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朝食後に帰宅する、と席を立てば、意外そうにこちらを見る瞳とぶつかった。
もっと居てくれても、と引き留めようとする図体のでかい男を振り切って、自室に帰って飽きるまで寝た。ふらついていた足元は、不思議と翌日には回復していた。
アルヴァと混ざった魔力はといえば、よほど彼の魔力が好ましかったのか、彼の要素を銜え込んで変化している。
長い間、身体を重ねなければ元の質に戻るのだろうが、彼の魔力が濃すぎるのか相性が抜群に良いのか、週末の間に元に戻ることはなかった。
そうなると、気がかりなのは職場である。
並以上の腕を持った魔術師が集まる王宮で、魔力の質の変化を気取られない筈がない。そして、変化を齎したのが同僚ということもまた然りである。
洗面台に立ち、どんよりと影が落ちる顔を鏡越しに叩く。
アルヴァとは違って肩に付かない長さの濃紺の髪と灰色の瞳は、あまりにも地味で雑踏に紛れやすく、明るいばかりのアルヴァの色とは対照的だ。顔を洗い、歯を磨いて髪型を整えても尚、その憂いを拭い去ることはできなかった。
朝食を抜き、ローブに着替えてから家を出る。
王宮までは歩けばかなりの時間が必要で、初めて知ったアルヴァの家の立地を羨ましく思った。職場から近く、俺一人が転がり込んでも問題ない広さだったはずだ。
「……て、何考えてるんだか」
アルヴァと付き合うことにでもなれば、あの暴れ馬に振り回されることは目に見えている。
添い遂げるなんて、あまりにも無謀だ。
かつかつと靴が石畳を叩き、不揃いなその音で思考も散らかっていく。広がった欠片を拾うこともできず、ただ歩みを進めて考えを跳ね散らかした。
長い時間歩いていた筈なのに、辿り着くのは一瞬だった。王宮の使用人のための廊下を通り、職場の扉を開ける。
「おはようございまー……」
途端に、職場にいる全員の視線が魔術機から持ち上がり、こちらに集まった。え、とそれぞれに視線を一巡させ、自らの席に向かって歩く。
アルヴァも自席に座っているが、何か仕事をしているのか、視線がこちらに向くことはない。
「ディノ。あの、ちょっといい?」
同僚のメルクが声を掛けてくる。ああ、と返事をして席に荷物を置き、彼が導くままに部屋の外に付いていった。
扉を閉め、少し離れた所に辿り着いたメルクは、がし、と俺の両肩を掴んだ。
「何が起きたの!?」
「え……っと、何が……」
「アルヴァにディノの魔力が混ざってたの。本人は何も喋ろうとしないし、そもそも『あの』アルヴァ相手に聞けないし。そしたらディノからもアルヴァの魔力を感じるし! アルヴァの実験の副作用かも、とも考えたけど……」
「あー……。いや、実験の副作用ではない……けど」
そう言うと、メルクの表情が困惑したものになる。視線をうろうろと彷徨わせ、心配そうに口を開いた。
「そっか、でもアルヴァ相手だと大変じゃない……? 無理に聞かないけど、何かあったら相談してね」
ぽんぽんと肩を叩かれ、俺は一夜の関係だと伝える機会を完全に失った。どう言い繕おうとも、俺とアルヴァが身体を重ねたのは事実である。
「あ、あぁ……」
嘘もつけず、取り繕う言葉も持たず、俺はただ黙ることしか選べなかった。俺とメルクが職場に戻ると、同僚たちの視線は魔術機へと戻っていた。
深く突っつかれることがないのは有り難いが、物分かりが良すぎるのも気味が悪い。
自分も席に座り、魔術機に手を掛ける。週末まで書いていた魔術式を開いていると、横からカップが差し出された。
誰だ、と視線を上げると、アルヴァだった。
いつも通りの彼は、髪も辛うじて括られているが、縛り方は雑なものだ。
「へ? なに?」
「何って……珈琲だが」
「あ、あぁ……。ありがと」
カップを両手で受け止めると、周囲から生温かい視線が注がれていた。そもそもアルヴァは普段こうやって他人に飲み物を差し入れたりはしない。
特別に優しくされている、というのは嫌でも伝わった。カップはまだ熱く、側面を握り締めるには危ないくらいの温度だ。
「週末に書いてた魔術式、上手くいきそうか?」
「あ。いや、この風を起こすとこさ……」
