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想章【思い出と名前】
5.追い詰められているのは
しおりを挟む魔法は利用するだけではない、生み出すものだ。
「はぁ、はぁ、」
物陰に隠れてやり過ごす。息がなかなか整わない。
この身体も、長くは持たない。
王族の伴侶などと、そんな厄介な立場になる前に見つけられなかったのが痛い。
「クソッ。余計な魔力を使わねばならなくなった」
魔法は万能だ。神の奇跡そのものだ。
真っ白な紙を取り出して、サラサラと魔法陣を書き込む。
魔力を注げば紙はたちまち燃え尽きて、真っ青だった髪色が黒くなった。
息がようやく整ったところで立ち上がり、更にもう1枚、魔法陣を燃やす。
「──やぁ、今日はよく晴れているね。」
「おう、珍しいな街に来るのは」
人通りの多い道を初対面の男となんでもない世間話をしながら歩く。昔からの知り合いのように、街に溶け込んでいるように。
すれ違う騎士達は特に違和感を持たずにすれ違い、離れて行く。
「……あれ、お前、誰…」
「さぁな」
呆然としている男を一瞥して離れた。精神干渉…洗脳にかけられる時間も短くなった。力が衰えている。
人々が魔法を忘れて長い年月が経った。見えない力を不要とした人類は、魔力を生み出さないように進化している。
そんなつもりで用意した訳ではなかったが…神子だけが魔力と生命を補給出来る存在となってしまった。
「…まだ、まだ死ぬには早いと言うのに」
少し歩くだけで息が上がる。時間がない。
私は何も間違えていないのに、下等な人類がいつも足を引っ張ってくる。
早く、早く奪わなければ。
都合のいい長い人生を歩んできた賢者は、ここに来て勝利を確信していた。
賢者の焦りに応えるように、事態は急速に動き始めたからだ。
「……結局さ、色々考えたけど」
名前の無い墓を背に、緑色の真っ直ぐな瞳が見透かすように細められた。
器如きが偉そうに視線を投げる様は不愉快だと、そう言わんばかりに素直に感情を表す顔を見逃さない。
「俺じゃなきゃ、乗り越えられないと思ったんだ。」
「………ずっと建物の中に、引き篭っていたようですが」
「うん。相談したら警備も厳しくなってさ、抜け出すの大変だった。…でもいつまでも、得体の知れないものに王族全体を巻き込んで怯えさせるの、よくないよなって」
ユークリッドは目の前の青い髪の男…ランドグリスをしっかりと観察していた。たった数日しか経っていないのにやけに憔悴した男は虚勢を張る事もせずユークリッドをじとりとした目で見ている。
綺麗な目もこれでは澱んで見えるというもの。
「俺も一応は王族の一員だからさ、俺だけを守らせるんじゃなくて…この国を、守らなきゃなって思って、出て来たら本当に飛んできたんだ。」
「…私に、身体を譲る覚悟が出来たと」
「は、やっぱり魂抜き取った後の肉体目的じゃん。…あのさ、俺、厳重に保護されてるから時間ないんだ。だから単刀直入に言う。」
急がなければ、見つかってしまうから。
ユークリッドは一度だけ深呼吸をして、ハッキリと告げた。
「俺、元の世界には帰らない。この世界で生きて、この世界で死ぬ。もう、二度と帰りたいと思わない。」
「…何故ですか。貴方にとって、元の世界が悪い所だったなら…」
「違う。…大好きだ。すごく、大好きな世界だった。自分から死ぬくらい、帰りたい世界だった。」
「ならば帰るべきでしょう。私はまだ死ぬ訳にいかない。貴方は元の世界に必要とされる。利害の一致ではないですか」
(──本当だ。余裕がなくて、本音がボロボロ溢れ出す)
「…なんで、そんなに長く生きたいんだよ。」
「そんな事は決まりきっている。私だけがこの世で魔法を扱える。私だけが新しい魔法を生み出し続ける。そこに在る魔法を使うだけで満足していた愚か者共とは違って!私だけが進化を出来る人間だった!」
だんだん興奮して声が大きくなる賢者の主張はめちゃくちゃだなと思いつつ、ユークリッドはそれでもこんな奴に命を握られているという不快感に眉を顰めた。
この世で自分だけ、と言うが進化出来る人間も全て消し去ったではないか。世界から魔法を消したがったのに自分だけは手放せない。そんな子供のような独占欲に、どうして世界は奪われたのだろう。
「なぁ、聞かせてよ。どうやって世界から魔法を奪ったか。精神干渉って一回しか出来ないんだろ?」
「……愚かな。そんな簡単な事にも答えを見出だせないか。」
ハッと鼻で笑うランドグリスに何か見落としていただろうかとユークリッドは会話を思い返すが分からない。
「精神干渉、洗脳こそ、私が編み出した魔法だからに決まっている。たいした文明もない愚かな人間共には理解されなかったが」
「…前提から、間違っていたんだ」
思ったよりも文明が発展していないうちに奪われたのか。そんなの、チートを手に入れて無双するようなもんだ。
それを自らの力でやり遂げたのは凄いが、やはりこの男は子供のまま時を止めているかのように他者を思いやれないと知った。
「だから愚かだと言ったのです。私は様々な魔法を作った。創造こそ我が魔法。魔力が足りなくなれば魔力を奪う魔法陣を、世界に届かなければ世界に広がる魔法陣を。……結局、何年もかかりましたが」
水は生命。水なくしては生命は存続しない。だから雨を降らしながら世界を歩きました。忘却の雨を。
……雨ならば、忘却の水を摂取すれば、自分も忘却するはず?それくらい対策とらずして何が全能か。
「…」
「やがて、私の身体は老いました。魔法でどれだけ操作しようと肉体は時間に逆らえない。長い研究の末、私は身体を魂と肉体に分ける事を可能としました。」
「…それで、誰かに乗り移って生き長らえたと」
「結論を焦るから答えに辿り着かないのですよ。魂を肉体から剥がすのは難しい。どうしても肉体に戻りたがる。」
紙を一枚取り出し、燃やした。
ユークリッドは数日前に経験した気持ち悪さをもう一度味わう事となった。
かからないと分かっていて魔法をかける。嫌がらせだ。
顔色の悪くなったユークリッドに一瞥もせず、ランドグリスは続ける。
「魔法を失った世界で、人々は何か起こる度に救いを求めて神という存在を創造し、祀るようになりました。そこで考えたのです。神とはなんだろう、と。永遠の生命、永遠の肉体、超越者。──それは私ではないかと」
「……それから、どうして神子に」
「偶然ですよ。」
魔法陣を書いた紙をもう一枚燃やす。
ユークリッドは膝をついて、目眩を堪えるのに必死だ。
「神こそが私の魂の器に相応しいと思って魔法陣を創り、召喚したんですよ。そうしたら異世界の人間がやって来た。…まぁ、魂を剥がすのが容易になったので怪我の功名というやつでしょう」
頭が痛い。気持ち悪い。意識が朦朧とする。
嫌がらせで魔法を使われているけれど、目の前の男は本当に余裕がないのだとわかる。
凝視されたくないのだろう。バレたくないのだろう。
「──さて、そろそろ。折角だから出会いからやり直しましょうか。」
ぼやけた視界で不自然に上げられた口角が見える。
こんな話をして、どうして受け入れられると思い上がれるのか。
(追い詰められているのは、俺と、賢者どちらもだ)
歯を食いしばる。何がなんでも耐えるんだ。
お前を乗り越えて、この世界を生きるんだ。
「帰れると言われたら、帰りますか?」
そのやり取りは、前世の自分をぶん殴られたような心地だった。
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