変人な同僚と一夜を過ごしてしまった魔術師さん

さか【傘路さか】

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 朝起きたら、同僚が横で寝ていた。

 あまり良くはないが、それ自体はいいのだ。問題は、この身体に残る違和感だった。

 涙の名残がこびり付いた瞼、身体のあちこちに残る赤い痕、やたらとすっきりした爽快感と、相反して尻に残る拭いようのない腫れぼったさ。

 そっと身体を起こして鏡の前に立つと、服は自分のものではない大きな寝間着を身に纏っていた。胸元にもいくらかの痕が視認できる。束縛の強い恋人があえてするような痕跡に見えた。

 大問題なのは、おそらくそれを残したであろう相手が、同僚である点だ。俺は見慣れぬ寝台に歩み寄ると、眠っている端正な顔立ちを見下ろす。

 アルヴァ・トレーゼ。

 同僚の中でも魔力に優れて術に秀で、そして癖が強い男だ。

 王宮付の魔術師たちの中でも特に優秀な割に、実験を繰り返しては職場のあちこちを破壊して回ることで昇進を逃している。というのが専らの噂で、事実でもあった。

 東の大国にある魔術部署とも繋がりがあり、我が国よりも進んだ魔術を自身の研究協力と引き換えに持ち帰ることがある。

 それでも実験と称しては窓を吹き飛ばした上でけろりとしているので、上司もその功績を相殺する他なかった。

 つい『職場で実験するのは止めたらどうか』と助言してしまったが、『自宅が吹き飛べば実験が止まるだろう。自宅では実験しないようにしている』と淡々と述べられ、あまりにも堂々と言われたことにより、一瞬だけ丸め込まれてしまった。

 そんな癖のある男が、俺にありとあらゆる情事の痕跡を残した挙げ句、すやすやと寝台で眠っているのだ。

 彼に恋人がいるという話は聞いたことがなかった。

 魔力の好みが激しい魔術師の中でも、アルヴァのような魔力の強い人間は更に選り好みをする。俺を始めとした職場の面子と一緒に仕事はできるのだが、嫌だろうなと積極的に触れないように気を付けていた。

 それでいて性格も『ああ』だ。

 適齢期の人間がいても、どれだけアルヴァが優秀であっても、美形であったとしても。そもそも恋人目的で、人が寄り付かないのが彼という人間の筈だった。

 そんな彼が、おそらく俺と寝たのだ。

 拳を握り込み魔力を流してみれば、見知った魔力が身体を巡っていた。俺とは真反対にいるはずの魔力は、上手く絡み合って新しい流れを作っている。その流れの強弱は、身体にえも言われぬ心地よさを齎した。

 その事を心から意外に思った。

 仕事に困りながら残業をしていると絶対に手を差し伸べるようなところは、ほんの少しだけいいよなあ、と思っていたのは確かだ。そして、見慣れていても尚、美しい顔立ちには惚れ惚れする。

 だが、彼はあのアルヴァ・トレーゼなのである。俺の魔力と噛み合うとは思わなかった。

「…………ん」

 低い声が寝台の上で揺蕩い、もぞりと毛布が皺を作る。

 毛布の合間で、実験の副作用で色を失ったという白い髪が揺れた。普段は背のあたりで一括りにしている髪は、今はあちこちに散らばって見える。

 頭はずきずきと痛み、魔力酔いの症状に似ていた。昨日、俺の残業にアルヴァが付き合ってくれたことまでは覚えているが、それ以降の記憶はない。

 俺は混乱の中にありながら、うろうろと部屋を歩き回り、やがて寝台の端に腰掛ける。そうして、アルヴァが目を覚ますのを待った。

 彼が目を覚ましたのは、休日とはいえ、あまりにものんびりとした時間だった。

 唐突にぱちりと目を開け、ばさりと毛布を撥ね除けつつ起き上がる。ゆらり、と茅色の瞳が開かれ、こちらを視認した。

「おはよう、ディノ」

「…………おは、よう」

 長い髪を掻き上げ、名を呼ばれた挨拶の言葉に戸惑いながら返事をする。アルヴァは自分の置かれた状況を認識しているのか、寝台から起き上がって呑気に伸びをした。

 このままだと立ち去ってしまいかねない、と声を掛けて引き留める。

「…………あの。俺……なん、でここに?」

 こちらを向いた瞳が、僅かに見開かれる。

 意外、という表情を浮かべるということは、記憶を失っているのは俺だけらしい。肩を落とし、引き結んだ視線に追い縋る。

「昨日の夜のことは、覚えていないのか?」

「仕事の後のことは、全く」

「……そうか」

 アルヴァは腕を組み、視線を空中に投げる。困った問題が起きたときに彼がよくする仕草だった。

 何かに思い至ったのか、アルヴァは俺の方に歩み寄る。

「手を貸してくれるか?」

「あ、……うん」

 言われたとおりに腕を差し出すと、その手が取られる。触れた場所から魔力の境界が消え、強い魔力が大量に流れ込んできた。その魔力は俺の魔力を絡め取り、そわりと背中を引っ掻いた。