魔術機を指差して教えを請うと、アルヴァは自分のカップを持ち替えて指を伸ばした。魔術機の釦をぽちぽちと迷いなく叩き、式を綴っていく。先程まで悩んでいた箇所が鮮やかに解決されていく様を、食い入るように見入った。
「うっわ天才。そっか、魔術基礎式を継承して新しく手続き化するのが早いんだ」
「他にも案は出せるが、俺はこの方法がいいと思う」
「俺もこれいいと思う。ありがと」
問題を解決すると、指先はさらりと釦から離れていった。ず、と熱いカップの中身を啜る音がする。
問題が解決した高揚感から、つい口が滑る。
「貸しにしてもいいぞ」
「…………じゃあ、今日の昼飯を奢ってくれ」
「おう、任せろ」
そう返すと、アルヴァは満足そうに笑って離れていった。はた、と返事を間違ったことに気づいたのは、魔術式の続きを書き始めた頃だった。
気のせいかもしれないが、あれは約束を取り付けられたことに対しての満足げな笑みだった気がする。求婚された上で保留中の相手に、気軽に考えすぎもいいところだった。
少し冷えた珈琲を口に流し込むと、先日の朝食の場で加えた砂糖と同じ甘さだった。
アルヴァの手助けもあり、それからの魔術式の構築は恙なく進んだ。昼食の少し前にちょうど区切りのいい場面が訪れ、昼休憩の鐘を合図に席を立つ。
声を掛けるかどうか迷ったが、あまり意識しすぎるのも違うかと唇を開く。
「調子どう?」
「ああ。もう少しだ」
魔術式の最後に句点が置かれ、目の前で一つの魔術式ができあがった。ほお、と声を上げると、得意げに口の端が上を向く。
手ぶらで立ち上がったアルヴァは、俺の背を押して外へ促した。
これまでは魔力が混ざったら、だとか気にして身体の接触は最低限だったが、もう自分たちの間柄では、それを躊躇うこともないのだ。
職場を出て少し歩き、周囲に誰もいないことを確認してから、ようやく口を開く。
「なあ。職場のみんなに、お前と魔力が混ざったことばれてたぞ」
「ああ。皆の様子がおかしいから、そうだろうなと思っていた。ディノの魔力が心地いいのか、波が形を覚えきって戻らない」
「俺も。一日もあれば元に戻るかと思ってたんだけど、魔力が変質してそのままだ」
アルヴァが首を傾げるので、俺も同じ動作で返事をした。
隣で歩くアルヴァが、手の甲を俺のそれに添わせてくる。自身の魔力が喜んで手を伸ばし、僅かに彼の魔力を吸い取った。
また、アルヴァの口元が柔らかくなる。彼はこんなに感情豊かだっただろうか。
「手を繋ぎたくなった」
ただ望むだけ、強制することのない言葉がその場にぽんと置かれた。そして、省みることのないように、早足になった身体が半分だけ前を歩き始める。
僅かに頬が熱くなった気がしたが、気の所為だと風に流した。
王宮の門の前には広場があり、その広場には出店のように昼食を売りに人が集まる。パンに焼いた具材を挟んでくれる店の前で、アルヴァが立ち止まった。
「これがいいの?」
「これがいい」
店主に四つください、と伝えて代金を支払う。
店主はその場で肉を焼き始め、同じように焼き目のついたパンに挟んで味付けを加える。できあがった品物は紙で包まれ、アルヴァに手渡された。
俺は礼と共にその場を離れ、同じように飲み物を調達する。
「日差しが強いから、木陰に行くか」
「ああ」
大木の陰に移動し、芝生の上に座り込む。持っていた飲み物を置き、アルヴァが持っていた包みを半分受け取った。
躊躇いなく齧り付けば、唇を肉汁が伝う。ぺろりと舐めてから、もごもごと咀嚼した。
「ずっと、ディノとどうやったら結婚できるか考えているんだが」
咀嚼中に聞いていたら口の中が事故を起こしていたはずで、言葉が欠片を飲み込んだ後で助かったと息を吐く。
呼吸を整え、はあ、と中途半端な声を漏らした。
「下心を取り繕って伝える以外に、何かできることはあるだろうか?」
「うーん……。俺、結婚したいって思うまでの好意は無いからなぁ……」
俺の言葉にアルヴァは寂しそうな顔をして、それでも尚、食らいついてくる。
「どうやったら好意が生まれる? ディノはどういう人が好きで、俺には何が足りないんだろうか」
「難しいことばっか聞くじゃん……」
飲み物を手に取り、喉に流し込む。かつん、と唇に氷が当たって、そこだけがひんやりと冷たかった。
