、兄の手を醜いなどと一度も言ったことがない。
刺繍だけでなく小さな宝石まで縫い付けられている手袋は、フリードリヒの手を誰にも見せないという主張がユークリッドには見えていた。
「僕にはよく理解出来ないが…まぁ、装飾の趣味は良いから気に入っている」
「そっかぁ」
「……からかうなよ。」
ツンとそっぽ向くフリードリヒに「ごめんなさい」と口では言いつつも、兄様って可愛い人だなぁと常日頃可愛い可愛いと伴侶に言われている自分を棚に上げてニマニマと笑っていた。
「───あぁ、やっと見つけた。」
急に聞こえてきた言葉が、ねっとりと耳にまとわりつくように響いてユークリッドの肩が跳ねる。
「……ユークリッド、前方の男に見覚えはあるか」
「ううん、一度も…………え、」
一度も見た事のない男がユークリッド達の少し前に立っている。
真っ青な髪色に、何色とも言い難い少し不思議な色彩の瞳をしていて、顔の皺が目立つ壮年の男。この世界らしい色彩を持つ男なのに、何故かどうしようもなく懐かしくて、泣きたくなる。
(父さんに、似てる…)
前世の父親に再び出会えたような郷愁感。
父は派手な人ではないし、寡黙で普通の人だった。それなのに目の前の男があまりにも似ていると感じて動揺したユークリッドに、
フリードリヒは壁になるよう前に立った。
「誰かも知らないところ悪いが、これ以上は近付かないよう願う。」
「あぁ、あぁ。凄い数の護衛ですね…なるほど今回はとても身分の高いお方のようだ」
ユークリッド達には常に護衛が付いている。心配症の伴侶達により側に二人、それ以外にも何人か配置されていると聞いたが、男はそれを見抜いて数を数えていた。
側に居る二人の騎士も異様な空気に武器に手を添えているのを確認したフリードリヒは、ユークリッドだけは守らなければと弟を騎士よりも後ろに下がらせた。
「───全能の力を前に、剣は意味を成さず」
ぽつりと呟く男の声は、どこか不吉で。
騎士に守られているはずのユークリッドの足下は輝いていた。
「なっ!?ユークリッド!」
「ッ…!」
(魔法陣───!)
前世の知識があるからこそ、光が何かを理解した。
忌み嫌い、もう既にこの世界には存在しないと思っていた不可思議な力。
光に包まれるユークリッドに咄嗟に反応して駆け寄った兄よりも早く、その姿は跡形もなく消え去っていた。
「───ッどこ、魔法…?!」
魔法陣の光の眩しさに閉じていた目を開ける。石造りの床が視界に入って慌てて周囲を見ると、過去に一度だけ見た景色のようだった。
(教会の、召喚された泉…?)
忘れかけていた記憶を掘り起こす。かつての自分が最初に立った場所だ。
あの頃と違うのは、さっきと呼ぶにはまだ早すぎる過去に見たばかりの人物が立ってこちらを眺めていること。
真っ青な髪に、深い緑…ヘーゼルアイと呼ばれる複雑な色彩を持つ瞳が特徴的な…
「…誰ですか」
「初めまして、私はランドグリスです。貴方は…」
「……ユークリッドです。」
「なるほど。第三王子と婚姻関係にあるという…どうりで護衛が多いわけだ。貴方に狙いを定めるのが如何に大変だったか」
一目見た時から、この世界らしい色彩を持つのにどうしようもなく似ていると感じてならなかった相手。
…前の世界の父親に似ていて、ユークリッドをどうしようもなく動揺させた相手が立って、こちらを見ている。
「……これは、貴方がやった事ですか」
きっと、あの場は大混乱だ。王族であるユークリッドが突如姿を消したのだ。楽しかった休日も台無しになってしまうだろう。
ギュッと拳を握り、悔しい気持ちが隠しきれないユークリッドは前世の父親によく似た男を真っ直ぐに見据える。
「えぇ。…頑張って探したんですよ。」
にこにこと笑いながら話す男に、疑問が浮かぶ。
