魔術師さんは爛れた関係の同居人に記憶を取り戻させたくない

さか【傘路さか】

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 僕の体調が完全に戻るまで、ベイカーはきっちりと世話を焼いていた。

 軽い接触を増やすように、という医者の指示は彼の手で守られている。栄養剤が要らないくらいの食事を与えられ、魔力を重ね合わせて体調を整えられた。

 数日後の定期検診では好調、とのお墨付きを貰い、以降は経過観察となった。

 対して彼の記憶は変わらずだが、僕はそのまま忘れてくれないだろうか、と身勝手に思ってしまう。

 身体を重ねる唯一ではない寂しさはあれど、今の関係のほうが二人にとって望ましいように思えるのだ。

 ただ、この事態をなあなあにしたがっている僕とは違い、ベイカーは定期的に医院に通い続けていた。

 そして朝食の最中、思い出したようにその話題を口にしたのだった。

「────あの時、王宮の医務室への連絡先を貰っただろ。受けた魔術の詳細について改めて聞きに行こうかと思ってる」

「ああ、そうか。発動した魔術についての詳細が聞けたら、何か解決するかもしれないのか」

「そうそう。俺は魔術は専門じゃねえけど、お前が同行してくれれば分かるだろうしさ」

 表立ってそのまま忘れていてくれたら良い、とは言えず、僕も同行することにした。付いていく、と頷けば、ほっとしたように顔を綻ばせる。

 同居人にとっては珍しい表情だった。いくら楽観的な彼でも記憶の喪失は不安だったのだろうか。

 予定を話し合いながら食事を終え、今日もベイカーが作った食事の皿を僕が洗う。

「最近、料理が上手くなってきたな」

 皿に水を流しながら言うと、医務室への連絡先の紙を探しつつ同居人が答える。

「フィオノに食わせる楽しみを見いだしつつあるわ」

 僕のコートの懐から連絡先が書かれた紙を引き出すと、まだ皿を洗っているのに通信魔術を起動してくれと言い出した。水を跳ね飛ばしながら、連絡先の書かれた厚紙に魔力を流す。

 あの時の、白衣姿の男らしき声が聞こえてきた。ベイカーは挨拶から会話を始め、医務室を訪れる予定を取り付けている。

 会話する声が一度止まり、僕の前に彼が姿を見せた。

「今日の昼でもいいって言われたけど、どう?」

「向こうが良いのならいい」

 朝と夕方ごろに仕事の予定が入っており、確かに昼頃は空いている。ありがと、とベイカーは言い残すと、また会話をするために離れていった。

 予定の調整は無事終わったようで、連絡先の紙をまた僕のコートに仕舞い直した。水を止め、濡れた手を拭う。

「じゃあ、昼までに仕事終わらせないとだな」

「任せろって。俺の修理の腕ならすぐだ」

「その自意識過剰さ、腕が錆びるのも時間の問題だな」

 はぁ!? と反応するベイカーを置いて、仕事の準備のために自室に戻る。鞄に仕事道具を詰め、肩に掛けた。

 記憶を取り戻したら、もう今ある甘やかしは無くなるのだろう。居心地が良かったのに、と残念に思いながら部屋を出た。

 居間へ向かうと、同居人も準備を終えている。

「じゃ、行くか」

「ああ」

 朝からの予定は、青果店にある冷蔵装置の修理の筈だ。

 店に向かいながら、仕事の情報を交換した。前回、同じ装置の様子を見たのは一年前だそうだが、ベイカーはぺらぺらと型式や特徴について説明する。

 二人で仕事はするが、僕の担当は魔術式関係と、作業の手伝いくらいのものだ。

「装置を動かしたときに調子が悪くなった、って言ってたんだよな。あの装置、魔術式が外に見える位置に彫り込まれてるから……」

「傷ついた魔術式の埋め込み直し、もあり得るのか」

「そういうこと。昔と違って、フィオノがいると無駄な仕事にならなくて助かるわ」

 僕と組む前は、魔術式の損傷が原因の故障は別日に魔術師を呼ぶ、という手間が必要になり、装置も魔術式も両方破損していると予定の調整が手間だったそうだ。

 装置の故障単体であれば僕は作業手伝いのみになり、そうなると自身がいる意味を見出しづらく感じることもあるのだが、ベイカーは仕事が早く終わること、そして案件が増えることを喜んでいる。