「まず付き合うほど俺ら、一緒に過ごしてないじゃん。俺あまりにもアルヴァが分からない。好きな人は俺、たぶん一緒に過ごして楽な人だから」
アルヴァと同じように、俺にもまた個人主義的なところがある。友人関係も、その距離感を保てずに遠のくこともあるし、恋人なら尚更だ。
がらがらと飲み物の容器を揺らし、氷をぶつけて音を立てる。
「アルヴァの足りないとこ……。実験で物壊しすぎて心配になる。あと、率直なのはいいことだけど、俺がまだそれに慣れないからさ。慣れたらいいとこいくんじゃない?」
彼は俺の言葉を静かに聞いて、しばらく押し黙っていた。視線は俺と絡んだまま動かず、聞き取った言葉たちを咀嚼しているのが伝わる。
沈黙が気まずくて、ついパンに齧り付いた。
「実験での破損については、対策を考えてみる。ディノが俺に慣れないことに対しては、付き合いを増やしていくしかない気がするが」
「だろう……なあ」
「それについては、付き合ってくれるのか?」
すこし上擦った声に、彼が押し殺そうとしている緊張が滲み出ている。緊張して、そわそわして、僅かな諦めが入り交じった声は、初めて聞く色をしていた。
首を傾げてみせると、さっと顔に影が入る。
「うそ。いいよ、友達から始めよ、って事でしょ」
「そうだ。結婚を前提に」
「……前提が重いんだよなあ」
風が木の葉を揺らし、漏れた光が模様のように淡く広がる。風に合わせてちかちかと光っては消えていくそれを眺めながら、のんびりと会話を交わしながら食事をした。
二人だけの食事、というものを彼としたことはあまりなかったが、今日のこれは居心地がいい。先日の朝食も皿の上がこざっぱりして面食らったところはあるが、不味く感じることもなかった。
魔力の相性がいい、とはこういうことなのだろうか。
やがて包みの中身が無くなり、飲み物を片手に昼休憩の消化に入る。
「……この前さ。俺ら、寝たじゃん」
「ああ」
アルヴァの答えはあまりにもあっさりと、そして堂々としていて、気恥ずかしがっているのは問うている俺だけだった。
「全く覚えてないから他人事みたいに思えるんだけど、ほんとに最後まで、したの」
「それはもう。というか、粘膜で触れて体液を通じて魔力が行き来しているからこそ、翌日を過ぎても尚魔力が残っているんだろう」
「だよなぁ……。でも、あれからも俺ぜんぜん思い出せなくて……」
一日経っても記憶は欠片も戻らず、一夜の過ちを覚えているのはアルヴァだけだ。
身体に残る痕跡は確実に彼と繋がったのだと示しているのに、俺の気持ちが追いつかない。だからこそこうやって彼と平気で話せているのだろうが、夢幻の類とでも言われた方がまだ納得する。
「ディノが覚えていなくとも、俺は君から大切な物を奪ったと思っている。責任を取る、という訳ではないが、俺にとってはあの一夜はそれくらい重い」
「結婚を申し出るほど?」
「思い出したら分かる。俺の魔力は、もう変質して戻らないかもしれない。それほどずっと、あの夜は君の魔力に浸かっていた」
指先を伸ばして、魔力を流した。
よく見知ったアルヴァの型に填まらない魔力が、元々持っていた波を乱している。けれど、その波はそれでいて心地いい。今まで知らなかった新しい形、新しいうねり、その波に揺らされていたい、と感じてしまう。
風に揺れる度に、木漏れ日は生まれては消えていく。
ある場所が光っては消え、消えていた場所に光が灯る。風が吹かなければ変わらずにいられたのに、けれど、光の瞬きは風がなければ生まれることもない。
光を受けたアルヴァの長い髪は、あちこちが銀糸のように輝いていた。
「触って」
掌を開いて、彼に伸ばした。
二人の身体の間で、その手が迷いなく取られる。ぶわ、と意図を持って流れ込んできた魔力は、強い風に違いなかった。
「……俺も、もう元の魔力に戻れないかもな」
けらけらと笑って、その言葉に悲観しない自分に驚いた。生まれ持った魔力が変わってしまったとしても、その変化を受け入れるつもりでいる。
もう少しの間、この男と関わってみたい。
飲みかけだった飲み物の氷は溶けきって、ずいぶんと味が薄くなってしまっていた。それも変化、と思いたかったが、こればかりは変化前のほうが好ましかった。