前世の父は寡黙な人で、あまり笑わなかった。表面的には分からないけど、なんなら分かりにくいけど行動で愛を示してくれる人だった。
だからこそ、目の前の男に父を重ねた事が不思議でならない。
「…なるほど、生まれ変わっているんですね。魂だけが、まるでこの世界の異物だ。より剥がしやすくて結構。」
「ッ──」
ユークリッドが男──ランドグリスを観察していたように、ランドグリスもユークリッドをしっかりと観察していた。
「しかし泉の魔法陣も破壊されて…何を考えているのでしょうね?この国は」
魔法陣まで辿り着いたことは褒めますが。
そう言って笑みを深めるランドグリスにゾッとして、後ずさりをしたユークリッドは確信した
「魔法、使い…」
「賢者、と呼んで頂きたいですね。フフ、この世界で唯一無二の魔法使いであり、この世界から魔法を消し去った賢者と!」
両手を広げて大袈裟に、恍惚とした顔で自らを賢者と名乗るランドグリス。
ナルシストはいい。それよりも気になる発言がある。
「世界から魔法を消し去った…?」
「えぇ、えぇ!昔話をしてあげましょう。私が造り上げた世界の話を。───この国が、一体どのような罪を犯したかを。」
────昔、この世界には魔法が溢れていた。
人々は魔法を使い、魔法に依存し、魔法を中心に生きていた。とても便利で、とても簡単な世界だった。
魔法陣に魔力を乗せ、出力する。魔法陣さえあればなんでも出来る。
魔力が多ければ多いほど様々な事が出来る。
ある時、豊富な魔力で多くの魔法を使いこなし、全知全能に手が届いた魔法使いが出現した。
「世界の全てに手が届いた。その力があった。ですが。
私は特別なのに、誰も特別として私を見なかった。誰も信じなかった。」
ヘーゼルの瞳が恨みに曇る。
「世界の全てを動かせる力。それを持っていると言っても、誰も信じませんでした。──だから消してやったのです!!」
目は怒っているのに愉快そうに笑うランドグリスは、ユークリッドには狂気にしか感じない。
ファンタジーな世界だったとして、ひとりの人間が世界から魔法を奪ったという途方もない規模の話も信じられない。
「そんなことで…」
「そんなこと、ではありません。…世界から、魔法を忘れさせました。人々は原始に逆戻り。何もかも自分達で解決しなければならない時代が始まりました。」
コツ。コツ。と靴音を立てて後ずさりしたユークリッドに歩み寄る。
その音が威嚇しているようで、いつかの教師が振るう扇子のようで、ユークリッドの中にじわじわと恐怖が浮かんできた。
そんなユークリッドの様子にランドグリスは全く気にせず、自分語りを続ける顔はうっとりと悦に浸っている。
「分かりますか、理解できますか、原始の世界で混乱しながらも人々は知恵を絞り、生きなければならない。
唯一無二となった私はそこで!神となったのです!」
「神…」
「まぁ、神なんて烏滸がましいですから、賢者と名乗っておりますが。」
「……自分で自分を賢い者って、それも結構な自信家だと思うけど」
「事実ですから。世界を動かす規模の魔法陣を編み出した私より賢い人間は居なかった」
(…出来ても、そんな事を考える人がいなかったんじゃ)
ふと、ユークリッドはあれ程までに心を揺らしたのに、いま目の前に立つ男が父親に似ていないと気が付いた。
「……忘れさせたって事は、精神に干渉出来るってことだよな。俺の認識にも、何か魔法をかけたのか」
「おや。やはり異界から来た神子は魔法に対しての適応が早いですねぇ」
ランドグリスは胸元から一枚の紙を出した。この世界でも、前の世界でも存在しない文字や記号が書き込まれた…魔法陣だ。
魔法陣の書かれた紙はランドグリスの手の中で燃えて、消えた。
「ッ…!?」
「やはり精神干渉は繰り返すと不具合が起きる。あまり繰り返せるものでもありません」
「きもち、悪…」