 実際に、商売に関わる故障を抱えた依頼主からは、魔装技師と魔術師をいっぺんに手配できたことを喜ばれることも多いのだ。

「だから、これからもよろしくなー」

「……まあ、お前の態度次第だな」

 珍しく殊勝な態度に、僕は温度の上がった顔を背ける。

 ベイカーは僕の肩に手を回すと、顔を擦り付けてきた。文句を言っても、治療だと言いくるめられてしまう。

 陽の光が当たる時間、ただの仕事の合間にこうやってさり気なく触れてくるようになった。ほんの少しの変化なのに、むず痒くて切なくて、無くなってしまうことを惜しんでしまう。

 暖かい日差しの下、石畳の階段を踏みしめる。肩が揺れると、かつん、かつん、と鞄の中の物が触れ合って僅かに音を立てた。

 同居人が語りかける低い声に、相槌を打ったり、答えを返したりする。互いに届けば良い声量、互いが分かればいいだけの言葉。広い街の中で、僕たちだけの空間にいるようだった。

「おはようございます」

「おう、おはよう。待ってたよ」

 挨拶を返した青果店の主は馴染みの顔で、開口一番ベイカーの体調を案じている。数ヶ月の記憶を失ったとしても彼に依頼したいと言う人達は、長年の付き合いのはずだ。

 特に魔装技師として知識を学んだ後は、何処かに弟子入りするでもなく、仕事を重ねて技術を身に付けたのがベイカーのやり方だった。

 仕事が安定するまでは金銭的にも余裕はなかったそうで、従業員として僕を抱え込めるくらい顧客を増やせたのは、ひとえに彼が重ねた年月があるからだ。

 僕が依頼主たちに容易に受け入れられたのも、長い付き合いの彼が雇ったからだろう。

「お邪魔します」

 店の奥、冷蔵装置の近くに寄ると、普段はしている筈の動作音が全く聞こえてこない。近くの店の装置を間借りしているそうだが、いちいち運ぶのは大変なのだそうだ。

 ベイカーは装置の裏に回り込むと、魔術式を確認した。

「ああ、やっぱり術式の端が擦り消えてるわ。フィオノ、ちょっと術式だけ先に埋め込み直してくれないか? その間に術式保護するために簡単な覆い作るから」

「ああ。一度掠れたのなら、二度目もあるだろうからな」

 役割分担をして、僕が装置の裏に回り込んだ。掠れている箇所をどうにか読み取り、指先に魔力を込めて式を書き直す。

 魔力が流れるようになると装置が起動音を響かせ、扉を開けると冷気が這い出てきた。

「装置に問題は無さそうだ」

「了解。もうちょっと待ってな」

 ベイカーは手持ちの金属板を術式の大きさに切り落とし、蓋状に曲げて装置に固定する。

 力を込めれば外せるような形状で、もしまた不調が起きたら確認できるようにしてあった。

 店主を呼んで確認して貰い、修理代と共に野菜を受け取る。いつもよりも多めなお土産は、呼んだら早く来てくれたから、ということらしい。

「術式の掠れねえ……。昔だったら魔術師を呼ぶのにまた日数が掛かってたとこだが、もう魔術師がここにいるんだもんなぁ」

「はは。フィオノが来て本当に助かってるんですよ、これからもご贔屓に」

 ベイカーは店主の言葉にさらりと僕を褒め、野菜の袋を両手に持って店を出た。

 その背を追いかけ、片方の袋の取っ手を引く。だが、彼は指先を大事にしろ、と野菜の袋を持たせてはくれなかった。

 いちど家に戻って野菜を保管し、昼近くになってから王宮に向けて移動する。途中で昼食を買い食いすると、使った魔力も戻ってきた。

 僕が満腹になってお腹を擦っていると、手を広げたベイカーから軽く抱き付かれた。以前なら撥ね除けていたのかもしれないが、親切心から来るものだと知っている僕は黙って抱かれる。

 声を漏らしながら後頭部を撫でてくる同居人は、何が面白いのか分からないが、非常に満足そうだった。

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