もっと居てくれても、と引き留めようとする図体のでかい男を振り切って、自室に帰って飽きるまで寝た。ふらついていた足元は、不思議と翌日には回復していた。
アルヴァと混ざった魔力はといえば、よほど彼の魔力が好ましかったのか、彼の要素を銜え込んで変化している。
長い間、身体を重ねなければ元の質に戻るのだろうが、彼の魔力が濃すぎるのか相性が抜群に良いのか、週末の間に元に戻ることはなかった。
そうなると、気がかりなのは職場である。
並以上の腕を持った魔術師が集まる王宮で、魔力の質の変化を気取られない筈がない。そして、変化を齎したのが同僚ということもまた然りである。
洗面台に立ち、どんよりと影が落ちる顔を鏡越しに叩く。
アルヴァとは違って肩に付かない長さの濃紺の髪と灰色の瞳は、あまりにも地味で雑踏に紛れやすく、明るいばかりのアルヴァの色とは対照的だ。顔を洗い、歯を磨いて髪型を整えても尚、その憂いを拭い去ることはできなかった。
朝食を抜き、ローブに着替えてから家を出る。
王宮までは歩けばかなりの時間が必要で、初めて知ったアルヴァの家の立地を羨ましく思った。職場から近く、俺一人が転がり込んでも問題ない広さだったはずだ。
「……て、何考えてるんだか」
アルヴァと付き合うことにでもなれば、あの暴れ馬に振り回されることは目に見えている。
添い遂げるなんて、あまりにも無謀だ。
かつかつと靴が石畳を叩き、不揃いなその音で思考も散らかっていく。広がった欠片を拾うこともできず、ただ歩みを進めて考えを跳ね散らかした。
長い時間歩いていた筈なのに、辿り着くのは一瞬だった。王宮の使用人のための廊下を通り、職場の扉を開ける。
「おはようございまー……」
途端に、職場にいる全員の視線が魔術機から持ち上がり、こちらに集まった。え、とそれぞれに視線を一巡させ、自らの席に向かって歩く。
アルヴァも自席に座っているが、何か仕事をしているのか、視線がこちらに向くことはない。
「ディノ。あの、ちょっといい?」
同僚のメルクが声を掛けてくる。ああ、と返事をして席に荷物を置き、彼が導くままに部屋の外に付いていった。
扉を閉め、少し離れた所に辿り着いたメルクは、がし、と俺の両肩を掴んだ。
「何が起きたの!?」
「え……っと、何が……」
「アルヴァにディノの魔力が混ざってたの。本人は何も喋ろうとしないし、そもそも『あの』アルヴァ相手に聞けないし。そしたらディノからもアルヴァの魔力を感じるし! アルヴァの実験の副作用かも、とも考えたけど……」
「あー……。いや、実験の副作用ではない……けど」
そう言うと、メルクの表情が困惑したものになる。視線をうろうろと彷徨わせ、心配そうに口を開いた。
「そっか、でもアルヴァ相手だと大変じゃない……? 無理に聞かないけど、何かあったら相談してね」
ぽんぽんと肩を叩かれ、俺は一夜の関係だと伝える機会を完全に失った。どう言い繕おうとも、俺とアルヴァが身体を重ねたのは事実である。
「あ、あぁ……」
嘘もつけず、取り繕う言葉も持たず、俺はただ黙ることしか選べなかった。俺とメルクが職場に戻ると、同僚たちの視線は魔術機へと戻っていた。
深く突っつかれることがないのは有り難いが、物分かりが良すぎるのも気味が悪い。
自分も席に座り、魔術機に手を掛ける。週末まで書いていた魔術式を開いていると、横からカップが差し出された。
誰だ、と視線を上げると、アルヴァだった。
いつも通りの彼は、髪も辛うじて括られているが、縛り方は雑なものだ。
「へ? なに?」
「何って……珈琲だが」
「あ、あぁ……。ありがと」
カップを両手で受け止めると、周囲から生温かい視線が注がれていた。そもそもアルヴァは普段こうやって他人に飲み物を差し入れたりはしない。
特別に優しくされている、というのは嫌でも伝わった。カップはまだ熱く、側面を握り締めるには危ないくらいの温度だ。
「週末に書いてた魔術式、上手くいきそうか?」
「あ。いや、この風を起こすとこさ……」
魔術機を指差して教えを請うと、アルヴァは自分のカップを持ち替えて指を伸ばした。魔術機の釦をぽちぽちと迷いなく叩き、式を綴っていく。先程まで悩んでいた箇所が鮮やかに解決されていく様を、食い入るように見入った。