吐き気がする。頭が揺れるような気持ち悪さがユークリッドを襲う。
口を両手で押さえ、両膝を固い床についた。
「私は神子を探していましてね。そろそろこの国も神子を召喚しているはずと思って来たのに泉の魔法は破壊されたのに魂の気配は感じる。探すのに本当に苦労しました。」
「ッ…」
苦しむユークリッドには興味も無いと言わんばかりに話が続き、目の前にしゃがんだランドグリスはにっこりと微笑んだ。
ユークリッドにとって、その笑顔は狂気にしか見えない。簡単に人を陥れる目の前の男が恐い。でも気持ち悪くて動けない。
「──神子、元の世界に帰りたくありませんか?」
ユークリッドは目の前が真っ白になった。
前世で死ぬほど帰りたいと思って帰られなかった場所に、あっさりと提案が出された。
「どうして、今更…」
やっとの事で、絞り出せた言葉はそれだけだった。
「帰りたいのではありませんか?…帰らせること、私には出来ますよ」
「嘘だ。だって俺はもう、死んで…」
死んで、生まれ変わってる。
元の姿は土の中に。今はユークリッドとしてこの世界を生きている。今更帰るなんて、不可能だ。
「魂を、元の世界に戻してあげると言っているのです。」
「魂…だけを?」
「えぇ。魂は惹かれ合いますから、世界に戻りさえすれば、大切な方達にもいずれまた出会えますよ」
──賢者を名乗るこの男は、やはり人としてどこかズレている。
ユークリッドはゾッとして、静かに首を振った。
確かに前世を思い出したからアレクシスとの今がある。でも普通は、思い出さないものだ。
遠い未来で大切な人達に再び出会えても、失った時の悲しい気持ちはなくならない。何も救われない。
「俺、戻らなくていい。この世界で生きるって決めたから」
「それはいけません。貴方は戻るべきですよ。──だって、魂が帰りたがっているから定着しないのです」
「定着…?」
「貴方の魂は、この世界の異物です。元の世界に戻ろうとするから人間として不完全だ。覚えはありませんか?例えば身体が弱い…とか」
確かに、虚弱体質だ。でもそれは育ちに問題があったからで。
「帰りましょう?今は楽しい毎日を送っているのでしょう。でもそれは、永遠ではありません。いつか後悔しますよ」
「っ…やだ、俺、やだ!」
どうしてそんなに帰したがるんだ。勝手に連れてきたくせに。
帰ったら二度と、アレクシスに会えない。兄様にも、皆にも。戻っても元の家族のところにも帰れない。
また、ひとりだ。ひとりきりで、次の転生を待つんだ。たとえその時間が記憶に残らなくても、ひとりになるのはもう、嫌だ。
泣きそうになるユークリッドをじっと見て、ランドグリスは顔を顰めた。
「…いけませんね。よく考えて下さい、貴方は帰るべきです。」
「いやだ…」
「………そうですか。出会いは始まったばかりですから、もう少し考える時間をあげましょう。次に会う時にはより良い返事を願っています。」
ギギ、とまるで機械のように上がる口角には不快感さえある。得体の知れない相手にどう対処したらいいのか分からない。
───ランドグリスが紙をまた取り出して、燃やした。ユークリッドの足下に再び魔法陣が出現する。
「また、出会いましょう。異世界の神子」
「ッ……!!」
魔法陣が輝き、ユークリッドは眩しさに耐えられず目を瞑った。
ざわざわと騒ぐ人の声が一気に耳に響いてビクッと身体が驚く。
「ユークリッド!?」
「……兄様?」
どうやら元いた場所に戻されたらしい。
顔面蒼白のフリードリヒに抱き締められて、今回は大丈夫だったようだとユークリッドの全身から力が抜ける。
「一体何が起きて…いや、無事で良かった。」
突然ユークリッドが消えた事に、騎士も慌てて対処してくれていたようだ。
現場を確認していたらしいフリードリヒが近くの騎士に馬車を呼ぶようにと声をかけている。