 わ、と声を上げ、思わず手を振り払ってしまう。

「な、……なんっ、何した!?」

「魔力を流し込んでみただけだが……ふむ。やはりか」

 アルヴァは手を開閉し、指先に視線を落としている。そして、その視線は俺の方を向く。落ち着いた色の瞳が、煌めいたように見えた。

 ぱちり、ぱちりと色を失った睫が動き、その奥で強い瞳が自分だけを捉える。

「正直に答えてほしい。ディノは、俺と君の魔力相性をどう思った?」

「あぁ。えと、相性いい、よな……?」

「………………」

 アルヴァは無言になり、俺の頭から爪先までを見下ろす。あまりにもじろじろと見つめられ、間違ったことを言ったか、と唾を飲んだ。

 引き結ばれていた唇は、やがて開かれる。

「結婚しよう」

「…………………………………………はあ」

「それは承諾か?」

「困惑だよ馬鹿」

 魔術に秀でたアルヴァを馬鹿、と罵る日が来るなんて思いもしなかった。口が開かれた結果がこれとは、雄弁は銀どころか鉄屑もいいところだ。

 アルヴァはぼすりと寝台に腰を下ろす。

「責任を取りたいと思っていたし、魔力の相性も良いなら丁度いいと思ったんだが」

「そもそも俺ら……寝たの?」

「性行為か? したぞ」

 綺麗な形の唇から、昨日の夜の顛末が語られる。

 仕事終わりに食事がてらアルヴァの家に立ち寄ったところ、作りかけの飴状の魔術薬を俺が口に入れてしまい、薬の効果と触れた時の魔力酔いが重なって二人して寝台に縺れ込んだという。最後までいっていなければまだ……、と救いを求めてみたが、彼はさらりと『数回は挿れたな』と言った。

 うわあ、と頭を抱える俺を、アルヴァは平然と眺めている。

「アルヴァは正気だったんだろ? なんで抵抗しない」

「薬の効果か確かめようと抵抗せずにいたら、相性の良い魔力を一気に流し込まれてな。ディノと同じように、そこからは魔力酔いと欲求不満が重なって、ずぶずぶと」

 彼にとっては据え膳もいいところだったらしい。最近は仕事も重なっていたし、確かに時期は悪かった。切っ掛けを作ったのも俺だというのなら、彼に対して怒りを向けることもできやしない。

 尻を気持ちよく支える、質のいい寝台が恨めしかった。

「…………他人事じゃないが、よく抱けたな」

「顔立ちも性格も好ましくは思っていたし、魔力の相性がいいのなら性格も合うんだろう。それに加えて職場の顔しか知らない相手がぐずぐずに蕩けているというのは、なかなかクるな」

「本人の前でよく言えるもんだよ」

「色っぽい、と褒めているつもりだが。言葉が難しいな」

 俺がうんうんと唸っていると、アルヴァはすっと立ち上がった。ふわりと寝台が持ち上がり、体勢が揺らぐ。

「食事にしよう。空腹で悩んでも良い答えは出ない」

「お、……おう」

 歩き出したアルヴァの後を追って立ち上がると、ふらり、と足元が揺れた。歩くことはできるのだが、身体の違和感が酷い。ゆっくりと後を追う俺を、振り返ったアルヴァが目で捉えた。