「うっわ天才。そっか、魔術基礎式を継承して新しく手続き化するのが早いんだ」
「他にも案は出せるが、俺はこの方法がいいと思う」
「俺もこれいいと思う。ありがと」
問題を解決すると、指先はさらりと釦から離れていった。ず、と熱いカップの中身を啜る音がする。
問題が解決した高揚感から、つい口が滑る。
「貸しにしてもいいぞ」
「…………じゃあ、今日の昼飯を奢ってくれ」
「おう、任せろ」
そう返すと、アルヴァは満足そうに笑って離れていった。はた、と返事を間違ったことに気づいたのは、魔術式の続きを書き始めた頃だった。
気のせいかもしれないが、あれは約束を取り付けられたことに対しての満足げな笑みだった気がする。求婚された上で保留中の相手に、気軽に考えすぎもいいところだった。
少し冷えた珈琲を口に流し込むと、先日の朝食の場で加えた砂糖と同じ甘さだった。
アルヴァの手助けもあり、それからの魔術式の構築は恙なく進んだ。昼食の少し前にちょうど区切りのいい場面が訪れ、昼休憩の鐘を合図に席を立つ。
声を掛けるかどうか迷ったが、あまり意識しすぎるのも違うかと唇を開く。
「調子どう?」
「ああ。もう少しだ」
魔術式の最後に句点が置かれ、目の前で一つの魔術式ができあがった。ほお、と声を上げると、得意げに口の端が上を向く。
手ぶらで立ち上がったアルヴァは、俺の背を押して外へ促した。
これまでは魔力が混ざったら、だとか気にして身体の接触は最低限だったが、もう自分たちの間柄では、それを躊躇うこともないのだ。
職場を出て少し歩き、周囲に誰もいないことを確認してから、ようやく口を開く。
「なあ。職場のみんなに、お前と魔力が混ざったことばれてたぞ」
「ああ。皆の様子がおかしいから、そうだろうなと思っていた。ディノの魔力が心地いいのか、波が形を覚えきって戻らない」
「俺も。一日もあれば元に戻るかと思ってたんだけど、魔力が変質してそのままだ」
アルヴァが首を傾げるので、俺も同じ動作で返事をした。
隣で歩くアルヴァが、手の甲を俺のそれに添わせてくる。自身の魔力が喜んで手を伸ばし、僅かに彼の魔力を吸い取った。
また、アルヴァの口元が柔らかくなる。彼はこんなに感情豊かだっただろうか。
「手を繋ぎたくなった」
ただ望むだけ、強制することのない言葉がその場にぽんと置かれた。そして、省みることのないように、早足になった身体が半分だけ前を歩き始める。
僅かに頬が熱くなった気がしたが、気の所為だと風に流した。
王宮の門の前には広場があり、その広場には出店のように昼食を売りに人が集まる。パンに焼いた具材を挟んでくれる店の前で、アルヴァが立ち止まった。
「これがいいの?」
「これがいい」
店主に四つください、と伝えて代金を支払う。
店主はその場で肉を焼き始め、同じように焼き目のついたパンに挟んで味付けを加える。できあがった品物は紙で包まれ、アルヴァに手渡された。
俺は礼と共にその場を離れ、同じように飲み物を調達する。
「日差しが強いから、木陰に行くか」
「ああ」
大木の陰に移動し、芝生の上に座り込む。持っていた飲み物を置き、アルヴァが持っていた包みを半分受け取った。
躊躇いなく齧り付けば、唇を肉汁が伝う。ぺろりと舐めてから、もごもごと咀嚼した。
「ずっと、ディノとどうやったら結婚できるか考えているんだが」
咀嚼中に聞いていたら口の中が事故を起こしていたはずで、言葉が欠片を飲み込んだ後で助かったと息を吐く。
呼吸を整え、はあ、と中途半端な声を漏らした。
「下心を取り繕って伝える以外に、何かできることはあるだろうか?」
「うーん……。俺、結婚したいって思うまでの好意は無いからなぁ……」
俺の言葉にアルヴァは寂しそうな顔をして、それでも尚、食らいついてくる。
「どうやったら好意が生まれる? ディノはどういう人が好きで、俺には何が足りないんだろうか」
「難しいことばっか聞くじゃん……」
飲み物を手に取り、喉に流し込む。かつん、と唇に氷が当たって、そこだけがひんやりと冷たかった。
「まず付き合うほど俺ら、一緒に過ごしてないじゃん。俺あまりにもアルヴァが分からない。好きな人は俺、たぶん一緒に過ごして楽な人だから」