「…兄様、今日は城に戻ってもいいですか」
「ユークリッド?」
「お願い、兄様。セドリック兄上も、アレクも呼んで、話をしなきゃ」
事情は何も分からないが、鬼気迫る表情のユークリッドをもう一度抱き締めて、「行こう」とフリードリヒは頷いた。
それは、仕事が休みのユークリッドとフリードリヒが二人で街を歩いている時だった。
「次は武器屋に行ってもいいか?オーグストが真面目に鍛練していると聞いて、剣帯でも送れないかと思っているんだ」
「うん、いいよ。…オーグスト兄様もちゃんと頑張ってるんだね」
「ユークリッドに謝るのはまだ先だけどな。」
ユークリッドの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるフリードリヒに、へへっと笑って散歩気分で綺麗に舗装された道を歩く。
「兄様、いつも手袋してるね」
「セドリックがうるさいんだ。家には大量にストックが用意されているし、まぁ傷跡だらけで醜い手を隠せと言われるのは仕方ないが」
「違う意味だと思うなぁ」
案外、独占欲が強いセドリックだ。フリードリヒが何度手を傷つけても自ら手当すると言って聞かないし、兄の手を醜いなどと一度も言ったことがない。
刺繍だけでなく小さな宝石まで縫い付けられている手袋は、フリードリヒの手を誰にも見せないという主張がユークリッドには見えていた。
「僕にはよく理解出来ないが…まぁ、装飾の趣味は良いから気に入っている」
「そっかぁ」
「……からかうなよ。」
ツンとそっぽ向くフリードリヒに「ごめんなさい」と口では言いつつも、兄様って可愛い人だなぁと常日頃可愛い可愛いと伴侶に言われている自分を棚に上げてニマニマと笑っていた。
「───あぁ、やっと見つけた。」
急に聞こえてきた言葉が、ねっとりと耳にまとわりつくように響いてユークリッドの肩が跳ねる。
「……ユークリッド、前方の男に見覚えはあるか」
「ううん、一度も…………え、」
一度も見た事のない男がユークリッド達の少し前に立っている。
真っ青な髪色に、何色とも言い難い少し不思議な色彩の瞳をしていて、顔の皺が目立つ壮年の男。この世界らしい色彩を持つ男なのに、何故かどうしようもなく懐かしくて、泣きたくなる。
(父さんに、似てる…)
前世の父親に再び出会えたような郷愁感。
父は派手な人ではないし、寡黙で普通の人だった。それなのに目の前の男があまりにも似ていると感じて動揺したユークリッドに、
フリードリヒは壁になるよう前に立った。
「誰かも知らないところ悪いが、これ以上は近付かないよう願う。」
「あぁ、あぁ。凄い数の護衛ですね…なるほど今回はとても身分の高いお方のようだ」
ユークリッド達には常に護衛が付いている。心配症の伴侶達により側に二人、それ以外にも何人か配置されていると聞いたが、男はそれを見抜いて数を数えていた。
側に居る二人の騎士も異様な空気に武器に手を添えているのを確認したフリードリヒは、ユークリッドだけは守らなければと弟を騎士よりも後ろに下がらせた。
「───全能の力を前に、剣は意味を成さず」
ぽつりと呟く男の声は、どこか不吉で。
騎士に守られているはずのユークリッドの足下は輝いていた。
「なっ!?ユークリッド!」
「ッ…!」
(魔法陣───!)
前世の知識があるからこそ、光が何かを理解した。
忌み嫌い、もう既にこの世界には存在しないと思っていた不可思議な力。
光に包まれるユークリッドに咄嗟に反応して駆け寄った兄よりも早く、その姿は跡形もなく消え去っていた。
「───ッどこ、魔法…?!」
魔法陣の光の眩しさに閉じていた目を開ける。石造りの床が視界に入って慌てて周囲を見ると、過去に一度だけ見た景色のようだった。
(教会の、召喚された泉…?)
