魔術師さんは爛れた関係の同居人に記憶を取り戻させたくない

さか【傘路さか】

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 昼に見る王宮は、高くそびえ立ち、気圧されるほど圧倒的な美を誇っている。夜には見づらかった装飾も、細部まで目に届いた。

 僕たちが門に近付くと、このあいだ医務室まで案内してくれた門番の姿があった。今日は門自体は開かれており、こちらを見て声を掛けてくれる。

「ああ、ベイカーさん、フィオノさん。お待ちしておりました」

 夜に来た時には緊急事態として融通を利かせてくれたらしいが、今日は一時的な通行許可証を正規の手続きで発行するとのことで、二人して申請を一式書かされた。

 代わりに服に挟む形状の許可証が与えられ、また同じ門番が医務室まで案内してくれるとのことだ。

 体調は悪くないか門番に問われ、調子が良い、と答えているベイカーを横目に、体調『は』いいんだけどな、と心中で呟く。

 王宮の庭からは何かを言い合っている声と、魔術の起動音がした。また侵入者でも、と視線を向けると、目を向けた先から黒い何かが全速力で駆けてくる。

「わ!」

 駆け寄ってきたのは大型の犬だった。

 僕の前まで走ってくると、進行方向で座って行く手を阻む。咄嗟に飼い主を探していると、犬の後ろから駆けてくる人影があった。

「こら、急に走って行く……な……」

 立ち止まったその人は、医務室で出会った魔術師の男性だった。僕が挨拶をすると、何事かを思い出しながら返事をする。

 僕の横にいたベイカーはその場にしゃがみ込み、犬の頭を撫でる。

「なぁ、フィオノ。俺は覚えてないけど、こいつが魔術を受けて堀に落ちかけたとこ、引き上げてくれたらしくてさ」

「え、あ。そうなのか、ありがとうな」

 撫でて良いか魔術師の男性に視線を向けると、どうぞ、と手のひらで促された。そろそろと耳の裏に手を伸ばし、目を細めている様にわしわしと撫でる。よく梳かれているのであろう毛は柔らかかった。

 この犬は門番と連携しつつ、王宮の警備を担っているらしい。

「ベイカーさん、フィオノさん。ちょうど良かった。俺もあの時に発動した魔術式の説明に、医務室に呼ばれてるんだよ」

「あ、じゃあ一緒に行きましょう」

 そういえば、と男性は思い出したように手を差し出す。

「改めて、俺はロア。王宮付きの魔術師だ」

「フィオノです。いちおう同じく魔術師で、魔術装置の修理を仕事にしています」

「ベイカーといいます。魔装技師で、フィオノと仕事は一緒です」

 よろしく、と続けて手を握り、犬を撫でながら待っていてくれた門番と共に医務室へと歩き始める。どこか聞き覚えのある名前のような気がしたが、ここ数ヶ月は新しい仕事やら、ベイカーに手を出されたりやらで怒濤のように過ぎていた。

 結局、なぜ聞き覚えがあるのか思い出せないまま、医務室へ辿り着いてしまった。黒い毛の犬は医務室の前で待つようで、自然に扉の横で腰を下ろす。

 医務室に入ると白衣姿の男性が待っており、応接机を使うよう言われた。声の届く位置にはいるようだが、ベイカーが別に専門の医者に掛かっていることから、どちらかといえば発動した魔術式の話が主なようだ。

 ロア、と名乗った男性は並んで座る俺たちの向かいに腰掛けた。

「もし嫌だったら断ってもいいんだけど、ベイカーさんの魔力を少し診せてもらえないか? できたらフィオノさんも」

「俺は大丈夫です」

「僕も」

 ベイカーが手を伸ばし、机越しに手を握る。僅かに魔力が動いたような感じがした。魔力を診る、と言っていたから、無意識に作る魔力の壁を崩し、あえて魔力を僅かに混ぜたのだろう。

 僕も同じように手を握り、相手が壁を崩す時に同じように魔力を触れ合わせた。

「フィオノさんも魔力が多いな。……その、ふたりって一緒に住んでるんだっけ?」

「はい。俺とフィオノの二人で、事務所兼自宅、って感じですが」

「付き合いは長いの?」

 なんで世間話のような事を聞くのだろう、と思うのだが、そういった話が好きなベイカーは躊躇いなく言葉を返す。

「会ってから数ヶ月、ってとこです」

「ええと、通信魔術で話した時、実は数ヶ月分の記憶が飛んでた、って言ってたのは聞いたんだけど……」

「はい。フィオノと『同居を始めてすぐ』と俺は思ってたんですけど、フィオノが言うには『数ヶ月のあいだ一緒に暮らしてた』って」

 僕に視線を向けられたのに気づき、首肯する。

 ふむ、と顎に手を当てると、ロアさんはベイカーに向けて言った。

「……悪い。魔術式の話をしたいんだが、王宮で使われる魔術だから、防犯上、できたら中身を知る人を減らしたいんだ。話を聞くと、フィオノさんの方が知識はあるはずだから、細かい内容は彼だけに話しても良いか?」