アルヴァと同じように、俺にもまた個人主義的なところがある。友人関係も、その距離感を保てずに遠のくこともあるし、恋人なら尚更だ。
がらがらと飲み物の容器を揺らし、氷をぶつけて音を立てる。
「アルヴァの足りないとこ……。実験で物壊しすぎて心配になる。あと、率直なのはいいことだけど、俺がまだそれに慣れないからさ。慣れたらいいとこいくんじゃない?」
彼は俺の言葉を静かに聞いて、しばらく押し黙っていた。視線は俺と絡んだまま動かず、聞き取った言葉たちを咀嚼しているのが伝わる。
沈黙が気まずくて、ついパンに齧り付いた。
「実験での破損については、対策を考えてみる。ディノが俺に慣れないことに対しては、付き合いを増やしていくしかない気がするが」
「だろう……なあ」
「それについては、付き合ってくれるのか?」
すこし上擦った声に、彼が押し殺そうとしている緊張が滲み出ている。緊張して、そわそわして、僅かな諦めが入り交じった声は、初めて聞く色をしていた。
首を傾げてみせると、さっと顔に影が入る。
「うそ。いいよ、友達から始めよ、って事でしょ」
「そうだ。結婚を前提に」
「……前提が重いんだよなあ」
風が木の葉を揺らし、漏れた光が模様のように淡く広がる。風に合わせてちかちかと光っては消えていくそれを眺めながら、のんびりと会話を交わしながら食事をした。
二人だけの食事、というものを彼としたことはあまりなかったが、今日のこれは居心地がいい。先日の朝食も皿の上がこざっぱりして面食らったところはあるが、不味く感じることもなかった。
魔力の相性がいい、とはこういうことなのだろうか。
やがて包みの中身が無くなり、飲み物を片手に昼休憩の消化に入る。
「……この前さ。俺ら、寝たじゃん」
「ああ」
アルヴァの答えはあまりにもあっさりと、そして堂々としていて、気恥ずかしがっているのは問うている俺だけだった。
「全く覚えてないから他人事みたいに思えるんだけど、ほんとに最後まで、したの」
「それはもう。というか、粘膜で触れて体液を通じて魔力が行き来しているからこそ、翌日を過ぎても尚魔力が残っているんだろう」
「だよなぁ……。でも、あれからも俺ぜんぜん思い出せなくて……」
一日経っても記憶は欠片も戻らず、一夜の過ちを覚えているのはアルヴァだけだ。
身体に残る痕跡は確実に彼と繋がったのだと示しているのに、俺の気持ちが追いつかない。だからこそこうやって彼と平気で話せているのだろうが、夢幻の類とでも言われた方がまだ納得する。
「ディノが覚えていなくとも、俺は君から大切な物を奪ったと思っている。責任を取る、という訳ではないが、俺にとってはあの一夜はそれくらい重い」
「結婚を申し出るほど?」
「思い出したら分かる。俺の魔力は、もう変質して戻らないかもしれない。それほどずっと、あの夜は君の魔力に浸かっていた」
指先を伸ばして、魔力を流した。
よく見知ったアルヴァの型に填まらない魔力が、元々持っていた波を乱している。けれど、その波はそれでいて心地いい。今まで知らなかった新しい形、新しいうねり、その波に揺らされていたい、と感じてしまう。
風に揺れる度に、木漏れ日は生まれては消えていく。
ある場所が光っては消え、消えていた場所に光が灯る。風が吹かなければ変わらずにいられたのに、けれど、光の瞬きは風がなければ生まれることもない。
光を受けたアルヴァの長い髪は、あちこちが銀糸のように輝いていた。
「触って」
掌を開いて、彼に伸ばした。
二人の身体の間で、その手が迷いなく取られる。ぶわ、と意図を持って流れ込んできた魔力は、強い風に違いなかった。
「……俺も、もう元の魔力に戻れないかもな」
けらけらと笑って、その言葉に悲観しない自分に驚いた。生まれ持った魔力が変わってしまったとしても、その変化を受け入れるつもりでいる。
もう少しの間、この男と関わってみたい。
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その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。
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