忘れかけていた記憶を掘り起こす。かつての自分が最初に立った場所だ。
あの頃と違うのは、さっきと呼ぶにはまだ早すぎる過去に見たばかりの人物が立ってこちらを眺めていること。
真っ青な髪に、深い緑…ヘーゼルアイと呼ばれる複雑な色彩を持つ瞳が特徴的な…
「…誰ですか」
「初めまして、私はランドグリスです。貴方は…」
「……ユークリッドです。」
「なるほど。第三王子と婚姻関係にあるという…どうりで護衛が多いわけだ。貴方に狙いを定めるのが如何に大変だったか」
一目見た時から、この世界らしい色彩を持つのにどうしようもなく似ていると感じてならなかった相手。
…前の世界の父親に似ていて、ユークリッドをどうしようもなく動揺させた相手が立って、こちらを見ている。
「……これは、貴方がやった事ですか」
きっと、あの場は大混乱だ。王族であるユークリッドが突如姿を消したのだ。楽しかった休日も台無しになってしまうだろう。
ギュッと拳を握り、悔しい気持ちが隠しきれないユークリッドは前世の父親によく似た男を真っ直ぐに見据える。
「えぇ。…頑張って探したんですよ。」
にこにこと笑いながら話す男に、疑問が浮かぶ。
前世の父は寡黙な人で、あまり笑わなかった。表面的には分からないけど、なんなら分かりにくいけど行動で愛を示してくれる人だった。
だからこそ、目の前の男に父を重ねた事が不思議でならない。
「…なるほど、生まれ変わっているんですね。魂だけが、まるでこの世界の異物だ。より剥がしやすくて結構。」
「ッ──」
ユークリッドが男──ランドグリスを観察していたように、ランドグリスもユークリッドをしっかりと観察していた。
「しかし泉の魔法陣も破壊されて…何を考えているのでしょうね?この国は」
魔法陣まで辿り着いたことは褒めますが。
そう言って笑みを深めるランドグリスにゾッとして、後ずさりをしたユークリッドは確信した
「魔法、使い…」
「賢者、と呼んで頂きたいですね。フフ、この世界で唯一無二の魔法使いであり、この世界から魔法を消し去った賢者と!」
両手を広げて大袈裟に、恍惚とした顔で自らを賢者と名乗るランドグリス。
ナルシストはいい。それよりも気になる発言がある。
「世界から魔法を消し去った…?」
「えぇ、えぇ!昔話をしてあげましょう。私が造り上げた世界の話を。───この国が、一体どのような罪を犯したかを。」
────昔、この世界には魔法が溢れていた。
人々は魔法を使い、魔法に依存し、魔法を中心に生きていた。とても便利で、とても簡単な世界だった。
魔法陣に魔力を乗せ、出力する。魔法陣さえあればなんでも出来る。
魔力が多ければ多いほど様々な事が出来る。
ある時、豊富な魔力で多くの魔法を使いこなし、全知全能に手が届いた魔法使いが出現した。
「世界の全てに手が届いた。その力があった。ですが。
私は特別なのに、誰も特別として私を見なかった。誰も信じなかった。」
ヘーゼルの瞳が恨みに曇る。
「世界の全てを動かせる力。それを持っていると言っても、誰も信じませんでした。──だから消してやったのです!!」
目は怒っているのに愉快そうに笑うランドグリスは、ユークリッドには狂気にしか感じない。
ファンタジーな世界だったとして、ひとりの人間が世界から魔法を奪ったという途方もない規模の話も信じられない。
「そんなことで…」
「そんなこと、ではありません。…世界から、魔法を忘れさせました。人々は原始に逆戻り。何もかも自分達で解決しなければならない時代が始まりました。」
コツ。コツ。と靴音を立てて後ずさりしたユークリッドに歩み寄る。
その音が威嚇しているようで、いつかの教師が振るう扇子のようで、ユークリッドの中にじわじわと恐怖が浮かんできた。
そんなユークリッドの様子にランドグリスは全く気にせず、自分語りを続ける顔はうっとりと悦に浸っている。
「分かりますか、理解できますか、原始の世界で混乱しながらも人々は知恵を絞り、生きなければならない。
唯一無二となった私はそこで!神となったのです!」
「神…」
「まぁ、神なんて烏滸がましいですから、賢者と名乗っておりますが。」
「……自分で自分を賢い者って、それも結構な自信家だと思うけど」
「事実ですから。世界を動かす規模の魔法陣を編み出した私より賢い人間は居なかった」
(…出来ても、そんな事を考える人がいなかったんじゃ)
ふと、ユークリッドはあれ程までに心を揺らしたのに、いま目の前に立つ男が父親に似ていないと気が付いた。
「……忘れさせたって事は、精神に干渉出来るってことだよな。俺の認識にも、何か魔法をかけたのか」