「ああ、そうですね。じゃあ俺は外に……」

「いや、この辺りに遮音結界を張るから、向こうにあるカーテンの仕切りの先で待っててくれたらいいよ」

 医務室の主からも寝台に座っていたら良い、と許可を貰い、ベイカーは仕切りの先へと離れていく。

 ロアさんは手早く遮音結界を起動すると、ベイカーがこちらを見られる位置にいないことを確認して僕に向き直った。

「手短に聞く、気を悪くしないでくれ。ベイカーさんとは恋人か?」

「………違います。……けど」

「けど?」

 促されて、口籠もる。

 僕たちの魔力に触れてそう尋ねたと言うことは、それくらい僕たちの魔力が混ざっていると言いたいのだろう。

 少し前までは身体を重ねていたし、今は僕の不調を防ぐためにあえて接触している。

「いや、質問が悪かったな。記憶を戻すために聞くんだが、身体の関係はあったか?」

「…………はい。あの、ベイカーはそれを忘れているんです」

「時系列的に、そうだろうなと思ったよ」

 はぁ、とロアさんは息を吐く。彼には何かが分かっているようだ。

「記憶が戻らないのは、魔力の波形が元に戻らないからだ。ベイカーさんの魔力は、相性が良すぎるのか、あんたの魔力ありきでもう再構成されている。魔力が乱れた後、あんたの分の波が足りないんだと思うぞ」

「でも、あの…………寝ては無くとも、こう、手を繋いだりとか、は、していて。それなら、元に戻るんじゃ……」

「寝たときの魔力の混ざり方を思い出せるか? 手を繋いだ時と同じだとは言わないだろ」

 ぐ、と僕は言葉を詰まらせた。

 手を繋ぐことが魔力を触れさせる、と表現するならば、身体を重ねて、粘膜で繋がった時の感覚は文字通り、混ざる、だ。

 それだけ深い接触を持っていたからこそ、今回の件で僕の体調までが崩れることになった。

 僕は項垂れて、背を丸めた。

「僕たち記憶を失う前は、友人だか恋人だか、っていうのは曖昧な関係で。だから、忘れているなら、その方がちゃんと友人に戻れていいんじゃないかと思ったんです」

「まあ、恋人同士じゃなくて身体の関係がある、だもんな」

 僕の言葉に理解を示しながらも、ロアさんは爪の先でこつり、と机を叩いた。ぴくり、と音に反応して顔を上げる。

 目の前の表情はただ柔らかく、怒ったような顔ではなかった。

「だけど、関係をやり直したいんなら、なおさら記憶は取り戻すべきだと思う」

 言葉は静かで、声音に迷いはない。僕がいくら言葉を重ねても、この人の意見は曲がらないだろうという確信があった。

「ベイカーさんが失った数ヶ月の記憶は、すべて悪い思い出だけだったか? その中には、あんたが惜しむような記憶は無かったか? 二人だけの思い出を持っていられるのは、あんた以外には、もう一人しかいないんだぞ」

 ベイカーは覚えていた時の僕と、棚を買おうとしていた、と言った。

 棚を見に行ったときも、低すぎるのは嫌だとか、高価すぎるのはいやだとか、散々言い合って一つの棚を決めたのだ。食器も、服も、たまに喧嘩になりながら譲り合って同居する家を整えた。