 戻ってきて、伸びた腕が身体を支える。

 振り払おうと見上げると、心配そうな瞳にかち合って動揺した。大丈夫、と告げて逃れようとしたが、彼の腕は離れなかった。

「心配だ。しばらく補助させてほしい」

 ぱちぱちと目を瞬かせ、その整った顔立ちを見上げる。職場にいる時よりも、ころころと感情がよく動く。今まで見たことのない表情ばかりだった。

 珍しいこともあるものだ、と思いながら、返事を失って導かれるままに歩く。アルヴァの自宅は広く、寝室を出て廊下を少し歩き、台所のある部屋に辿り着いた。

 座っているように言われ、食卓にある椅子に腰掛ける。普段は椅子が二脚もないようで、アルヴァが座るであろう位置には木箱が椅子代わりに置かれていた。

 台所に立ったアルヴァは買い置きしてあったらしいパンを取り出すと、魔術で上手に切り分け、卵もまた魔術で起こした炎で焼いていく。

 朝っぱらから魔力を使えば残量が不安になるところだが、触れた時に流れ込んだ魔力量を思えば、彼にとっては問題ない量なのだろう。

 出された皿には、焼いたパンと焼いた卵が二つずつ、申し訳程度にちぎった葉物が添えられていた。傍らでは、沸かした湯で珈琲を落としていく。ぽたり、ぽたりと出来上がっていく珈琲が溜まると、ゆっくりとカップに注ぎ入れた。

 砂糖は、と問われて一杯だけ入れると、アルヴァは返ってきたスプーンでどかどかと砂糖を珈琲に流し入れた。

「いただき……ます?」

「いただきます」

 何故、一夜を共にした相手に求婚され、朝ご飯まで囲んでいるのだろう。今更ながら逃げた方が良かった気がしてくる。

 だが、出された飯に罪はなく、腹も減っていた。瓶から牛酪を持ち上げ、パンに塗りつける。そのまま持ち上げ、がり、と囓った。

 ざくざくと口の中で香ばしい匂いが跳ね、追って塩分とほのかな甘味が訪れる。珈琲に口を付けると、更に甘さが味を包み込んだ。

「美味い。……けど、何の話してたか忘れそうになるな」

「それで忘れるなら、忘れていい話だろう」

「結婚するしないは忘れていい話じゃないんだよ」

 そう口に出してみて、またパンを囓る。ざく、ざく、ざく。咀嚼がのんびりとしたものになり、その度に口に出す言葉は入れ替わっていく。

「俺は責任取ってほしいとは思ってないんだよ。そもそも忘れてるし。だから単純に求婚されて困惑してる、って話な訳な?」

「俺は、元々好ましく思っていて身体と魔力の相性がいい相手と、このまま関係を続けられないかと……唆し……いや、口説いているんだろうな。これは」

 アルヴァは迷いながら、目玉焼きの黄身を割った。流れ出たそれを掬い、口の中に放り込む。

 口説かれていたのか、その言葉の衝撃に手が止まった。

「でも、それって俺のこと好きって訳じゃないんじゃ……」

「結婚したいくらい好き、というのは好きではないのか?」

「お前の場合、実利のことしか頭にないだろ」

 分からない、というように首を傾げられれば、俺も正しいことを言えているのか不安になってくる。

 珈琲を揺らせば、黒々とした表面が波打った。右に、左に、揺れては一度たりともその場に留まらない。

「魔力の相性が良くて気持ちいい、欲求不満が解消できる、って理由だろ。そんな率直に言いすぎたら誰も頷かない」

「魔力の相性というのは、大きいと思うんだが」

「そう思ってても言い方ってもんがあるだろ。身体の相性がいいから結婚しよう、ってそれ下心じゃねえから。どっこも隠れてねえの」

 ず、と黒い液体を啜ると、甘味の後には苦みが残った。目の前の男は、やはり分からない、というように眉を顰めている。

 恋愛に関わる心の機微なんて、この男には最も遠いものだろう。

「つまり、利己的であったとしても、表面上うまく言えば結婚も叶うということか?」

 途端に咽せ、ごほげほと咳き込む。今まさにその率直さの弊害を語ったばかりだというのに、どこを学んだというのだろう。

「……うまく言って、相手が納得したらな」

 喉から絞り出した声はざらざらで、砂糖など一粒たりとも混ざっていないかのように苦みばかりの音がした。

「それならば、相手を納得させるために行動も必要だな」

「…………そうだ、ね」

 力をなくした俺の言葉は、大海に漂う小舟のようだった。

「ディノは好きなものはあるか?」

「だからさぁ……」

 文句を言いかけ、口籠もる。

 手段が真っ直ぐすぎるだけで、彼に全く悪気はないのだろう。怒った上で放り出すのは、あまりにも器が小さいように思えた。

 目の前の男を見つめ、口を開く。

「朝ご飯に、果物があったら朝から気分が上がるかもな。今度……」

「買ってくる」

 この男には刹那と直球しかないのだろうか、あんまりだ。

 途端に立ち上がって果物を買いに行こうとした相手を押し留め、物の例えだと説明が済むまで、必死にその服の裾を掴み続ける羽目になった。
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