「おや。やはり異界から来た神子は魔法に対しての適応が早いですねぇ」
ランドグリスは胸元から一枚の紙を出した。この世界でも、前の世界でも存在しない文字や記号が書き込まれた…魔法陣だ。
魔法陣の書かれた紙はランドグリスの手の中で燃えて、消えた。
「ッ…!?」
「やはり精神干渉は繰り返すと不具合が起きる。あまり繰り返せるものでもありません」
「きもち、悪…」
吐き気がする。頭が揺れるような気持ち悪さがユークリッドを襲う。
口を両手で押さえ、両膝を固い床についた。
「私は神子を探していましてね。そろそろこの国も神子を召喚しているはずと思って来たのに泉の魔法は破壊されたのに魂の気配は感じる。探すのに本当に苦労しました。」
「ッ…」
苦しむユークリッドには興味も無いと言わんばかりに話が続き、目の前にしゃがんだランドグリスはにっこりと微笑んだ。
ユークリッドにとって、その笑顔は狂気にしか見えない。簡単に人を陥れる目の前の男が恐い。でも気持ち悪くて動けない。
「──神子、元の世界に帰りたくありませんか?」
ユークリッドは目の前が真っ白になった。
前世で死ぬほど帰りたいと思って帰られなかった場所に、あっさりと提案が出された。
「どうして、今更…」
やっとの事で、絞り出せた言葉はそれだけだった。
「帰りたいのではありませんか?…帰らせること、私には出来ますよ」
「嘘だ。だって俺はもう、死んで…」
死んで、生まれ変わってる。
元の姿は土の中に。今はユークリッドとしてこの世界を生きている。今更帰るなんて、不可能だ。
「魂を、元の世界に戻してあげると言っているのです。」
「魂…だけを?」
「えぇ。魂は惹かれ合いますから、世界に戻りさえすれば、大切な方達にもいずれまた出会えますよ」
──賢者を名乗るこの男は、やはり人としてどこかズレている。
ユークリッドはゾッとして、静かに首を振った。
確かに前世を思い出したからアレクシスとの今がある。でも普通は、思い出さないものだ。
遠い未来で大切な人達に再び出会えても、失った時の悲しい気持ちはなくならない。何も救われない。
「俺、戻らなくていい。この世界で生きるって決めたから」
「それはいけません。貴方は戻るべきですよ。──だって、魂が帰りたがっているから定着しないのです」
「定着…?」
「貴方の魂は、この世界の異物です。元の世界に戻ろうとするから人間として不完全だ。覚えはありませんか?例えば身体が弱い…とか」
確かに、虚弱体質だ。でもそれは育ちに問題があったからで。
「帰りましょう?今は楽しい毎日を送っているのでしょう。でもそれは、永遠ではありません。いつか後悔しますよ」
「っ…やだ、俺、やだ!」
どうしてそんなに帰したがるんだ。勝手に連れてきたくせに。
帰ったら二度と、アレクシスに会えない。兄様にも、皆にも。戻っても元の家族のところにも帰れない。
また、ひとりだ。ひとりきりで、次の転生を待つんだ。たとえその時間が記憶に残らなくても、ひとりになるのはもう、嫌だ。
泣きそうになるユークリッドをじっと見て、ランドグリスは顔を顰めた。
「…いけませんね。よく考えて下さい、貴方は帰るべきです。」
「いやだ…」
「………そうですか。出会いは始まったばかりですから、もう少し考える時間をあげましょう。次に会う時にはより良い返事を願っています。」
ギギ、とまるで機械のように上がる口角には不快感さえある。得体の知れない相手にどう対処したらいいのか分からない。
───ランドグリスが紙をまた取り出して、燃やした。ユークリッドの足下に再び魔法陣が出現する。
「また、出会いましょう。異世界の神子」
「ッ……!!」
魔法陣が輝き、ユークリッドは眩しさに耐えられず目を瞑った。
ざわざわと騒ぐ人の声が一気に耳に響いてビクッと身体が驚く。
「ユークリッド!?」
「……兄様?」
どうやら元いた場所に戻されたらしい。
顔面蒼白のフリードリヒに抱き締められて、今回は大丈夫だったようだとユークリッドの全身から力が抜ける。
「一体何が起きて…いや、無事で良かった。」
突然ユークリッドが消えた事に、騎士も慌てて対処してくれていたようだ。
現場を確認していたらしいフリードリヒが近くの騎士に馬車を呼ぶようにと声をかけている。
「…兄様、今日は城に戻ってもいいですか」
「ユークリッド?」
「お願い、兄様。セドリック兄上も、アレクも呼んで、話をしなきゃ」
事情は何も分からないが、鬼気迫る表情のユークリッドをもう一度抱き締めて、「行こう」とフリードリヒは頷いた。
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