 仕事を始めたばかりの僕を、色んな場所に連れて行って人に会わせてくれたのも、数ヶ月間の失った記憶の中だった。

 もしベイカーの記憶が戻らなかったら、始めたばかりの僕たちの関係は、もう思い出して話すことも出来ないのだ。

「フィオノさんが一つでも残したい記憶があるなら、それごと取り戻させてあげてほしい。ベイカーさんは間違いなく、記憶を取り戻したいと願っているんだから」

「…………はい」

 ただ逃げるだけで、だらだらと解決を引き延ばしていた自分が恥ずかしくなった。それでも視線を上げて、助言をくれる瞳を見返した。

 僕の表情が変わったのか、ほっとしたように口元が綻ぶ。

「あと、記憶を取り戻す方法なんだけど……」

「はい」

「寝てみたら?」

「…………はい?」

 僕は素っ頓狂な声を上げ、奇妙な解決策を提示した人を見返す。

 問い返した声音で、自分がとんでもないことを言っている事に気づいたらしい。頬を掻いているその人は、歯切れが悪くはあるが、その提案に至った考えを述べてくれた。

「記憶を失う前と、失った後の魔力の違い。が、そこかな、と…………」

「あー……」

 言い分は分かる気がするし、身体を重ねるという接触が齎す魔力の変化は身に沁みて知っている。だが、それを実行できるのはあくまで記憶を失う前の僕たちだけだ。

 僕は手を組むと、がっくりと肩を落とす。

「でも。あの人、記憶失ってるんですけど」

「だよなぁ……」

 魔術師同士、魔力の厄介さを恨み、互いに労りの視線を向け合う。

「あの、ベイカーを引き剥がす建前だとは思うんですけど、王宮の警備のための魔術式って……」

「うん。外には出せなくてさ。だから魔術式以外の糸口で解決して貰えたら助かる。あ、思ったより症状が重いし医療費も掛かってるだろうから、王宮から見舞金が出るって」

「それは、ありがとうございます……」

 ロアさんに礼を言い、それ以外の案は無いか考えてもらう。申し訳なく思ったのか、いくらか案を出して貰ったのだが、僕にとっては途方も無い案も多かった。

 身体を重ねる以外で魔力を混ぜる方向で頑張ってみる、と言ってその日は切り上げる。

 帰り道でベイカーに魔術式はどうだったか尋ねられるが、魔術式が難しく対応が思い付かない、と言い訳をする他なかった。

 半分上の空で会話をする僕は、挙げられた解決案ばかりが頭を巡り続けていた。









 ひとまず、記憶が戻らない要因として僕の魔力がベイカーの身体にまだ欠けている、という話は納得できる。ただ、いくら彼と寝ることが効率的とはいえ、それ以外でも接触を増やせば記憶を取り戻す可能性はあるはずだ。

 普段から仕事で行動は共にしているが、買い物だとかちょっとした用事でも同行することにした。刷り込みの雛のように彼の姿を視界の端に入れては、ほんの近くへの買い出しにでも付き従う。

 最初は不思議そうに見ていたベイカーも、数日経つと僕の存在に慣れ始めた。その日も夕食の材料を買い出しに行くという同居人の言葉に、黙ってコートを羽織った。

 何も言わずに外出の準備を整える僕に目を見開くも、それ以上なにも言われることはない。

「今日なにが食いたい?」

 家を出て、寒空の中を二人で歩く。接触を増やそうと無駄に近寄ってみるのだが、手を繋ぎたくとも僕から伸ばす距離が計れない。

 じっと少し後方から、彼の寒そうな掌を見つめ続ける。寒いから、だとか言って手を取ってしまえばいいはずなのに、自分の手のひらはぴくりとも動かなかった。

 斜め前の身体が立ち止まった。

「…………聞いてたか?」

「へ? なんだ」

 僕が首を傾げると、振り返ったベイカーは困ったように頭を掻いた。

「悩みでもあるのか?」

 屈み込んで、視線を合わせてくる。僕はただその視線と結んでいられず、やんわりと解いた。

 悩みなんて、ずっと考えているのは目の前の男のことくらいだ。

「何も。手がでかくて寒そうだなって思っただけだ」

 指先を伸ばし、目の前にある冷えた手にそっと触れて、離れる。僕の腕はぶらりと垂れ下がり、もういちど伸ばす気力は湧かなかった。

 ベイカーは自らの掌を持ち上げ、軽く握る。そしてまた開いた手は、こちらへ伸びてきた。

「あ…………」

 力を失っていた僕の手が、そっと掬い上げられる。持ち上がった指先が絡みつき、ぎゅっと握った。その一瞬で、体温が灯った。

 彼は立ち位置を変えると、歩きやすい位置で手を繋ぎ直す。

「そう思ったんなら、黙って繋いでくれりゃいいのによ」

 別に手を繋ぎたくない、とか、なんでわざわざ手を繋ぐんだ、とか、咄嗟に返していたはずの言葉が浮かんでは消えた。

 彼が記憶を失う前の僕なら、それで良かった。だが、僕はこれを機にやり直したいのだ。恋人だと自信を持って言えなくて、彼がどこに行ったとしても縛れなくなる関係が、いっそ記憶を無くしたいくらい嫌だった。

 口を開くと、白い息が漏れた。

「…………次からは、そうする」

 自分の口から零れるにしては、甘ったるい言葉だった。僕の言葉に彼は目を瞠り、握っていた手から力が抜けていく。

 僕はその掌を、自らの手で、力を込めて握り返した。

「………………」

 互いに無言のまま、一歩踏み出す。

 歩いていると、少しずつ歩幅が揃っていく。前を歩くベイカーの表情は見えなくて、僕は顔を上げて、彼の耳だけを見ていた。

 寒い空気の中でわずかに赤く染まる耳だけを、ずっと見ていた。

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